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キュウリ

毎年、野菜を育てて、例年は四月の下旬に苗を植えるを常としけるに、今年は慌ただしくて、五月の半ばになりぬ。近きにホームセンターもなく、いつもの花屋に苗を買ひに行く。植え時より遅れたれば、苗も少なきなり。ゴーヤ、ナス、キュウリ、ミニトマト、オクラを買ひぬ。オクラは去年、一瞬にして枯れぬ。鉢の浅かりしが故なれば、今年は深き鉢を用意しぬ。リベンジの思ひなり。

花屋は、店主の男と、老いたる両親の家族経営なり。店主の子らは既に成人し、海外に住まふといふ。かかること知るは、この花屋に行くたびに雑談するゆえなり。されど、十年以上通ひけれど、店主は我を覚えざるにや。誰彼かまはず雑談すること、染みつきたるならむ。

畳みかけるごとき雑談の傍らに、店主の母親はレジのキーをゆるりゆるりと打ちて、さらにゆるりと、野菜の育て方を教へくれぬ。会計に五分以上かかることも常なり。

先日、野菜の土を買ひしとき、「あとから家に届けむ」と言ひくれぬれば、お願いしぬ。自ら持ち帰るに少々重かりしゆえなり。一時間後、父が土を届けに来たる。腰の曲がりたる老父にて、息も上がりて、ろくに話もできぬ状態なり。申し訳なきことと思ひ、それよりは土をAmazonにて注文することにしぬ。

されど、この老いたる両親が店に出ている姿を見ると、ちと嬉しきことなり。無理やりに働かされるにあらず、きっと、働きたくてやるならむ。夫婦にとりて、ここは大切なる店にて、おしゃべりなる店主は頼りになる息子なりけむ。

さて先週、先ほどの苗を全て植えしが、数日後キュウリのみ元気なく、たちまちしなびぬ。再度植えむとて花屋に行きけれど、キュウリの苗は既になし。やむを得ず、キュウリの場所にはもう一本ゴーヤを植えぬ。大葉の苗もありしかば、これも買ひぬ。大葉を育つれば、夏の楽しみ増ゆ。ご飯のたびに、ちぎりて料理に入れぬ。爽やかなる味を夏中楽しむことできるなり。

店主またおしゃべりを始めぬ。
「昨日はSuicaの障害ありしよ」
「今年は苗が全然市場に出で来ぬ。燃料高騰して、商売にならぬなり。冬の間育てるに燃料代六百万かかるといふ」
確かに、今年は苗のコーナー縮小されぬ。ニュース見ぬ我にとりては、ありがたき情報なり。店主の両親は店に出でざりし。きっと、朝のみ店を手伝ひて、夕方より休むならむ。

ゴーヤと大葉を追加し、今年の家庭菜園はやうやく始まれり。梅雨時はなかなか成長せぬゆえにやきもきするなれど、夏を迎へたら、きっとジャングルのごとく成長するならむ。ぐんぐんと育つる野菜を見て、夏の苦手なる我は励まされぬ。

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