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ジェットストリーム

時は遠く、かの年にて、手塚治虫文化賞という漫画の栄誉に輝くことありけり。賞の時期は五月なり。今もまた五月なり。Appleの写真アプリ、我が授賞式の写真を「(過去の)この日」といふ機能にて示し参らせ給う。余計なる干渉なり。笑顔の自らを見つめて、心に苦悶を覚ゆ。過ぎし栄華、果たして何れの益にもならず。我が輝かしき時、已に消え逝きにけれど、投げ掛けられし光の輝きは今尚鮮やかなり。

かの日、藤子Ⓐ不二雄先生より、我がスマートフォンの裏に御署名を賜いたまいりければ、直ちに先生は「スマートフォンは余り好かざりし」とのお言葉を述べ給うに。我、椅子より落ちんとすれども、先生然りしく記憶に深く残る。谷口ジロー先生にも御挨拶申し上げ、漫画界の伝説なる先生方より、受賞を祝福せしむる、奇跡の如き時なりき。

出版社よりも御祝いのボールペンを賜り給う。モンブランなり。高貴なるペン。社長のデスクに一本のみ挿してある如きものなり。庶民にとりては、難きに用いがたし。ペンのみ輝けりと見ゆる。匣より出でてペン立てに挿せりけれども、其の後用ゆくこと無かりしものなり。其の度に、往昔の栄光を思い起こすばかりなり。

忽ち、このモンブランを用ゆると思いたり。受賞なりし事跡も既に遠きになれり。そろそろ通常のペンとして用ゆるべきなり。さもなくば、いつまでも過ぎ去りしものにすがる幽霊の如くなることを恐れたり。

モンブランを分解し、その部品とする。暫し眺め、再び組み立てん。然る後、如何するか。インクをジェットストリームに替えんこととした。日常、ジェットストリームのペンを愛用せり。アダプターを購い、ジェットストリームの芯を取り入れ、通常のペンに仕立て上げん。

頃来用ゆてみれば、尚も我は此れを特別なるモンブランの如く感じ給ふのは気に掛る。品番を調べ、まったく同じものをメルカリにて購う。ヒビありとのことで、驚くべき安さなり。素人にてはほぼ同じモンブランにあり。此方にも同じくジェットストリームを入れん。モンブランは悲鳴を上げんとすとも、知らざるべからず。外側のみを留め置き給うものなり。感謝せよ。

是より、我が机には二筆のモンブランあり。其れが栄光のモンブランか、メルカリのモンブランか、定かではなし。同一のものぞ二つありて、特別なる感は消え去る。やがて、心地は平穏になれり。

然れども、未だ受賞のトロフィーは机の端に置かれしままなり。これは重厚なる鉄製なり、二本の角を有す。「防犯の手立てなり」と他の先達より教え給うれば、暴漢の侵入れば、これにて撃つつもりなり。

往昔の栄光は、尚我を守り給うものなり。

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