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コイン

玄関に小さなる箱あり。これは小銭入れなり。宅配便の着払いや集金の銭をここより出すなり。外出より帰りぬれば、ここに財布の小銭を入るるなり。かくのごとくすれば、ちょうど良く小銭の保たるるなり。いと昔よりこの仕組みを運用して来たり。

しかるに、近ごろは殆どの支払いを電子にてなすゆえ、小銭余り気味なり。殊に一円、五円、十円の玉なり。わざわざ取り出して用いることもなければ、ますます余りゆくなり。溢れんばかりになりし小銭を集め、銀行に持ち行きぬ。小銭貯金といふ言葉もあれば、かなりの額となり得るかもしれぬ。

銀行に行き、小銭を投入せんとすれど、一度に百枚のみ受け入るるとのことなり。三度に分けて入る。初めに二百円。次に百六十八円。三度目に百十九円。合わせて四百八十七円なり。五百円にも届かざるなり。

小さき箱には百円と五十円のみ残し置きぬ。

この箱、長きに渡り用いたるものなり。もとはマカロンの入れ物なりき。仏蘭西(ふらんす)の旅行にて、巴里(ぱり)のラデュレにて買ひ来たりしものなり。当時は日本にまだラデュレ無かりし時なり。巴里の目的の一つがラデュレなりき。色とりどりのマカロンぎっしり並ぶ、夢の如き店内なりき。写真を撮ることを禁じられしゆえ、その世界は記憶の中にのみあり。

マカロンを大切に日本まで持ち帰り、皆に配りて、自ら用に一つ残し置けり。それがこの小銭入れなり。今や埃まみれのコインのみ入れられたれど、いつだに思ひ出すこと能ふなり。スーツケースに入れ、クッション代わりの洋服に包み、紙袋ごと大切に運び来たれり。パステルカラーのマカロン。この箱は、夢の箱なり。

一週の間ルーブルとオルセー美術館のみに通ふ巴里の滞在を夢見続けたり。その後の一週は南仏の美術館を巡らんとす。夢見るのみで、その機会はなかなか来たらざるなり。

同じく、京都のマンガミュージアムにて一週、漫画のみを読み続ける京都の滞在も考えたり。その一週を捻出できず、長き時経ちぬ。

夢の箱に、小銭ばかりが貯まりゆくなり。

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