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ヨリトとビンデン先輩のゲームボーイ戦記。

さて、今回の動画は今年だったかな?
ツイッターのフォロワー様からリクエストいただいた曲をお送りする。

【リクエスト!】VAPOR TRAIL / 空牙 - KUHGA - OPERATION CODE “VAPOR TRAIL”より 叩いてみた。



これも基本的には2週間前の武者アレスタと同じで(リクエスト頂いた方は違うが)、全く知らないSTGだったが今回いただいたリクエストで初めて知った。
しかも当時からサウンドチームでライブをしていたらしい事が分かる動画がYouTubeにあったのでなかなか楽しかった。



余談ながらこのライブハウスは今都内で何店舗もある(それでもコロナで何個かは潰れたが(潰した?))大きいグループである、当時はこの動画の原宿1店舗しかなかったが。(現在はその店舗もはるか前にない…と思って調べたら2007年になくなり一昨年復活していたようだ。つまりコロナでもそうなるくらいのパワーがある企業だという事である)
僕も何店舗かお世話になったハウスであるが、その元祖とも言うべき場所でゲームのサウンドチームがやっていたという事を今回は初めて知り貴重な体験をさせていただいた。


イカ天」や「ホコ天」の追い風を受け、バンドブームの象徴として音楽シーンを牽引してきたライブハウスと言えばピンとくる方も多いかもしれない。



2週間前にも書いたが、リクエストをいただかなければ一生知らなかった音、ゲーム、動画なんかを体験させていただいた上に、その方の思い入れや好きな曲と僕が合わさったのを見たいという事だとリクエストは思っているので、これは無上の喜びである。


というわけで今回もリクエストありがとうございました。




さてそれだけでは今回のブログが短くなってしまうので、上げた動画とは何の関係もないがちょうど昨日生誕日だったゲームボーイの話でもさせていただこうと今回は思っている。

(だから毎回長くなるのだスミマセン笑)



自分はこれまでも何度も書いてきた通りファミコンを買ってもらうのが遅い家庭だった。
それを見かねたのかある日、母方のばっちゃがいとこと一緒に僕にゲームボーイを買ってくれる事になった。
ちなみに時代は既にスーパーファミコンが出ている時であったため、ゲームボーイはクラスの友達がわりと持っていてそれで何度も触らせてもらう機会は既にあった。
友達はいつも電池の確保に困っていて、家にあるなくなりかけた電池を一本だけ変えてみたり、本体のコントラストを濃くして薄くなっている画面をギリギリまで持ちこたえさせたりしていた。

これはゲームボーイのリアタイ世代なら大抵経験がある事なのではないだろうか笑


いつもずーっとゲームボーイをやっていてすぐに電池がなくなって、親にいつも電池電池と言うからちょっとは我慢しなさいって怒られている友達もいたっけ。



そんな友達の電池状況を見てたので僕は、まずゲームボーイを買う時に充電アダプタを一緒にねだった。
一緒に買ってもらういとこはソフトを4本くらい本体と同時に買ってもらっていたが、僕はその半分でいいからとにかく充電アダプタを買ってくれと頼み込んだ。
ばっちゃは「そんなんでええんか、もっとゲーム買った方がええんじゃないのか」と訝しんだが僕はゲーム2本とアダプターで満足だった。



なので僕が本体と一緒に買ったのは充電アダプターとファミコンで大好きだった忍者龍剣伝、そして友達の家で見てすごいなあと思ったスーパーファミコンのウルトラマンのゲームボーイ版だった。ちなみに僕は特撮やウルトラマンは全く詳しくないし特にファンでもない。
なんで今でもウルトラマンだったのかわからないがそのスーパーファミコンのウルトラマンが相当面白そうに見えたんだろうな。



ファミコンがなかなか買ってもらえなかったので本体が手に入っても、数年はソフトをバンバン買ってもらえるわけでもなかった。ゲームボーイもそのような状態だったのだが当時クラスではゲームボーイの充電アダプターを持っているのが僕しかおらず、貸してほしいという注文がよく来た。
そこで僕はアダプターを貸す代わりにゲームを何本か貸してもらうという生活を一時期送っていた。
そういう目的でアダプターを欲しがったわけではないのだが結果的に色々なゲームボーイのゲームが体験出来て嬉しかった。
あの時の僕は子供ながらにちょっと頭がいい選択をしたんじゃないかと思っていた笑



ここからさらにちょっと昔話。




学校から帰る途中の道にゲームボーイを沢山持っている先輩の家があった。
先輩の家は電気屋であった。
ただ看板の色もくすんでいて、子供ながらに見ても儲かっていない店だった。
入り口は何かの機械のスクラップがわんさか積まれた状態と土の床で、売ってるものは一つもなくて地域の電気のトラブルかなんかをご主人が工事や点検などで見るだけの、電気屋と言っても何か商品の売買をしている雰囲気ではなかった。奥さんも近くの畑を耕しているような毎日だったし電気屋というよりご主人もそれに一緒の事が多かった気がする。
そう、言ってしまうとバラックだ。

画像は全く関係ないがバラックをイメージしていただくためにお借りした。


ちなみに僕の地元は当時で人口3000人くらいの町で、小学校も全校生徒150人くらいの1学年1クラスしかないような小さい場所である。
犯罪は殺人どころか泥棒だってない(まあ元々そんなものはどこにもない方がいいのであるが)
だからどこの誰が引っ越してきたとか結婚したとか子供が出来たとか、わりと近所の人なら誰でも知っているようなレベルの小ささなのだ。もはや町というより村である。



そして先輩は自分のクラスメイトからこう言われていた。ビンデンと。
ビンデンは「貧乏電気屋」を略した言葉である。
ビンデン先輩はもちろん本人は言われたくなさそうだったが、家庭の環境はよく理解しているらしく甘んじてその名前を受け入れてるような気がした。
反抗してさらに馬鹿にされたりいじめられるのが嫌だったのだろう。
ただ同級生や下級生、誰も自分の家には絶対に入れなかった。
まあもっとも一人の事が多かった気がする。
僕は一度だけビンデン先輩と呼んでしまってさすがにめっちゃキレられたっけかな笑



上記で語ったような小さな町や学校であるから、学校の帰り道が同じであれば当然誰がどんなソフトやゲームハードを持っているかも知っていたりする。先輩はゲームボーイだけはめちゃくちゃ持っていた。
ビンデン先輩と僕はいつの間にか仲良くなり先輩が持っているたくさんのゲームボーイソフトと僕のアダプターを貸し借りするようになった。
もうそれこそ毎月レベルで。
先輩の家は電気屋であるが商品を売っているわけではないから乾電池はやはりなく、先輩が持っているハードもゲームボーイだけだった。



ただここで一つの疑問が皆さんには湧くかもしれない。

なぜそこまで貧乏そうな人が毎月新しいものを貸してくれるくらいゲームボーイのソフトを沢山持っているのか?




実はこの電気屋のご主人と奥さんは年金暮らしである。
そしてビンデン先輩の親ではなく祖父母だったのだ。
だから上記でも先輩のお父さんお母さんではなくご主人と奥さんという言い方をした。
電気屋がそういう状態なのはまともにもう商売をしてないだけであり「店として貧乏そう」なのはある意味当然だったのだ。


詳しくは知らないが簡単に触れてはいけないのだろう家庭な事は子供ながらに察した。だから今も真実は知らない。
が、ビンデン先輩のその家には毎月必ず高級そうな車が停まり、実のお父さんがよく来ていたようだ。
きっとゲームボーイのソフトはそういう事なのであろう。
ビンデン先輩のクラスメイトや下級生の何人がそれを知っていたかはわからないが、少なくとも僕はビンデン先輩が実はビンデンではない事を知っていた。
着ている私服だっていつも同じとかそういうわけでもなかったしな、あくまで貧乏そうなのはそのお店だけだったし。



僕の地元は保育園から中学までみんな同じ1クラスのような感じだが高校から隣の大きい市になってみんながバラける。
ビンデン先輩とは高校になってからは学校も違って、いつの間にか関わりはなくなり、お爺さんもいつの間にか亡くなってお父さんが引き取ったようだ。今はどこにいるかもわからない。
僕も高校の時にマイホームが建って引っ越したからその道は通らなくなってしまったし、もしビンデン先輩がそこにおられていたとしても近所ではなくなってしまったからだ。



先日よく好きで自分の知っているゲームが紹介されるとよく引用させていただくアカウントがカーブノアという作品を紹介していたが、このソフトなんかは半年近く借りていた覚えがある。



ちょうど数か月前にそのソフトの名前を忘れていたがふと思い出してYouTubeで見たばかりだった。ソフトの名前は忘れていたがビンデン先輩の事はきちんと覚えていたので、ちょうど昨日がゲームボーイの誕生日だったこともあり今回ここに執筆させてもらう事となった。
大人になった今でこそ自分で購入したものを持っているが、当時ほとんどのゲームボーイソフトはビンデン先輩に体験させていただいたものだ。



女神転生のラストバイブルやSaGaシリーズなんかのRPGは特に一緒に攻略した記憶もあって懐かしい思い出だ。近くの神社で暗くなるまで、いや暗くなってもやっていた記憶がある。



僕はファミコン、ゲームボーイ、スーパーファミコンはわりとコレクターなんだけど(ツイッターでよくフォロワーさんが紹介しているような箱付きとかではないけど)特にゲームボーイを時々プレイしていると今でも先輩を思い出したりする。



ちなみに今その電気屋はどうなっているのかとふと気になり、ネットのビューで検索してみたが(これ実は僕のささやかな隠れ趣味だったりする、住んでた場所とか今どうなってるとか見たりするの)

きっとおばあさんも亡くなられたのだろう。
家は全く別の新しい家に代わり、僕の知らない景色と誰かのものになっていた。バラックなどもうない。

畑があった場所(写真左)も何も無くなっていた。
写真右にあるバス亭はマイホームが出来て引っ越しするまではよく使っていた。

しかしきっとあのオンボロ電気屋(失礼!)の場景と先輩との記憶はこれからも僕の中で生き続けてる事だろう。



ねえ山根先輩、今でもゲームをやっていらっしゃるのでしょうか。



※大人になってビンデンという言い方はすべきではないと思っていますが、当時の状況を分かりやすくお伝えするためにあえて今回そう呼ばせていただいた事を最後に深くお詫びする。



今回もお読みくださりありがとうございました。



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