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日本における漢字についての気づき 朝鮮半島は「江」

たまたま漢字について調べていたら、面白いことがわかりました。

「また、英語圏やフランス語圏で「Kanji」と言う場合は、日本の漢字、狭義では新字体を指す。」
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まあ、中国で漢字は「KANJI」とは読まないよねwww

「日本の事物を表したり、大航海時代だけでなく幕末・明治に欧米諸国から入った概念・用語を日本語に取り入れたりするため、中国大陸にはない和製漢字や国字も多数生み出された(後述)。」

世の中、どこの国もおごったら、文明が止まるからねえ。

「一方、藤堂明保は控え目に見ても3世紀から5世紀には日中両国で漢字が日本に入っていたことは確かであると唱えており[1]、森浩一も北九州の弥生時代の銅鏡には大抵漢字で文章が表されており、倭人が銘文の内容を理解できたとすれば、漢字受容の歴史が大きく変わってくるとしている[2]。また、『後漢書』や『倭人伝』における日中の外交記述からも、遅くとも2、3世紀には支配者層における文字の使用を想定する方が自然であるとの意見もある[3]。一方で東日本では、平安時代前期に至っても使用される漢字は限られていた[4]。当該地域では漢字が記号としてしか認識されておらず、古代の漢字の普及には著しい地域偏差が存在していたことが確認されている[5]。」

中国鏡と金印とかの時代を見ていると、2-3世紀には漢字の読み書きはされていました。だって、1-2世紀くらいに硯が発見されてるもん。

「宮脇淳子は、「朝鮮半島の川は全て『江』と表記されるということです。シナ大陸では、黄河は『河』で、揚子江すなわち長江は『江』です。つまり、南部の川は『江』で、北部は『河』と表す。ということは、シナ大陸の北と南では言葉が違っていたということであり、朝鮮半島に最初に入った漢字を使う人々は、海を経由して南から入った可能性が高いと考えられるわけです。その理由として、燕国の東側は拓けるのが遅かったことが挙げられます。その地域一帯は北方騎馬民の勢力圏だから、商隊はすぐに襲われるので安全なルートじゃない。高句麗に入っても靺鞨などが蟠踞しています。そこで海を利用するわけですが、同様に漢字を使う人たちは、日本列島にも東シナ海経由で来た可能性が高いのです。朝鮮半島から日本への渡来人は、いわば第二派だったという説が、現在、かなり有力になっています」と指摘している[6]。」


これ面白いです。
「朝鮮半島に最初に入った漢字を使う人々は、海を経由して南から入った可能性が高いと考えられるわけです。
たしかに、そもそも、朝鮮半島は中国人が開拓した土地です。南部は倭人が開発しました。なので、朝鮮半島の東とちょっと一部しか、生粋の朝鮮民族(韓民族というべきかわかりませんが)が国を作っていませんし、最初のほうの王朝はおもっきり中国系です(まあ、中国民族もいろいろありますが・・・)。
もともと純粋の朝鮮民族はロシアよりの寒いところにいて、南下してきたのです。ですので、最初は中国系が住んでいました。その中国系はもしかしたら、ここでいう南部中国の人かもです。
なんせ、北部には殷という鬼畜国家がありまして、そこの人に殺されそうになって逃げてきた中国人は多いわけですよね。


この図の、左の点線のところなんです。
後の時代でいうと「南宋」のあたりが稲の発生地ですから、そこから海を越えて日本に入らないといけないのです。縄文時代終わりにはもう日本に入っていましたし、朝鮮半島は寒くて稲作には向きません。もともとが、小麦やこうりゃん、ひえといった雑穀で食べていたのです。米食は寒い国では、後になります。

日本人類学権威 篠田先生の本の図面より引用

「朝鮮半島から日本への渡来人は、いわば第二派だったという説が、現在、かなり有力になっています」
そうそう。おそらく、鉄などは中国が発明して、朝鮮半島経由で技術が来たのかもと思いますけども、稲についてはもっと前に日本に南部のほうから来たのです。


宮脇淳子『朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏 韓流時代劇と朝鮮史の真実』扶桑社扶桑社新書〉、2020年4月30日

読んでみようかなあ・・・。またお金がいるなあ。はああー。


なかなか、目立たないですが、重要ポイントでしたね!!

わー、ほんとだわ。大きい川は「江」になってる。
(もっと小さい川は「川」だけど。)



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