コンピテンシー・ベースへの転換を迫られる時代

前回は「コンピテンシー・ベースとは何か」をその対照的位置付けにあるコンテンツ・ベースと比較しながらお話ししました。そして、なぜいまコンピテンシー・ベースの学びが求められるのかということを考えてきました。

知識(コンテンツ)だけをただ詰め込んでも社会では役に立たない。それらを活用してどのような問題解決ができるか。それが大事だということを話しましたが、その背景にはこのようなこともあります。
社会の変化です。

人類誕生から、私たちは、「狩猟」で生活する社会、「農耕」で生活する社会、そして「工業」を生活の基盤とする社会へと発展してきました。
日本は明治時代から工業社会になり、敗戦を経験しながらも、1980年代には世界の経済大国にのし上がりました。しかし、バブル経済が崩壊し、1990年代からコンピュータやインターネットが発展して「情報社会」へと変化する中で、次第に世界での経済的地位を下げていきました。
つまり、工業社会では優位だった国力が情報社会では優位性を失ったのです。そして、現在でも「失われた30年」と言われるような停滞状態が続いているのです。

なぜそのようなことになったのか。それは、私たちが学習観を転換できなかったことに一つの要因があります。
工業社会においては、決められたルールに則り、早く正確に作業することが重要でした。つまり、決められた知識をインプットし、早く正確にそれをアウトプットすることが大事だという学習観でした。
しかし、情報社会においては、情報や知識は既に溢れていて、知識のインプット/アウトプットよりも、溢れる情報・知識をいかに上手に活用して新たなものを創造したり、問題解決することの方が重要になりました。つまり、創造力や問題解決力、そしてそれらのもとになる思考力・判断力・表現力や主体的に学習(物事)に取り組む態度が大事だという学習観に転換しなければいけなかったのです。その転換が上手くいっていなかったことが失われた30年の原因になっていると考えられます。
すなわち、コンテンツ・ベースからコンピテンシー・ベースへの転換ができなかったために日本経済は停滞しているのです。

いまコンピテンシー・ベースへの転換を強くアピールしていますが、それは30年前にすべきことだったのです。
もちろん、文部科学省もそのことはわかっており、2002年度に施行された学習指導要領では「生きる力」重視への転換を謳い、総合的な学習の時間を導入したりしましたが、週5日制の導入や薄くなった教科書などから「ゆとり教育」と呼ばれ、本当の狙いが、世の中には伝わりませんでした。もちろん学校の教育現場でも本気でコンピテンシー・ベース(ここでは「生きる力」ベース)に転換しようなんて考えなかったのです。

そして、いままた社会は次の段階に進もうとしています。それは、AI(人工知能)の進展です。最近話題のChatGPTのような自動生成AIに限らず、各種AIの進展は目まぐるしいものがあります。まさに「何かを知っている」だけでは、機械に代替されてしまうのです。
このような時代の変化を内閣府は「Society5.0(ソサエティ・ゴーテンゼロと読むのが一般的です)」と呼んでいます。狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く5番目の社会が到来したという意味です。

政府は失われた30年を挽回するために、「新しい時代の到来」という危機感を煽る言い方をしているのかもせれませんが、私の実感としても、それなりのバージョンアップをしなければついていけない変化が起きていると思っています。
古い慣習にとらわれず、大人も子どもたちも、自分をバージョンアップする必要に迫られているといえるでしょう。

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