見出し画像

エッセイ本を作りたい【出版企画】

文芸誌やウェブ媒体でエッセイを何度か書いたことがある。けれども、本格的に書いたのは、2023年1月から半年間つとめた『日本経済新聞』夕刊の「プロムナード」の連載だ。僕は土曜日の担当で毎週1400字程度の短い文章を書いた。他の連載もあってなかなか大変ではあったが、これが思いのほか楽しくて日々、次は何を書こうかなと世界に対する感度があがったように過ごした。研究とは違うアンテナで生活する日々を思い返すと、とても幸せな時間だったように感じる。久々に読み返してみたが、自分の人生がつまった内容になっていて、これも近いうちに本にできたらいいなと思う。

23回まであったこの連載をすべてあわせても3万5千字に満たないが、これまで書いたエッセイを合計すれば5万字弱くらいにはなる。でも、文庫や新書にするにはまだ足りないので、noteに新たに書き下ろしでエッセイを書いていこうかなと目論んでいる。プロムナードのときのコンセプトはゆるやかにだがあった。僕が普段たずさわっている研究や教育のこと、子供や子育てのこと、映画や公園のことなど、特に身近な家族や生活を題材に、日常社会にある違和感、気づき、怒り、悲しみ、歓び、幸福などを綴ったものだ。現代社会論的な随筆としてさまざまな題材をもとに一貫した批判意識のもとで書いてきたつもり。毎回、以下のようにテーマがあった。

「プロムナード」のテーマとタイトル一覧

もっとたくさん書きたいことがある。終わってまた他の原稿で忙しくなったのですっかり忘れていたが、書きたいことはいくらでもある。だからここの場所を使って書けた暁には、小さな本にできたら、とても素敵なことだと思う。それぞれ僕にとって、とても大切な文章だから、新聞紙から救い出して本として蘇らせたい。たとえるなら、僕にとってこれらのエッセイの文章は、偶然スマホで撮った当時3歳の息子の横顔が、クレヨンしんちゃんのそれにしか見えなかった愛おしさにどこか似ている(全然伝わらないだろうが)。

クレヨンしんちゃんのシルエットの息子

実はこのエッセイをきっかけに出版の依頼があって、新たに書き下ろす本もある。エッセイとはまた別のジャンルの本になりそうだが、じっくり書き上げたいと思う。だが、この連載自体もきっと僕にとっては大事な本になると確信している。そう信じて、新たなエッセイを(欲を言えば)あと半分書けたら、なんて素晴らしいだろう。実際、僕が担当をはじめた直後くらいから日経新聞が毎月10本まで記事を無料で読めるサービスをやめてしまったので、このあたりから日経をとっている人以外で読む人は激減したはず。まあでも、この2倍書き下ろしたら、本にしてくれる出版社はあるかもしれない。

そういえば、次に出す本の原稿をいま急いで書いているところで、これが僕にとって初めての新書になる。これから、新書を3冊つづけて刊行する予定なのだが、文庫は今まで一度もなかった。企画を通っている本でも皆無。僕の愛読書に若松英輔『悲しみの秘義』(文春文庫)がある。これは同じく日経新聞「プロムナード」の連載を書籍化したもので、繰り返し読み返す大事な本だ。もっとも、最初この本はB6判で、後に文庫化されたらしい。薄い文庫に余白がたっぷりある、詩のような文章。これもまた味わい深くていい。もちろん、こんな素晴らしい文章は書けないけれど、普段のように何か対象をがっつりと論じるのとは違う心地よさがエッセイにはあった。そういう本を作ってみたい。まだ、先は長いが遠くない未来に、僕はエッセイ本を出したいと思う。

ちなみにトップの画像は仙台市にある向山中央公園にあるドカン。空き地のドカンって見なくなったが改めてみるといいなあ。次に書くエッセイはドカンについてにしよう。テーマは「余白」。僕はいま、調査で全国の公園遊具めぐりをしているので、いつか公園紀行本なんかもいいかもしれない。こうやってつらつらとこういう本を出したい、ああいう本を作りたいと書いてきたが、実は本を書いている段階というのはなかなかしんどくて、編集者とこういう本にしたらどうだろうとアイデア出しをしながら企画を練って話している時が一番楽しい。夢が広がる感じというか。というわけで、公園/遊具批評、遊具の研究、公園紀行と楽しそうな本の妄想に囚われてしまった。公園遊具の研究も大型研究費をいただいているので、今年はフィールドワークのために国外の公園にも訪れる予定でいる。ところでドカンって海外にもあるのだろうか。日本の公園でも、いくつか訪れた場所に設置されていた。原っぱとドカン——次はこれについて書こう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?