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映画批評本を作りたい【出版企画】

映画本の企画

一般に僕たち研究者や批評家が作る本として、対談や講義本などは抜きにすれば、大きく書き下ろしかこれまで寄稿したものの論集がある。つまり一から書くか、書いたものを寄せ集めて本にするか、である。『美と破壊の女優 京マチ子』(筑摩書房)や『24フレームの映画学——映像表現を解体する』(晃洋書房)は(後者は発表済みの論考も少し収録したので「ほぼ」)書き下ろしの本なのに対して、『アクター・ジェンダー・イメージズ——転覆の身振り』(青土社)は『ユリイカ』に寄稿したものを集めた論集本、『椎名林檎論——乱調の音楽』(文藝春秋)も『文學界』に連載したいた論考を集めた本だ。『ユリイカ』は8000字くらいなので、十数回くらい寄稿してテーマが定まれば本になる。

いま考えているのは、これまで色々な媒体に寄稿した映画批評をまとめて本にするということ。『AGI』(『アクター・ジェンダー・イメージズ』のことです)くらいしか、僕の本で批評論集と呼べるものはない。ただ『AGI』は俳優批評という一貫したテーマがあり、「アクター❌ジェンダー」なので、いわゆる映画批評本とはちょっと性質が異なるのですね。『椎名林檎論』は連載だったのでゴールははっきりして、いわゆるあちこちに書いた論考を集めたものではない。『ユリイカ』のような長めの論考だけではなく、1000〜3000字くらいの批評も結構書いてきて、どこに何を書いたかあまり把握できておらず、これまでの批評を読めるように本にしたいという思いがあるのです。まだ出版社も未定だし、本にできる分量があるかもわかっていない。企画書すら書けない段階だし、テーマや方向性によっては取捨選択する必要があるだろうが、とりあえずこれまで書いてきたものをここにメモのごとく列挙してみたい。

研究者はたいていResearchmapというものに業績を入力していくのだが、学会発表や講演、テレビやラジオ、コラムやエッセイ等、すべて詰め込まれていて、何を書いたか自分でもわからない。そこでまず映画批評を抽出して、文字数含めて整理するというのがこのノートの目的である。ゆくゆくはメモが目次のような構成になり、一本の軸が見えてくれば寄せ集めたものでも批評本にできると思う。あと自分でも新たに映画批評を書くとき、これまで書いてきたものを簡単に振り返られたらきっといいのではないか、と。だからこの記事はなんの面白い情報も、役立つ材料も、ない。ただ僕が過去に書いた映画批評の情報がわかるだけ。もし編集者の方が見て興味をもってくれたら、こちらから企画を持ち込む必要がなくなって楽なので嬉しい(笑)連絡ください。もっといえば優秀な編集者が見て、章構成などの有益なアドバイスをくれて出版にいたれば最高……。まあ、そんなことはなかろうが、とりあえず僕は映画批評本をいつか出したいと思っていたので、行動に移さねばと重い腰を上げたというわけです。前置きが長くなったが、以下にこれまで書いてきて、どの本にも収録されていない論考をひとまず記しておく(今後執筆したものが世に出るたびに加筆され情報は増えていく)。

これまで書いた映画評

劇場パンフレットの作品評
・「映画という救済の讃美歌」——『一月の声に歓びを刻め』評」劇場パンフレット(1800字)
・「奪われた声を聴く」——『月』評」劇場パンフレット(4800字)
・「墜落/救済の物語——キム・ヘスとイ・ジョンウン」——『ひかり探して』評」劇場パンフレット(3300字)
・「ショットが息づくとき」——『百年と希望』評」劇場パンフレット(3300字)
・「千変万化する京マチ子」(京マチ子映画祭)劇場パンフレット(1000字)
・「他者のリズムに寄り添うこと」——『ラジオ下神白 ―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』評」劇場パンフレット(2500字)
・「生/性の倫理としての『天安門、恋人たち』」劇場パンフレット(2500字)

雑誌/ウェブ媒体の批評
・「荒井晴彦が描く〈血〉と快楽──『火口のふたり』試論」『映画芸術』469号(5000字)
・「三宅唱が描く身体と声——『夜明けのすべて』試論」『映画芸術』486号(4900字)
・「肉体の衝動——『赤線地帯』の京マチ子」『キネマ旬報』2019年7月下旬号(1300字)
・「「アウトレイジ」を乗り越えて、北野武が到達したのはキッチュでクィアな武士映画」『Tokyo Art Beat』2023年(3600字)
・「黒澤明『羅生門』によるジェンダーの社会批評」『NFAJ』第10号、2020年(4500字)
・「過去と現在の協奏曲——『耳をすませば』の実写化」『キネマ旬報』2022年10月下旬号(2400字)
・「ジョン・フォード映画を生け捕りにする」『文學界』2022年9月号(5100字)
・「芸の怪物——映画女優としての杉村春子」『悲劇喜劇』2020年1月号(3800字)
・「推し文化の表と裏」——『【推しの子】』評『共同通信』2023年(1000字)
・「石原さとみを壊す——『ミッシング』における演技の極致」『映画芸術』487号(4500字)

書籍への寄稿論考
・「映画俳優の〈顔〉と身体——北野武『アウトレイジ』シリーズにおける人間/人形性」『映画監督、北野武。』フィルムアート社、2017年(11000字)
・「虚空と慟哭——チョン・ドヨンの演技」『韓国女性映画 わたしたちの物語』河出書房新社、2022年(4000字)
・「S・S・ラージャマウリの映像表現——『RRR』の文体」『RRR 公式メモリアルブック』2024年(3000字)
・「歓待と利他——住まいの空間と構造」『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか?』ミシマ社、2024年(7500字)
・「動物化するアニメーション——細田守『未来のミライ』試論」未刊(7800字)*4年前に依頼され送付したが音沙汰なし(無償労働でつらい)
*この業界、そういうの、わりとあります(よくないすね)
・「『真昼の決闘』のサウンドスケープ——協奏する音響と映像」『タイトル未定』(20000字)

『ユリイカ』での単行本未収録論考
・「異端のグルーヴ——『モテキ』におけるカメラワークと満島ひかり/長澤まさみ」『ユリイカ』2017年10月号(11100字)
・「坂元裕二ドラマ『Woman』論——満島ひかりの手の演技」『ユリイカ』2021年2月号(11300字)

・『文匯報』(2017年2月)での「反戦映画」評
・映画『ホタル』(降旗康男、2001年)(1200字)
・映画『父と暮せば』(黒木和雄、2004年)(1200字)
・映画『夕凪の街 桜の国』(佐々部清、2007年)(1900字)
・映画『野火』(塚本晋也、2015年)(1300字)
・テレビドラマ『レッドクロス〜女たちの赤紙〜』(演出:福澤克雄・脚本:橋本裕志、2015年)(1200字)
・「日本反战电影: 加害者责任岂容逃避」『文匯報』2017年2月
*日本語の原稿のタイトルは「戦後日本における「反戦映画」の系譜」(10700字)

・『文学金魚』の連載「創造的映画のポイエティーク」
・「嘘と不在の映画学——アスガー・ファルハディ『彼女が消えた浜辺』」『文学金魚』2014年4月(7500字)
・「多層化する物語と純粋映像体験——デヴィッド・リンチ『インランド・エンパイア』」『文学金魚』2015年1月(8800字)
・「若者の「狂気」が俳優に映像化されるとき——アッバス・キアロスタミ『ライク・サムワン・イン・ラブ』」『文学金魚』2015年5月(6200字)
・「赦されざる「憎悪」の強度——木下惠介『永遠の人』」2015年2月(5200字)『文学金魚』2015年6月(8800字)
・「映画知覚の可能性について——アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』」『文学金魚』2015年4月(8300字)
・「コミュニケーションの不可能性と距離の映画学——フェデリコ・フェリーニ『ジンジャーとフレッド』」『文学金魚』2015年6月(8500字)

以上(文字数はおおよその数字)。

今後の書籍化にむけて

以上、文字数を合計してみたところ16万字ある。16万字も、ある。いや、普通に本にできる分量であった。なかなか大変だったが、これまで書いた映画関連の論考をまとめてみて、なんとなく作家論・俳優論・ジェンダー論に分類できるのかなと整理できてよかった。まだこれからも依頼が来るたびに書いていくので論考は増えてゆく。すでに本ができる文字数はあるので、いいものが書けたら入れ替えるという方向もありかも。それでまた方向性なども定まっていくことだろう。本に収録できるものは選別する必要があるが、このnoteでもマガジン「映画レビュー」を書いていくことにする。

映画の論考といえば、『週刊文春』で「黄金の日本映画」という連載を2020年から約4年間やっている。毎回800字弱のものでもう60回を超えているので5万字くらいだろうか(8〜10万字あれば文庫や新書になります)。ただこれは雑誌発売日あたりで劇場公開される日本映画のガイドで、ちょっと批評とは性質が異なるので、「黄金の日本映画」ガイド本としていずれまとめられたらと思う。僕は紙の本がとても好きで、毎回の寄稿は大変だが、いつか本になるという思いをもって引き受けているところがある。だが、年々需要は減ってきて、もういつ紙媒体の本がなくなるかわからない。いつの日か、映画批評本と日本映画ガイド本が出せますように…。


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