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あの日から、私たちが書いてきたこと

7月8日に奈良市で起きた、安倍晋三元首相銃撃事件。発生からまもなく3ヶ月となります。

山上徹也容疑者は手製の銃で2回発砲し、最も権力のある政治家の一人がこの世を去りました。事件の動機として「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」への恨みがあったことが分かり、宗教が原因で家族が離散したという容疑者の生い立ちにも注目が集まりました。

一人の命が奪われたという事実の重み、「政治と宗教」の問題、新興宗教を信仰する親を持つ「宗教2世」の苦しみ、世論を二分したまま営まれた「国葬」―。

浮かび上がるいくつものテーマを前に、私たちがどんな記事を書いてきたのか。これまでに公開した記事の一部をまとめました。

<目撃した記者からの報告>

 すぐ目の前で、安倍氏の周囲にいた警護の警察官らが、数メートル先にいた男に一斉に飛びかかった。男は逃げるそぶりも見せず、その場で取り押さえられた。しばらくそのやりとりに気を取られていたが、ふとガードレールの向こう側に目をやると、15メートルほど先にいた安倍氏が力なく崩れ落ちた。その表情は苦痛に顔をゆがめるでもなく、何か言葉を口にするでもなく、多くの聴衆を見つめたままの穏やかな様子だった。

参院選の情勢取材に当たっていた奈良支局の酒井記者は、元首相が打たれた時、その場に居合わせました。

記者として何を取材し、どう報じたのか。詳細な手記をまとめました。記事の中では、数日後に「自分の目の前で撃たれた人が亡くなった。その事実の重みを初めて実感し、こらえ切れずに泣いた」とも書いています。

事件とどう向き合っていけば良いのか。酒井記者の葛藤は改めてnoteでもご報告できればと思っています。

<発生から48時間のドキュメント>

 厳しい容体だという情報が出回る中、午後5時前に安倍氏の妻、昭恵さんが病院に到着する。搬送から既に4時間半が経過していた。
 「晋ちゃん、晋ちゃん!」。自民党関係者によると、昭恵さんは安倍氏の枕元で何度も繰り返し名前を呼んだ。福島医師らは昭恵さんに病状と経過を説明した。一度、停止した心臓が再び動き出すことはなかった。最終的に昭恵さんは「蘇生は難しい」と判断し、35年連れ添った伴侶の最期をみとった。死亡時刻は午後5時3分。昭恵さんの到着からわずか数分後だった。

事件発生から2日間の流れをたどった記事です。

発生直後の救命活動や、取り押さえられた容疑者の表情、最期を看取った妻・昭恵さんの様子、緊迫した雰囲気の中で開かれた奈良県警の記者会見の模様など、取材班の中で飛び交った大量の情報を整理してまとめました。

現場に設置された献花台には花を手向ける方々の姿もありました。

 母親と献花した京都市の高校2年の女子生徒は「私の中で、首相といえば安倍さんだった。長い間お疲れさまでしたと伝えたくて来ました」。大阪府泉大津市の男性(71)は「いろいろ批判もあったが、安倍さんが好きだった。本当に無念だ」と涙を拭った。
 奈良県生駒市の女性(71)は「安倍さんの支持者ではないが、撃たれて亡くなるのはやっぱり違うと思う。まだ若く、したいことがあったでしょうに」と故人をしのんだ。

安倍元首相の政治手法には批判も多くありました。市民の評価は分かれるところですが、献花に訪れた人たちは一様にじっと静かに手を合わせていたのが印象的でした。

<生い立ち、事件へ向かう足取り>

 「オレが憎むのは統一教会だけだ。結果として安倍政権に何があってもオレの知ったことではない」。安倍晋三元首相(67)を銃撃した山上徹也容疑者(41)のツイッターのアカウントには、元首相殺害を示唆するような内容が投稿されていた。事件発生から3週間。検察当局は山上容疑者の刑事責任能力について判断するため、事件当時の精神状態を調べる手続きを始めた。凶行に至る背景には何があったのか。捜査で判明した情報と関係者の証言から容疑者の実像に迫った。

事件発生後、私たちは山上容疑者の周辺にも取材を重ねました。

母親の信仰による経済的な困窮、父や兄の自殺、自らの自殺未遂―。

この記事では、容疑者の半生や安倍元首相に狙いを定めた理由、手製銃の試作を繰り返し、事件に向けて準備を重ねていく様子、当日までの足取りなどをまとめています。

<膨大なツイートを手がかりに>

 安倍晋三元首相銃撃事件で、殺人容疑で送検された山上徹也容疑者(41)=刑事責任能力の有無を判断するため鑑定留置中=は、自身の生い立ちや世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨み、母や社会への複雑な思いをツイッターで打ち明けていた。
 これまでの取材で事件の背景として浮かんできた「家族の破綻」「旧統一教会への憎悪」「母親への思い」「孤独」といったキーワードでツイートの“肉声”を振り返る。

山上容疑者は事件前日、一通の手紙を出し、その中で自らのツイッターアカウントを明かしていました。

ツイッターに残されていたのは、2019年10月から22年6月末まで続いた1300件以上の投稿。中には壮絶な生い立ちや家族への複雑な思い、旧統一教会への恨みがつづられたものもありました。

 「オレは母を信じたかった。それ故に兄と妹とオレ自身を地獄に落としたと言われても仕方がない」(19年12月7日)。若い頃、容疑者は母がいつの日か家庭に戻る日を信じて、きょうだいと過酷な生活を耐え忍んでいたようだ。投稿では、「母」や「お袋」というワードが約30回登場する。親子の情愛を感じさせつつも、突き放したり、恨み言を述べたり、と批判的な言及に終始している。わずかな希望も消えうせてしまうほど、母は統一教会に没入していた。

彼は誰に、何を投げかけたかったのか。膨大なツイートをキーワードごとに振り返り、容疑者の横顔に迫りました。

<「国葬」弔意はどう示すべきか>

 政府は、街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の国葬を9月に営むと決めた。野党から疑問や反対の声が上がる中、国会での議論を経ずに決まった「国民的行事」。戦時中に戦意高揚に利用されることもあった国葬は、戦後、根拠法令の失効とともに国民葬や内閣・自民党合同葬へと形を変えてきた。なぜ、今になって国葬をよみがえらせるのか。歴史的経緯に詳しい専門家は「内閣の思いつきで実施できてしまう状態は極めて危険だ」と警鐘を鳴らす。

安倍元首相の国葬は9月27日に日本武道館で挙行されましたが、現在、国葬そのものを規定した法令はありません。国会での議論も経ないまま実施が決まったため、是非をめぐって世論は大きく割れました。

戦後、国葬が実施された首相経験者は吉田茂元首相のみ。安倍氏は2例目でした。戦前や戦時中は戦意高揚のために、国葬が政治的に利用されてきたという指摘もあります。

いったい国葬とは何なのか。われわれはどう受けとめれば良いのか。これまでの歴史や、議論のポイントを整理しました。

<諸外国に学ぶカルト対策>

 安倍晋三元首相銃撃事件では、山上徹也容疑者(41)が凶行に及んだ動機について、母親がはまり込んだ世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みだったことが指摘されている。勧誘方法や集金システムが問題視され、元信者から起こされた訴訟にも相次ぎ敗訴してきた旧統一教会だが、これまで規制は加えられてこなかった。
 宗教観や歴史は国ごとに異なり一筋縄ではいかないカルト対策だが、カルト問題を研究している北海道大大学院の桜井義秀教授や、宗教と政治の関係に詳しい東京大伊達聖伸教授への取材などから、フランスとアメリカの状況を紹介し、日本が取り得べき方向性についてまとめてみたい。

事件をきっかけに、宗教団体による度を超した勧誘や高額献金問題も改めて注目されました。「信教の自由」の名の下、この国ではタブー視されがちだった宗教批判。諸外国ではどう向き合っているのかを紹介し、日本がとるべき対策を模索しました。

<今後の取材は…>

今週始まった臨時国会では、政治家と宗教団体の関係や国葬の問題を巡って、与野党の激しい議論がありそうです。国は旧統一教会の問題や、宗教2世の声にどう向き合うのでしょうか。

山上容疑者は11月下旬まで、精神鑑定のための「鑑定留置」という処遇になっていますが、その後も警察・検察の捜査は続きます。奈良支局の記者を中心に、捜査当局への取材も継続中です。

何を取材し、何を書くか。取材班でも日々、議論しています。

皆さんのご意見もお聞かせ下さい。



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