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・今日の周辺 2023年 ドアの外に蒸し暑い夏


○ 今日の周辺
ヘッドフォン新調する。
前に使っていたのと同じメーカー、同じ価格帯だけれど、2年でノイキャンの性能も音質も大分変わっていて、前のは毎日使って、イヤーパッドも1回変えたし、もうボロではあって、買い替えてよかった。
仕事、撮影の合間、ペアでやっていた人が「最近アジカン聴いてるんですわ」とか言い始めるから、「今!?」となり、「サーフ ブンガク カマクラ」の完全版がリリースされたこと教えてもらい、「BEST HIT AKG」が出たとき私は中学生で、収録順に全曲カラオケで歌ったんですよね、友達と、って、今、通勤電車で聴いている。こんなに目の前がゆっくりとなって焦点が合ってくることに驚く。中学生の頃の身体性?すらも自分に再現されるような、音楽を聴くことで気分ががつんと、ごろんと、ふーっと変わっていく体験、いつも驚く。じっくりと着実で安定感のあるボーカルも、爽やかなメロディも、それらを支える堅実なリズムもすき。
その年は、はじめてその友人とロッキンに行ったりしたんだよな、とか、8月ということもあっていろいろ思い出される。いつもはこの40分で本を読むけど、アルバム聴き通す40分の通勤もいいな。

日記を書き続けること、この8月で8年目に入る。
始めた頃に想定していた10年日記は、案外果たされそうで、着実な流れでありながら、やはり驚いてもいる。
最初は40字×5行の200字くらいの日記を手帳の枠に書き留めていて、それが毎日大体1,000から3,000字くらいに。それを週末にまとめて「今日の周辺」としてnoteに投稿したりしてる。人に話すことが躊躇われたことや、ふとした違和感や相対化させたくない些細なこと、自分の周囲に起こった素晴らしく感じられたことなどを自分のためだけに、自分の言葉で書き留めておきたい、ということは中学生のころから自分のなかにあったけれど、中高は忙しくてそれどころでなく、書いても続かずの繰り返しだった。19歳の夏にようやく、続けることを前提に、RollbahnのA4サイズの分厚いノートを購入して、日付をふって書き続けることにした。書き続けて、今度は自分の言葉で、その上で、自分以外の人にもわかるように書こう、と心がけ始めたのはここ数年のことで、自分が言葉で言いたいこと、伝えたいことに遠慮はしないけれど、自分以外に読む人がいる、ということは忘れないようにする。


○ あれこれ
立岩真也さんという社会学者の方の訃報を目にして、その人のことを知る。
障害者や優生思想、安楽死について論考を書かれていた方。
『人間の条件 そんなものない』、『病者障害者の戦後 生政治史点描』読んでみようと図書館で借りてくる。
『人間の条件 そんなものない』はすごい本な予感がしてる。全ての漢字にルビが振ってある。ほとんど全てのページに100%ORANGEの挿絵がいくつも差し込まれた、和やかで明るい雰囲気のある本。分厚い本には一時気後れしても、分厚い漫画なら読み通せると思える、それに近い、こんなに「ウェルカム」溢れる本はない、そんな印象を抱かせる。

寺尾紗穂さん『日本人が移民だったころ』冒頭を読んでる。戦後、誰もがひもじく悔しくつらく悲しく寂しく虚しい思いをしたのに、それでもその場に、異なる場所で異なる体験をした人に対する差別があった、ということに驚く。大きく強きものに連なれ固まれ、そうしていれば私は無事なのだ、そう信じて、そうでない人やそうできない人をなしにしてしまう人たちのこと。戦後であれ、災後であれ、アフターコロナであれ(こうしたまとめかたは安易だとは思いながら)そのことに変わりがないのだとしたら。それに、その前には関東大震災だってあった。
同情でも、共感でもなく、どうすれば隣り合いながら異なる生を歩んでいる人のこと、アシストすることを自分の生に少し編み込んで進んでいくことができるだろう。


できるだけ自分がそうしたいということに忠実に、岐路を分け入っていくことができれば、味方でいてくれる人はぽつぽつ、確実に、見つかって、増えて、自分の中に緩やかに手を繋いでいく。
それでも心細く、自分に薄いベールをかけて、どうにかやっている。

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今日は短め。これから友人と花火大会。
昨日、仕事の休憩に外で食べたみるみるうちに溶けていく真昼のサクレ梨おいしかった。

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