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『幸せの本質』と『自分の人生』についての和多志の正直な気持ち

(20240501 22:22 追記あり)

今回は、Youtubeのお勧めに出て来た動画で話されていた内容について思った、和多志の正直な気持ちを書きたいと思います。

めちゃくちゃネガティブな内容なので、苦手な人はスルーして下さいね!

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【幸せの本質】「周りから幸せと思われることが至上?」「カネは資本主義世界の命綱」肉乃小路ニクヨ×岩井志麻子が語る!本当の幸せを犠牲にしな…

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『眠れない夜』

和多志の『眠れない夜』は、幼少期から長年『その日1日の反省と自分責め』が酷い時でしたね。

50代で『実家と婚家からの根深い洗脳』を解いてからは、意識的に『その日1日の楽しかった事や出来た事を思い出し自分褒め』に変えたので、やっとグッスリ眠れるようになりました。

『寂しい』という感情は、『実家と婚家の中で家族が居た時』の方が、かなり感じていました。

和多志的には、『寂しい』というより『虚しい』という表現がしっくり来るんですが、1番それを感じたのは、結婚後、すぐ隣に夫が寝ているのに、『他人』というか『物凄く離れている人』みたいな感じがして、

「夫婦って何だろう?」

と、多分、結婚生活7年間ずっと毎日、虚しく感じていたと思います。

『両家からの根深い洗脳』を解いた今思えば、元夫や婚家が考えている『夫婦』というか『妻・嫁』とは、一般的に言われている『助け守り支え合う家族』ではなくて、『使い勝手の良い家事奴隷、トイレ代わり、子産み・子育て・親と夫の介護ロボット』であり、『家族のストレス発散の為のスケープゴート=サンドバッグ・ネガティブのゴミ箱』でしたからね。

今思えば、『和多志への愛情など皆無』な夫と婚家だったので、当然です。

和多志の場合は、『結婚=一生の奴隷契約』でした。

和多志は、実家でも婚家でも、相手達に対し、『助け守り支えるべき大切な家族』と思っていましたが、相手達からしたら、和多志は『家族達が生きる為に必要な奴隷・スケープゴート役の人』でしかなかったわけですからね。

その事自体には、『当時、根深い洗脳中』でもあり、実家と似たような扱いだった為に、一切、気付いていなかったんですが、和多志は『感覚で虚しいと感じていた』んだろうと思います。

なので、和多志は、この人生で、周りに常に人は居ても『味方』はおらず、『心は孤独』で、『味方が居る、心温まる幸せ』を体験した事が無かった為か、『寂しい!』と思った事が記憶にありません。

今も『最期まで1人』だろうと思っているし、『誰かと一緒に住む』事なんて、過去の両家との体験から、もう想像しただけで『地獄』だと思ってしまう程なので、最期まで『寂しい!』という感情は体験しないだろうと思います。

動画で志麻子さんが言われていた、
「家族から嫌われてても、世界と繋がっているからいいや!」
と同じく、和多志も、
「この世で『本物の=愛情ある家族との縁は無かった』としても、和多志は『大宇宙の中の1人』だから、それでいいや!」
と思うようになりました。

『ひとり旅』をするような経済的余裕もないし、方向音痴で乗り物酔いも酷いので、修学旅行以来、最期まで旅をする事もないと思いますが、『自分の気持ちを正直に書き出す』事で気分転換をしながら、最期まで、出来る限り日々を楽しく生きて行こうと思っています。

『幸せ』の定義

和多志が、物心つく幼少期から洗脳を解くまでの約50年近く、一途に追い求め続けて来た『幸せ』は、やはり子ども時代、自分の時間なんて無い程に、どれだけ必死に親孝行し続けても、『一切、満たされなかった承認欲求を満たす事=和多志の命を認めて貰う事』だったんですよね。

今思えば、『本末転倒』なんですけど、『命を認めて貰う』為には『自己犠牲』は当然だった為に、ずっと身心を壊し続け、病院通いばかりして来たし、結局、『和多志の大切な人生をドブに捨てる結果』となってしまったんですけどね。

そこまでしても、とうとう『実家と婚家の家族という名ばかりの人達』から『命を認めて貰う=存在を認められる』事はありませんでした。

余談ですが、最近、あるドラマで、『誕生日に祝って貰う=自分という存在に感謝される日』みたいな事を言われていて、ふと和多志自身の事を考えてみたら、実家では家族の誕生日を祝ってはいましたが、毎年、母親から、

「お前達の誕生日は、母親の私が産みの苦しみを味わった日なんだから、母親に感謝する日なんだから、それを一生忘れないように!」

と言われていたので、『誕生日=産んで頂いた母親に感謝する日』でした。

もちろん婚家でも、和多志は家族や親戚達の色んな記念日に、頭を悩ませてプレゼントを買い、お祝いしていましたが、誰も和多志の誕生日など覚えてもおらず、お祝いなどして貰った事はありませんでした。

なので、その事を知った夫の呑み友達が、和多志を可哀想に思い、1度、花束を夫の名前で送ってくれた事がありましたが、その事がすぐにわかり、嬉し過ぎて涙が出ました。

そして、離婚の話し合いの時に、いつものごとく、夫は和多志に、

「結婚後、お前に食わせてやったのは誰だ!
 それに、誕生日の日に花束もやっただろうが!
 お前には、夫に対する感謝の気持ちが無い!」

と、『結婚生活7年間で妻に恩を着せる事』が、実際、それ以外に何も無かったという事実。

いつの間にか、花束は自分がやったという事にしていたし。笑

実際、どうにか仕事だけはしていましたが、それ以外は一切、何もせず、毎日、家では暴れまくり、物を壊しまくり、吐いたりして汚しまくり、散らかしまくりながら、暴言・暴力の嵐だったんですよね。

「男性って、こんなにも手が掛かり、女性は苦しむものなのか!
 世の中の、長年連れ添っているご夫婦の奥さん達はすごい!
 和多志には、いつまで耐えられるか、命が持つかわからない!」

と、他の男性の事を何も知らない和多志は思いました。

そのドラマを見ていて、

「今思えば、『誕生日のお祝いをされた事がない』という事でも、『和多志の存在を認められ感謝された事がない』という事か…。」

と胸の奥が痛くなり、涙が溢れた事がありました。

30歳で離婚、40代後半で実家とも絶縁後、長年、独学し続けて来たお陰で、自力で『根深かった洗脳』を解いてからは、

「『普通ならば、子ども時代に愛情溢れる親子関係で自然と満たされるはずの承認欲求』が満たされなかったとしても、その事に気付き、『自分自身が、ありのままの自分を丸ごと受け入れ認め愛し大切にする』事によって、心の穴を埋める事が出来る!」

と学び、意識的にそれを実行するようになったので、『一切、満たされなかった心の穴』も、今は、どうにか埋める事が出来ています。

「和多志の命を親から認めて貰えないのならば、誰でもいい!
 和多志の命を認めて~!」

とばかりに、ずっと長年、誰かれ構わず、周りの人達全員に、必死に尽くしまくって来ましたけどね。笑

なので、幼少期から約50年近くの『超~他人軸で自己犠牲・自責思考の奴隷マインド』から卒業して以降の『和多志の幸せ』は、

『毎日、眠れる自分の部屋があり、1日1食でも食事が出来て、着る洋服があり、生活費を支払う為の仕事があり、誰からも奴隷扱いされず、ひとりで自由に毎日を過ごせる事が幸せ!』

となりました。

和多志は子ども時代からずっと、和多志が生きている全てに対し、親から些細な事にまでも『酷過ぎる恩』を着せられ続けて育ったし、結婚後、DV・モラハラ・サイコパス人格の夫からも『酷過ぎる恩』を着せられて来たんですよね。

なので、離婚後、母子家庭になってから、夫・婚家・親戚中から、『酷過ぎる恩』を着せられる事が無くなった事にホッとし、実家との絶縁後に、更に心底ホッとしたので、『ひとりが精神的に1番楽!』なんです。

今思えば、それだけ『実家と婚家の家族という名ばかりの人達』は、自分達が生きる事だけで一杯一杯で、和多志を根深く洗脳し『主従・共依存状態』にして、『奴隷・サンドバッグ・ネガティブのゴミ箱扱いして頼り切っていないと生きる事が出来なかった』けれど、でも、逆に、普通に『和多志の為に何かをする』という事は一切出来ない人達だった為に、『些細な事にまで酷い恩を着せ続ける事で、和多志が相手達に一切頼れなくしていた=一生、一方通行の関係性を継続させたかった』という事だと思います。

普通に『心の余裕と愛情』があれば、『家族に、しかも立場的に弱い子や妻に、酷い恩を着せ続ける』なんてしませんからね。

結局、幼少期からずっと実家と婚家の家族達から『奴隷・サンドバッグ・ネガティブのゴミ箱扱い』され続け、その上、両家では『人付き合い禁止』だった為に、友達すら作る事も出来ず、次々命令されダメ出し・全否定され続けながら、約50年近く、自分の自由な時間も無く、必死に家族を初め、周りの人達にまでも尽くし続けて来ました。

でも、和多志が困ったり苦しかったりした時に、家族に言えば、全て突っ撥ねられ、助け守り支えて貰った体験もほとんど無く、誰からも愛され大切にされた体験も無く、ずっと家族や周りの人達を、『自己犠牲』してまでも必死に助け守り支え続けて生きて来て、ふと気付けば、『全てを失い、孤独で貧乏のどん底のおばあちゃん!』なので、世間から見たら、バカにされ蔑まれ爆笑される程のネガティブ過ぎる『生き地獄人生』なんですけどね。

でも、今、和多志は、様々な事を学び気付く事が出来て、普通の人達の何十倍、いや何百倍も『魂磨きが出来ている(最期まで継続中)』と思っているので、『この地球に来た意味はあった=魂磨きは存分に出来ている!』と納得しています。

というか、無理やり納得する事にしました。笑

『それが幸せか?』と言えば違いますけど、

「こんな悲惨過ぎる人生で、幼少期から『常に自分責めし続け自4を考え続けて来た』程だったのに、今は意識的に自分責めも自4も考えなくなり、『今、命があるだけで奇跡』だ!」

と心底思えるので、その事を考えると、『今、自分責めと自4を考えなくて済む環境になっただけで幸せ!』だと、毎日、和多志は大宇宙に感謝しています。

志麻子さんも言われていますが、
「誰が何と言おうが、私が幸せなら、それでいいのよ!」
って事ですね。

ニクヨさん
「幸せって、なるもんじゃない。
 息をしているだけで気持ちいいとか、朝起きて光を浴びて、それだけで『最高だな!』という気分になったりして感じる事!」

これ、ホントです!

和多志も、やっと50代で『ひとり暮らし』に戻れてから、毎日が心底穏やかになり、誰にも気を遣わず、自分が決めた時間に、自分が決めた事をやり、誰からもダメ出し・全否定も命令もされず、急に視界が広がって、世の中がめっちゃ明るくなった感じがしたんですよね。

幼少期から長年、毎朝、目が覚めると憂鬱だったし、常に周りにいる人達にビクビクして気をすり減らし続け、常に先回りして、相手達が喜ぶように幸せになるようにと、自己犠牲は当然で身心を削りながら、まるで『自分を削って周りを照らし続けるロウソク』みたいに生きて来ましたからね。

でも、ひとり暮らしに戻ってからは、毎朝、目覚めた時にすがすがしいし、空気が美味しいし、本当に静かで穏やかだし、誰にも気を遣う事なく、1日を自分が計画した通りに生きる事が出来て、何の問題も起きない。

でも、まだまだ人間関係には弱いところがあって、職を転々としているし、頼れる人を作って来なかったから、体調を壊した時はひとりで寝込むのは当然だし、経済的な事では、どん底を這いつくばって生きていますけどね。笑

あ、でも、体調が悪い時に、枕元で怒鳴られる事なく、静かに寝ていられるだけで、看病してくれる人が居なくても、それは当然で生きて来たので、何しろ、誰にも気を遣わず、ゆっくり寝ていられる事が、心底、幸せなんですよね。

経済的な悩みは常にありますが、それ以外の事は、何しろ、はたから見たら『孤独で不幸のどん底』かも知れませんが、和多志自身は、過去を考えると、めちゃくちゃ『幸せ』なんですよね!

志麻子さん
「病気をすると、『昨日までは健康で幸せだったのに!』と思ったりもする。」

和多志も、幼少期から長年、病弱で病院通いばかりして来て、散々、実家からも婚家からも、病弱な事を責められ続けて来たし、もちろん和多志は、家族が寝込むと、一晩中、寝ずに看病していましたが、和多志は家族から奴隷扱いだった為に、寝込む事さえも許されず、ちょっと横になっただけで枕元で怒鳴られていたし、看病なんてされた事もなかったし、産後5日目に帰宅してからも、もちろん寝る事も出来ず、出産入院中に、夫がわざと散らかしまくった部屋の掃除をして、いつも通り家事を全部して、赤子より手の掛かる、暴れまくる夫の世話もして、毎回、半年以上、出血が止まらず、産科の医師から怒られていましたけどね。

そのせいか、更年期も長引き、きつかったです。

当時は、『洗脳が根深過ぎて、自分責めが酷かった』ので、自分でも、

「身心共に弱過ぎて、家族に迷惑ばかり掛けている和多志なんて大嫌い!」

だったんですよね。

でも、様々な事を学び気付き、家族と離れた事によって、

「こうやって身心を壊すという事は、無理をしているという事だ!
 大宇宙からのサインだから、今は身心を休める時なんだ!
 身心も、自己防衛本能で、これ以上酷くならないようにと、教えてくれているんだ!
 大宇宙と和多志自身の身心が教えて下さって有難い!」

と、不思議な事に、ポジティブに受け取れるようになったんですよね。

やはり、家庭も職場もですが、『自分が生きている環境』って、本当に重要ですよね!

周りの波動が『病気は悪!病気しているお前は悪!』という波動だと、言われている自分自身も同じ波動になって、『自分責め』が酷くなるばかりですからね。

志麻子さん
「私も『型にハマった幸せに囚われているのかな?』と思うのが、『パートナーが居る事が幸せ!』みたいに思い込んでいるところがある。」

ニクヨさん
「私も『飽き性』なので、同じ人だと飽きちゃうところがあるから、パートナーを決めかねている。
 だからと言って不特定多数と、というわけではなく、私は相手は1人でいいけど、誰かと一緒に居ると飽きちゃうというのは、わかる気がする!」

と話されていましたが、和多志自身は、実家に居た時は、『根深い洗脳』によって、

「和多志みたいなダメ人間は、居るだけで人迷惑だから、一生、友達や恋愛や結婚なんて関係ない事で、一生、親に世話になるから親孝行し続けないと!」

と、『一生、未婚で親孝行し続ける』と思い込んでいたんですよね。

でも、恋愛より以前に、友達と遊んだ事もほとんどなかった和多志は、社会に出てすぐ、DV・モラハラ・サイコパス人格の元夫に突然無理やりで巻き込まれ妊娠し、告白も付き合う事もなく結婚する羽目になってからは、

「結婚したからには、一生、夫を支え続け、子をしっかり育て、両方の親の介護をする事が、女の仕事だ!」

と思うようになりました。

実家で頻繁に、夕食時、両親から『離婚して実家に出戻って来た女性や母子家庭になって苦労している女性へのダメ出し』を聞かされ続けて育ったので、『離婚・母子家庭・出戻りは悪!恥ずかしい事!』という認識になっていたので、和多志自身が突然結婚する事になった時は、

「どれだけ苦しくても、離婚なんて出来ない!
 離婚したら、両家の両親に迷惑を掛ける!」

と思い込んでいたんですよね。

『根深い洗脳』によって、『和多志なんか、一生、行かず後家!』と思い込んでいたので、『独身=不幸、結婚=幸せ』とは全く思っていなかったんですが、『離婚=親不孝』と思っていたので、職場の人とかに話すと、

「私なら、そんな異常過ぎる夫、1日も持たずに実家に帰って、即、離婚する!」

と言われるような『生き地獄結婚生活』を、命が惜しくなるまで7年、我慢し続けてしまったんですよね。

今、書いていて気付きましたが、和多志は『常に実家や婚家の家族の事、つまり、周りの人達の事』しか頭になくて、『自分の気持ちなんて考える余裕が無い』というか、幼少期から『抑え込む事が当然』で育ったので、本当に『超~奴隷マインド』でしたね。

そんな思考では、『周りは、めちゃくちゃ楽で幸せになる』だろうけれど、『和多志自身が幸せになれる』はずがありませんよね?

でも、そんな簡単な事にも一切気付けないように、『根深い洗脳』があったわけです。

志麻子さんが、友人の西原理恵子さんと話された事で、心底、納得した事が、このお話でした。

「女の怒りはポイントカード!
 夫との些細な事や違和感でポイントを押す。
 ある日、全部貯まった時に『別れましょう!』となる。
 でも、男としては、『何で、そんな些細な事で突然激怒するの?』となるけど、女としては、ずっとポイントカードに押して来た結果。
 私は、そのポイントカードの個数が少ない。」

和多志は、『毒親育ち』で我慢し続ける事に慣れているせいか、普通の人の何百倍も我慢出来ると思いますし、実際、様々な職場でも、たまに、

「あなたって、本当に我慢強い人ね!
 どうして、そんなに我慢出来るの?」

みたいに言われる事も多く、様々な職場で、和多志の我慢強さを悪用して、『和多志に次々と自分の嫌な業務を背負わせ、自分は定時に帰る』という人達も多かったんですよね。

なので、和多志の離婚も、夫が勝手に仕事を辞めなければ、まだ我慢し続けていて、30代で命が無かったと思うので、仕事を勝手に辞めてくれて、それで和多志も『もう、これ以上は命が無い!』と思えたし、その上、最初から浮気してくれていた事で、夫から『使い勝手の良過ぎる奴隷の和多志』に執着されずに、『3番目の妻候補』が居たので、どうにか離婚出来たので、本当に良かったと思い、夫が仕事を辞めた事と浮気相手に、心底、感謝しています。

『我慢強過ぎる』のも、確実に『不幸』になりますよね。

和多志自身、『古い思考の両親に根深く洗脳されて育っている』ので、つい何年か前まで、

「結婚したら、一生、添い遂げる事が当然!」
「家族は、一生、助け守り支え合う事が当然!」
「子どもは、出来る限り母親が小学校入学前まで育てるべき!」

みたいに思い込んでいたんですけどね。

でも、これまで様々な事を体験し、学び気付けた事で、最近では、

「『結婚制度』そのものがおかしいのでは?」

「『血の繋がったor戸籍が一緒の家族』と言っても、『魂は別物』だから、相性が悪ければ、離れた方がお互いの為!」

「子どもも、親と一緒に居る時間が長い方が良いのではなく、たとえ短時間でも、深くポジティブに関わる事の方が重要!」

と思うようになったんですよね。

人間は、この地球に『魂磨き』に来ていると考えると、『同じ人間関係の中で学べる事は限られている』と思うんですよね。

というか、むしろ、長くなればなる程、『お互いに』や『片方だけ』が、その関係性にあぐらをかいてしまい、『ネガティブな学びしか出来なくなる』気がします。

実家と婚家の両親も、本当は『仲が悪い』のに、経済的な事や世間体などで離婚出来ず、その『ストレスを子達に発散する事で無理やり継続』させ、結果、『子の人生を潰す』事になったわけですからね。

『機能する家庭』とは、夫婦自身もですが、子が社会で生きやすくする為の土台となるわけで、逆に、親子関係によって子が社会で生きにくくなる『認知の歪み』を植え付け、子の人生を潰す『機能不全家庭』ならば、『崩壊した方が双方の為』だと思うんですよね。

まぁ、両家の両親が離婚出来なかった背景には、時代的な社会的構造の異常さ(女性が母子家庭になったら生きて行けないように、女性の職も少なく低賃金にされていた事)もあったので仕方ありませんが。

これからは、『家族』という事に拘らず、『赤の他人』であっても、『気の合う仲間達を探して、本当の意味で助け守り支え合って生きる』という事が『人間本来の幸せ』だと和多志は思います。

それに子育ても、和多志自身、結婚中は『子どもは小学校入学前まで母親の手で育てる事が当然!』と思い込んでいましたが、離婚し母子家庭になった為に仕事をしなければならなくなり、娘は2歳から保育園に預ける事になり、心底申し訳なく思っていたんですけどね。

でも、今思えば、そのお陰で、娘は保育園の先生方とお友達のお母様方から存分に愛され人気者だったので、結婚時代に夫からDV・モラハラされ続けながら真面目腐った和多志1人で、厳しく育てた上の子達よりも、自由にノビノビ育ってくれたので、その方が良かったと思いました。

そもそも、私達は『人ぞれぞれ違う』のに、皆、同じように結婚して、一生、同じ相手と一緒に居続けて、子を産み子育てして…みたいな事が、『一般的な幸せ』だと言われている事自体が異常ですよね?

『結婚』や『家族関係』や『子育て』が合わない人だって居るのに。

和多志自身、『毒親育ちで認知が歪んでいる』し、『一緒に居る人を甘やかし過ぎる=相手達を怠惰にしてしまう』性格なので、やはり結婚・家族関係・子育てなど、一切合いませんでした。

ニクヨさん
「私は幸せを感じる閾値というかポイントが低いので、その点では幸せになりたいと悩んではいない。
 でも、若い頃は人と比べて比べて、嫌になって引きこもった事もある。
 『周囲の幸せに自分を当てはめに行こう!』と言っていて、散々苦しんで、『なんで窮屈な思いをして生きているんだろう?それって、幸せな事じゃないよね!』と気付いて、『幸せってなるもんじゃなくて、実は身近なところにあって感じるものなんだな』という事を痛感したというか、そうなって来たっていう事があるかも知れない。」

と言われていたように、『幸せ』とは、『表面上の形』ではなく、『内面で感じる事』なんですよね。

だからこそ、実家と婚家の家族達は、

「お前が、私達をor俺を、一生、幸せにし続けろ!」

と和多志に常に命令していましたが、『どれだけ和多志が相手達を楽で幸せな状況にし続けた』としても、相手達自身が、
『些細な事にも幸せだと感じ、感謝する事が出来る感性と思考』
が一切無いならば、『和多志の全ての無理と我慢と血の滲むような努力は、無になる』という事です。

なので、実際、全てが『無』になり、和多志は全てを失い終わりました。

そういう体験もあって、『親子兄弟・夫婦・家族』に拘らず、どんな形だろうが、『本人達が幸せなら、それでいいんだ!』と、少し前に、和多志の考え方が変わりました。

だからと言って、かなり前に、同じ母子家庭のお母さんとメル友になって、メール交換していた事がありましたが、その女性が和多志とは真逆の恋愛体質で、付き合っている相手は『妻子持ちのかなり若い男性』だったんですけどね。

驚く事に、その事を自分の母親と中学生の娘にも話し、会わせても居たんです。

『相手に離婚して貰って再婚する』気など無いけれど、『一生、墓場まで持って行くつもり』だとメールに書いてあり、心底ビックリした事があったんですよね。

お互いの気持ちは、それで良くても、相手の妻子の事を考えると、何とも言えませんでした。

相手の妻子も知っていて、それで良いのならば、それでいいんでしょうけど、妻子は全く知らないわけですから、『相手の男性は妻子を裏切っている』事になるわけですよね?

「それは違うのではないか、その相手が優柔不断過ぎるのでは?」

と和多志は思いました。

まぁ、男性としては、『両手に花』で、その状態がいいのかも知れませんが、それならそれで、妻子に正直に言って話し合う事が必要ではないかと。

和多志自身が、妻子の立場で考えると、やはり夫や父親には正直に言って欲しいですからね。

色んな『夫婦・家族の形』があると言っても、やはり基本は『皆が納得して、皆が幸せな、誰も苦しまない形』ですからね。

『お金があれば幸せになれる?』

ニクヨさん
「お金って別の側面で、『嫌な事をしなくていい権利を貰う』という事だと私は思っている。
 お金に困っていると、受けたくない仕事も受けざるを得ない状況になる。
 お金が無いと、どこにも行けないし、トータルで言えば、『お金は自由をもたらしてくれる』と思う。
 なので、自由をすごく大事にしているから、自由の為に必要なものと言えば、資本主義社会の世界ではお金なので、お金を大事にしようという話をしている。」

と話されていましたが、和多志自身、実家も婚家も貧乏だった為に、『貧乏・奴隷マインドが染み付いている』からか、ひとりになっても、未だ、ド貧乏のままです。笑

お金があれば、これ程の『生き地獄人生』にはならなかったとも思います。

子ども時代からずっと未だに『お金の為=食べて生きる為に嫌な仕事ばかり』しています。

もういい加減、卒業したいですが、なかなか、自分がやりたい仕事では、生活費分など、ほとんど稼げないので。大汗;

『人生で最も不幸だった時代』

志麻子さん
「若い頃に、新橋のウイークリーマンションに居た、孤独でうつになりそうになった時の事を思えば、今は何だって出来るし、今は何だって幸せだと思える!」

と言われていましたが、和多志も、実家と婚家に居た時の『生き地獄生活』の事を思えば、今は本当に自由だし、心底幸せを感じる事が出来ています。

よく、職場の人達とかが、

「やっぱり実家が1番ゆっくり出来て安心出来る!
 子どもの頃や若い頃は幸せだったなぁ~!
 あの頃に戻りたい!」

と言われているのを耳にしますが、和多志は一切、過去に戻りたくありません。

実家も婚家も『針のムシロ』でした。

幸せだった思い出なんて、ほとんど記憶に無いけれど、苦しかった記憶ならば、どれだけでも思い出せるし書き出せます。笑

志麻子さん
「田舎にある実家は、台所は土間だし、トイレは外に汲み取り式があるし、今の人からしたら、とんでもなく貧しいだろうけど、当時は、それが普通だったから、特に貧しいと思わなかった!」

和多志の子ども時代も同じでしたね。

でも、明らかに、他のクラスメイト達の家に比べると、めちゃくちゃ貧しかったと思います。

よく風邪をひいて欠席していたので、今にも倒れそうなボロ借家に、クラスメイト達が給食のパンを持って来てくれていたんですけど、めちゃくちゃバカにされて、

「こんなボロ家に、よく人が住めるよな~!」

みたいに言われて、石を投げられていましたからね。笑

でも、和多志は、両親が必死に働いて頑張っていた姿を毎日見て、和多志も家族の一員として、幼少期から毎日、家事をしていたので、親に対して、

「どうして、うちは、こんなに貧乏なの?
 親が貧乏だから、子どもの私が苦労する!」

みたいに、『母子家庭時代の娘が和多志に文句を言った』ようには、一切、思わなかったんですよね。

むしろ、必死に兄と和多志の為に頑張って仕事をしている、真面目な両親を見て、尊敬し続けていたので、

「頑張っている両親の足を引っ張ってはいけない!
 両親が仕事を頑張る事が出来るように、家族として和多志に出来る事を精一杯やらなきゃ!」

と家事と父親の仕事の手伝いを、毎日必死に頑張っていましたからね。

『皆が貧しかった昭和の時代』

ニクヨさん
「昔は、貧富の差が無かったから、そこまで不幸だとは思わなかった。
 やはり、『人とのギャップ』なんだろうと思う、幸せも不幸も。
 インスタとかで幸せそうに見えても、『裏では足掻いている』んだろうなという事が、今は想像がつく。
 一歩踏み込んで考えると、『世の中には、そんなに羨ましい事ってない』気がする。
 基本的に、そこで悩む人って、『表面上の事しか見ていない人』じゃないかと、私は思っている。
 そこの『葛藤』みたいなものを、皆、抱えていて、『眠れない夜』を迎えている人が多いのかな?と思う。」

ホント、そうですよね。

年齢を重ねるごとに、様々な体験をして、学び気付いて来ると、だんだんと『物事には表と裏がある事が見えて来る』ので、それを考えると、ポジティブな面の裏には必ずネガティブな面もあるので、両面を考えると、

「表面上だけ見て、人と比べて落ち込んでも仕方ない!
 表では幸せそうに見えても、裏は不幸かも知れないし。
 皆、表と裏があるんだから、和多志も、今の自分で十分幸せだ!」

と思えるというか、思い込ませているというか。笑

そりゃ、『普通の人が体験する幸せ』というものを、和多志も体験したかったですけど、実際は、『誰も体験しないような生き地獄人生』だったわけで。

前世が終わったあの世で、自分が決めたのか、大宇宙=神様が決められたのかは、記憶を消されているので誰にもわかりませんが、『今世は、こんな人生だ!』と決められて生まれて来たのでしょうから、文句言わず真っ当するしか仕方ありませんからね。笑

最近では、もう『悟りの境地』なのか、

「この年になって、今更ジタバタしたり後悔しても、どうしようもないから、この『生き地獄どん底人生』を最期までしっかり味わい切って、逆に、誰も体験しないようなネガティブ状況を、視点を変えて、どうにか楽しみ尽くして終わろう!」

と思うようになりました。笑

きっと、性格的に誰よりも、我慢強過ぎて頑張り屋過ぎる和多志は、前世が終わった時に、『次の人生は普通の幸せな人生では退屈だ!』と思ったんだろうと思います。

そう思う事にしました。笑

どんな状況、どんな人生でも、丸ごと受け入れ認め愛し、真面目に一生懸命に生きて、最期まで『魂磨き』をし続け、『自分の人生を心から納得出来る思考』にして寿命を迎える。

それこそが、『私達人間の生きる道』というか、『この地球での課題』だろうと思えるようになれたからです。

と言うのも、和多志の母親が亡くなる前に、
「割り切れない!」
と、よく言っていたんですよね。

今思えば、両家の家族達は皆、『超~他責思考』で、何か問題が起きる度に、和多志に、
「お前が全部悪い!」
と全責任転嫁していたし、他にも、

「土地が悪い!引っ越した時の風水が悪かった!間取りが悪い!
 先祖が成仏していない!水子が祟っている!親戚が悪い!
 職場が悪い!職場の人達が悪い!」

等々、全ての問題の原因を『自分以外のせい』にしていましたからね。

つまりは、両家の家族は皆、

「自分の思い通りにならない物事や、自分の言った通りにしない相手が悪い!」

という思考だったという事です。

和多志は、幼少期からずっと『全責任転嫁され責められ続けて生きて来た』為に、『自責思考』と『自分責め』が当然となり、常に『自4』を考え続けていた程に、本当に苦しみ続けましたが、そのお陰で、今の境地に辿り着けたと思っています。

今では、両家の家族達を『反面教師』にして、『全ては自分』と思い、『自分の人生に納得出来る』ように、自分自身の思考と言動を変えながら、というか、幼少期から抑え込み続けて来た『ありのまま』に戻しながら、最期まで、自分の人生の責任を自分で取りながら、些細な事に幸せを感じ、この大宇宙の全てに感謝しながら、生き切りたいと思っています。

『和多志自身の生き地獄人生のカラクリがわかった』からと言って、今更、実家と婚家の家族を責めたり憎んだりしても、和多志の過去は変わらないし、それで、これからの和多志が幸せになれる事もないんですよね。

冷静に考えてみると、和多志自身がそうだったように、誰も好き好んで『大間違いの苦しみの人生を生きて来た』わけではなく、『そうならざるを得なかった理由があり、それに気付けなかったからこそ苦しみ続けた』わけですからね。

実家の親兄弟や婚家の元夫・義両親・親戚達も、皆、

『自分の苦しみの原因に気付けず苦しんでいて、和多志をスケープゴートにして、ストレス発散して、その場しのぎで生きて行くしか術が無かった』

という事ですし、つまりは、両家の家族達は、『常に自己反省し、自分の思考や生き方を変えながら、自分の人生の責任を取り生きる』という事が出来なかったという事なので、『本人達の生き様』は和多志には責任はありませんし、もちろん、『本人ではない和多志には、どうしてあげる事も出来なかった』ので仕方ありませんからね。

和多志がやった事は、結局、相手達に尽くし過ぎて甘やかし過ぎて、『自己反省の機会を与えなかった=魂磨きを阻害した』わけですから、

『自分の身心を壊す程に自己犠牲し、大切な人生をドブに捨ててまでも、必死に尽くし続けて来た事全てが、相手達の魂磨きを阻害していた!』

という事に気付いた時には、全身脱力し、その場にへたりこんでしまい、気が狂いそうになりましたけどね。

でも、必死に正気を取り戻し、

「あ~だからこそ、皆それぞれが、ありのまま自然に生きる事が重要なんだ!
 『主従・共依存関係』に洗脳され、奴隷側は、常に自分を抑え込み、周りの主達の奴隷として、必死に尽くし続けて生きたとしても、奴隷側の人生が潰れるだけではなく、主側にとっても、その時々の一瞬一瞬は楽で幸せかも知れないけれど、それに慣れ過ぎて、どんどん怠惰になって行き、『何にも気付けず自己反省出来ず魂磨きが出来ない、最期まで苦しい人生』になるんだ!」

と気付けたんですよね。

これは、男女関係に強く言えます。

『家事・子育て・親の介護は、女の仕事!』と、ほとんどの男性達は思っていますが、その思考で生きて、両家の親の介護も看取る事も妻ひとりにさせ、その後、苦労ばかりだった妻が先立った時、残された夫は、自分の世話が何も出来ず、子育てもしなかった為に、子ども達からも嫌われ、自分の介護をする家族は誰も居ない事になります。

でも、夫は全てを妻に任せ、全ての責任を妻に背負わせ生きて来たので、自己反省が出来ません。

なので、最期は、孤独に施設にお世話になる事になり、『自己反省が出来ない夫は、妻子を恨んで寿命を迎える事になる』わけです。

お互いに何も良い事はありません。

やはり、家族は甘やかさない事が重要です!

和多志は、今世では、この事を1番学び、大反省しているところです。

この世界にも同じ事が言えます。

いつまでも、『縦の支配社会=主従・共依存関係』で居続けても、誰も幸せにはなれません。

主側は自己反省出来ないまま、どんどん奴隷への要求・命令・支配がエスカレートして行くばかりで、奴隷側の私達庶民は、どんどん生活が苦しくなって行き、健康を害し寿命も縮まるだけですからね。

『お互いの幸せ』の為に、『この支配社会を、絶対多数の私達庶民の手で変えて行く』しか術はありません!

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(追記)

この記事をアップしたあと、インスタを見ていたら流れて来ました!

本当だ!

和多志も、自分を散々粗末にし続け、一切、自分に感謝する事なく、周りの家族や他人達ばかりを大切にし続け、感謝し続けて生きて来たので、長年、生き辛さを抱え込み続け、人生、詰みました!

今は、やっと『自分自身の気持ちを大切にし、自分の身心に感謝するようにした』ので、めっちゃ生きやすくなり、心の穴も埋まりました!

まずは、『自分自身を大切にし、自分の身心に感謝し、自分自身を愛で満たす』事によって、その次に、『その溢れた愛を周りの人達にも分ける事が出来る』ようになりますからね。

しかしながら、和多志は幼少期から、母親の洗脳により、

「自分の事より何よりも、家族や周りの人達の事を最優先して考え、相手達が笑顔になり幸せになるように、常に先回りして言動出来る人間が、レベルの高い人間だ!」

と死つけられましたからね。

つまりは、わかりやすくお金に例えるならば、

「自分の財布にお金が無くても、借金してまで、人におごる事が出来る人間が、レベルの高い人間だ!」

という事。

実際、和多志は、お金も借金してまで、家族達にプレゼントを買ったり、実家に呼び出される度に、自分は買えない食べないようなものを手土産に持って行ったり、職場の人達にお礼をしたりして来ましたからね。

全てにおいて『自己犠牲』の人生でした。大汗;

ずっと、『自分の為に』が頭に無かった、大バカな和多志だったからこそ、年をとっても、未だ『ド貧乏で苦しみ続けている』わけです。

『バカは4ななきゃ治らない!』という事ですね。苦笑

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人間って、無意識に自分がやって欲しい事を、先に自分が相手にやってしまってますよね。

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長文・乱文を最後までお読み頂きまして、本当に有難うございました!
宇宙一大好きです!大感謝です!
1日も早く、世界中の人々が健康で豊かで愛情溢れる平和で穏やかな日々を、幸せに過ごす事が出来る『黄金時代』になりますように!
それでは、また!

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