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そのフォロー集めまだするの?

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

不意にフォローフォロワーの事を
書いている記事を読んで
素敵だなと思ったからサポートしたんだ

サポートした自慢です。
いや自慢ではないよ(笑)

俺ね3日に1人くらいかな
その程度のものだけど
いい記事だなと思ったら
知っている人であろうとなかろうと
その記事1つ担保に珈琲代金くらいの
気持で出す。

素敵な記事をオススメするとき
俺っていいやつだな(笑)
そう思えるだけで正直元を取っている

だから2週間前のサポートのお礼を
今頃読むこともある
お礼なんかいらないんだ。

ただ、もしできるなら
素敵な記事を書く人だから
繋がりたいという想いは正直ある

けど、無視されても構わないさ

さて、言いたいのは
ここからというか
これからのSNSという感覚かな

遅かれ早かれもっと
アクティブにお金というものが
動き出すと思っているんだ

記事にスキが1つもないのに
フォローをいれてきて
見に行くと、フォロー数が吐出してるとき

そういうやつか・・・と
正直見下してしまう。

そういう繋がり方って
旧石器時代のSNSになる日は
そこまで来ている気がする

ところでクリエイターってなんだろう

自身は記事をもう殆どださないのに
仲良くなった人の記事を
一所懸命に読んで自らに疲れている人がいる

そんな効率の悪い自分を
嘆きたくなる気持ちもきっと
自分自身にあるのだろうけど

それはこれからの時代を
生き抜ける人だと保証する

絵を描くにしろ、歌を歌うにしろ
小説を書くにしろ
人の心を揺さぶってはじめって
クリエイターだと思う時

自分は記事をかかないのに
いつもスキをくれたり
そういう人のスキはお代わりしたい
俺がいるんだよ

それって

俺はすごく嬉しいからじゃない

俺を喜ばせているという意味では
その手法がもっとも効果的な
クリエイティブだと思うんだ

書く人が凄いのではない
でも読む人が凄いのでもない

心を動かしてくれる人が凄いんだよ

さて、フォロー数が多い人
だけど、自分が読みもしないで
ただフォローをしてさ
数だけあつめたとき

それは営業のスキは多いかもしれない
けど。困った時に
誰も何も感じる事はない

まさか、フォローワーが多いから
応援なんかあつまることはない

コーヒー代を先に身銭切る
こういう書き方だと
何かいやらしいけどね。

きっと、素敵な文章を書いているのに
読まれないその想いはきっと悲しい
そんな時
サポート額はたいしたことはなくても
オススメしてくれる人がいれば
俺は頑張れるんだ。

だから俺も応援したいだけのこと
だって素敵な記事だから

与えるから与えてもらえるのに
結局奪い合っているだけの構図
それが今までのSNSなんだよ

お金の話はやらしいとか
そういうケチ臭い話じゃない

読んで欲しいから
スキしてるだけだから
自分の言葉がやすっぽくなるだけのこと

知られたいと願うなら
何者かになりたいと思う人であるならば
人の為に身銭を切れよって思う

それをするから
言葉に説得力が生まれ
その言葉を欲しいから
人が集まってくれるようになる

スキをつづけないと減るnoteに
どれほどの価値も生まれはしない

最初から営業全くしない人の記事の方が
よっぽど感動を貰える事が多い

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