意地悪な人間など存在しない

生きているかぎり他者との衝突は必ず起こる


意地悪をされたり、意地悪をしてしまったり

このように〇〇されると〇〇する は

セットになっている


例えば子供の頃に意地悪をしてしまった人は

意地悪された子の気持ちがわからず

酷い事をしていただろう


そして長い人生の中でいつか必ず

今度は自分が意地悪される側の気持ちを経験する

その時に初めて自分がしていた事が

どういう事だったのかを理解する


逆もまた然りで

いじめられている人はいじめる側の気持ちなんてわからない

「どうしてこんな酷い事ができるの?」

そう思ってしまうだろう

だけどいつかそんな人もいじめる側の気持ちを

理解してしまう出来事があるはずだ


「いやいや私はいじめられる辛さがわかるから

絶対にしない」

そう思っていても必ずそうなるだろう

なぜなら人間は人を傷付けている時は

自分がどれだけ酷い事をしているかを

理解していなくて、後になってから

“あの時の自分はこんなに人を傷付けていたのか”

と気付く生き物だからだ


そしてこの意地悪する側、される側

両方の気持ちを理解した時に初めて人は

本当の意味で学び、意地悪をしなくなるだろう



だから私は本当に優しい人は

過去に他者を深く傷付けた人であり

他者から深く傷付けられた人なんだと思う



子供が残酷なのはまだどちらか片方の

経験しかしていないからだ


意地悪をされて痛みがわかるから

それだけで人に優しくなれるのではない


意地悪をされる苦しみを知っているからこそ

自分が意地悪をしていたと気付いた時に

しっかりと後悔や反省ができる



意地悪をしていた人が意地悪をされた時に

初めて自分のしてきたことの残虐さを理解できる


だから他者から酷い事をされたとしても

それらは全て必要な経験だ


神がいるならなぜこんな残酷な世界にしたのか?

なんて辛い時に考えてしまう事がある

だけど神からすればそれはただ残酷な事ではなく

あなたのために用意した成長のための贈り物なのだ


そしてあなたを攻撃してくる他者も

同じように成長のためにしている

と同時にあなたを成長させるために嫌な役を

演じてくれているのだ


意地悪をされた事がある人は人に意地悪なんて

したくないはずだ

意地悪をするのが気持ちのいい行為じゃない事を

理解しているはずだ

それでも私の成長のために意地悪役を演じてくれているのだ


今はまだ理解できなくても

いつかその意地悪な人にも感謝ができる日が

必ずくるはずだ

それはいつかなんて事はわからないが

一つ言える事はたくさんの人と関わり

傷つく事を恐れずにたくさんの経験をする事で

確実にその時は早くくるって事だ


何かを失うのが怖くても

経験することから逃げてはいけない

傷付く事を恐れてはいけない

それらは全て私の成長に必要なものだ





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?