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タイトル余白/慰め(なぐさめ)とゆうものについて

「人生は長すぎる暇つぶしだよな所詮は」

とゆう言葉が
何かやどこかで見たり聞いたりするほど
外からの情報がない自分が
いつものように自分を内観したり内省したり
鏡を見るみたいな時間を過ごすなか
ふと込み上がってきたのと同じように

もしかするとこの言葉も
昔から誰かの言った言葉として残っていて
どこかでまた出逢うことがあるかもしれないけど
ついひとつ前のnoteのつぶやきに書いた言葉で
それがあらためて
ふとブラッシュアップされたので
書こうと思う。

「慰め」

この世に何ひとつとして
高尚(こうしょう)なものもなければ
この世に何ひとつとして
くだらないものもないのかもしれない

何かを否定してしまうときにかぎって
そんな自分を心底嫌いだなと感じてしまう
とかそんなことも
もうどうでもいいほどに
この世で人が行うことのすべてはただ、
100人なら100通りある
「慰め(なぐさめ)」なのではないか、と

その人その人 それぞれが
そうすることで生きながらえる
とゆう意味がこの【慰め(なぐさめ)】にはあって
たとえば
自分が使命とゆう言葉や箔をつけて
カッコつけたくなるなにかも
自分や誰かが好きなことをする姿や
何かに打ち込むことだったり
夢を追うことも
1人で酒を飲んだり煙草を吸ったり
好きなものを食べたり
誰かと長話をしたり遊んだりするのも
何もかも等しく。

だから昔からよく聞くけど
((何もしていないと感じる自分と比べる))
なんて言ったりするけど
そもそも個人の性格から選んでいる
"生きながらえるための慰め(なぐさめ)"

あの人の仕事、自分の仕事、
あの人の趣味、自分の趣味、
すべては個人の好みの話。
あなたはあなた、自分は自分。

比べられるはずもない。

同じ見た目をした
違う生き物である
人科(ヒトカ)の
僕ら【人間とゆう生き物たち】が
各々に生きて過ごすなかでの
各々が好みで選んだ、慰め。

慰めだなんてふざけるなよ、と
激昂される方もいるかもしれないし
きっと今僕の書いている言葉の概ねは
理解しづらいかもしれない。
しかし生きているだけ、生きていくだけ、
とゆうことすら困難に拍車のかかる現代
孤立とゆう壁が人との間には立ち
孤独とゆう檻の中にいる感覚すら覚える現代

すべての行いは
各々が生きながらえる為に
個人の好みで選んだ慰め

そのくらいの捉え方の方が
いろんなことをある程度"適当"に思えるし
そのくらいの方が
いろんなことを知り楽しめるときもある

僕ら人間が行うすべての行いは
いっときの慰め
単なる慰め

死ねる強さがある人にとっては
死を選ぶことが慰め

死ねないから生きている
そんな気持ちになったことのある人も
たくさんいると見聞きするが
僕もその中のひとりだ

でもそれはやはり
何かと比べてしまうからなのだと
つくづく感じる。

そしてここでもまたいつもの
比べる必要がないとゆうことを
あらためてまたこの【慰め】とゆう言葉
を通して気がつくことになる。

あなたにはあなただけの好み、楽しみ方が
ぼくにはぼくだけの好み、楽しみ方が

それがそれぞれの生き方

そうゆうことで
いいんだろうと思う

おしまい

2023.12.04(火)
二階堂 新太郎

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