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Vol.10 Cares&Calypso in the Deep Time/Candy Claws〈今のところnoteでまだ誰もレビューいていない名盤たち〉

Cares&Calypso in the Deep Time(2013) Candy Claws


Candy Clawsはアメリカ・コロラド州出身のグループ。Kay BerholtとRyan Hoverの2人を中心とし、2007年の結成から今に至るまで4枚のアルバムを発表している。


とはいえ最後に発表したのがこの「Cares&Calypso in the Deep Time」で、それ以来8年くらいは新しい音源を出していない。その後に2人はSounds of Ceresというバンドを結成し、現在はそちらに軸足を置いている。Beach Houseともツアーを回っていた。


かといって活動が完全にストップしているのかといえばそうでもなく、彼らのTwitterは存外普通に活動している。それによると、このアルバムはリリリリリプレスされているとか。

タイトルにDeep Timeとあるのは伊達じゃなく、このアルバムは深く耽溺を誘うような、美しいギターとシンセサイザーの音にまみれている。2010年のColoradoDailyのQ&Aインタビューの中で、彼らは自分たちのスタイルを「シネマティックで、ドリーミー」と形容している。壮大なビートと2人の男女の歌声が囁くように覆いかぶさる様は、確かにダイナミックな効果をもたらす。彼らは上記のスタイルを体現したようなバンド「だった」。


「だった」というのが僕の個人的な意見だ。思うに、彼らのサウンドは初期から相当に変化した。端的に、ドラムへの解釈がはっきりと変わった。これは決してネガティブな意見ではない。2010年のインタビューで答えた内容と3年後に違っていてもなんらも問題はないし、むしろ僕個人の意見としては時代が下れば下るほど彼らのサウンドが魅力的になっている、と思う。


彼らのディスコグラフィを、ドラムの音色に注目して追ってみる。


1stアルバム「In the Dream of the Sea Life」で鳴らされているビートは、獰猛で本能的だ。2ビートで太鼓をしばき上げるように叩き、その上で2つの声とシンセサイザー、そしてアコースティックギターが聴き手と非常に近いところで慣らされている。フィンガリング・ノイズが担保する温かみと、荒涼とした騒がしいドラム。この対比はアシッドフォーク/アバンギャルドフォークのレジェンド・The Microphonesを思わせる。


次作「Hidden  Lands」では、より壮大なスケールの世界へと対象が移り変わっている。ディスコグラフィを通して、最もシネマティックな一枚だろう。半数以上の曲ではビートがなく、ある曲でも曲の邪魔をしない程度の主張に収められている。シンセの音色の作りも相まって、エキゾチックなニューエイジポップのようだ。

モードが変わったのは3rd「Two Airships/Exploder Falls」、このアルバムは15分ほどの長い2つの曲から構成されている。


前半の「Two  Airships」では、荒々しいガレージ色に溢れたギターのリフと獰猛なドラムが緊張状態を保ったまま、前のめりに進行していく。その勢いのままシンセによるハーシュノイズの海に飛び込み、浮上した時にはビートがインダストリアルな打ち込みに変化している。この響きは、今までのアルバムでは聞かれなかったものだ。

その流れのままなだれ込む「Exploder  Falls」も新基軸だ。冒頭のチープなドラムマシンの音色からグリッチ〜ハーシュ、インダストリアルとあらゆるノイズをビートの合間に埋め込んでいる。曲の構成も変則的で、Arcaや服部峻のような最新鋭のIDMと接近しており、バンド編成の枠を飛び越えている。


この二曲はどちらもドリームポップからは派手に逸脱してはいるが、サイケデリックな響きを失ってはいない。思うに、この2曲で彼らはビートの再考を行ったのでは。1stのように「荒々しい2ビートを響かせて、壮大な景色を見せる」という考えの逆で、「ウワモノの獰猛さと淡々としたビートの対比によるインナーワールドの前景化」という手法に切り替えたのではないか、と個人的には考える。


そして、その手法が結実したのが傑作4thアルバム「Cares&Calypso in the Deep Time」だ。


前作のIDM路線を押し進めたような内容を期待すると、肩透かしを食らうだろう。ここにきてギターの煌びやかなアルペジオと呪術的なシンセサイザーの導入=ドリームポップマナーに即したサウンドに転化した。M8のようなサーフロック色の強いものまで飛び出してくる。また、要所で入り込んでくるオルガンの音色も印象的だ。このオルガンの音色によって、人肌の暖かさと、70‘sのソフトロックを思わせる密やかなサイケデリアが演出される。


そしてビート。このアルバムのほとんどの曲で、ドラムはやや走り気味に、そして残響を拒むようにアタックを強調させている。しばき上げるような1stよりもずっとスリムに、しかし冷酷に聞こえるスレスレのところで前のめりだ。先ほどオルガンといい、これは紛れもなくソフトロック/ヨットロックのマナーだ。だから、個人的にこのアルバムをドリームポップの名盤と捉えるのは少し心もとない。その要素にアメリカの培ってきたポップネスを配合したことによって、このアルバムのポップネスと強度は飛躍的に向上した。このリバイバルとはまた違った角度からの70‘s解釈という点では、同時期のTame Impalaが近いかもしれない。


密やかで、ややもすれば覗いているこちらに罪悪感を抱かせてしまうようなインナーワールドの幻想的な美しい景色を、往年のポップスを架け橋にして親しみを持たせてくれる。この感覚が、リリリリリプレスもしてしまうくらいこのアルバムが支持されているわけなのだろう。1stから4年間でたどり着いたここまでの道を、ビートの音色が詳らかにしてくれた。ぜひ何度もうっとりして、何度も耽溺してほしい。

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