見出し画像

インディーロックファンから見た2022年のブラジル音楽・4選

はじめに(選盤の基準)


2022年に発表されたブラジル産のアルバムの中で、個人的にピックアップしたいものを紹介します。選盤の基準としては①欧米や他国のアルバムと比べても全く遜色なく、作品としての質が高いかどうか②〈ブラジル音楽〉というラベルに馴染むかどうか③普段からディグっている音楽マニア層へのレコメンドに耐えうるかどうか の3点を設けました。烏滸がましいことこの上ないですが、レコメンドから烏滸がましさを排除したらただの独り言になってしまうので、その点はご愛嬌。

①「欧米や他国のアルバムと比べても全く遜色なく、作品としての質が高いかどうか」というのは、リストを作成の上での前提として「ブラジル音楽の中では良い」という目線を極力排したということです。その作品がブラジル産ではなく、アメリカでもイギリスでも日本でもフィリピンでも、同じように評価できるかどうかを重視しました。

その上で②「〈ブラジル音楽〉というラベルに馴染むかどうか」という点を重視しました。そもそも「その作品を発表したアーティストの生誕地/居住地をジャンル名にあてがうことに、一体なんの正当性があるんだ」という実感がうっすらとあり、それ故に〈ブラジル音楽〉という呼称に疑問を抱きたくなることがしばしばあるのですが、ここでは作品の素晴らしさを立体的に強調するためにこのラベルをあえて採用することにしました。その作品から自国文化の影響の深さが窺えるもの。つまり、その作品を起点にブラジルという国の音楽的ルーツを辿れるようなものを優先して入れています。端的に、僕はWindows 96というサンパウロ在住のアーティストによるVaporwaveのプロジェクトが大好きですけど、このプロジェクトをこのリストに入れることはないでしょう。ブラジル音楽の影響を感じない上に、彼のプロジェクトを居住地でジャンル分けすることは失礼&迷惑でしょうから(そもそもVaporwaveのプロジェクトを居住地で括ろうとする行為がナンセンスすぎる)。

そして最後に③「普段からディグっている音楽マニア層へのレコメンドに耐えうるかどうか」を考慮しました。ブラジル音楽という雑な括りのエサ箱から、ショップの通用口に面出ししても何ら遜色ないものだけを選んでいます。タグがなくても十分に素晴らしいものを、満遍なくピックアップしました。ぜひ聴いて、気になったものはルーツやリファレンス元を辿ってみてください。


以上の基準で4枚選びました。ぜひ聞いてみてください。


●Bruno Berle 『No Reino Dos Afetos』

No Reino Dos Afetos

絶対に外せないでしょう。このアルバムひとつで2022年のポップシーンとローカルなブラジル音楽のシーンが同じ水準にあったことを証明できてしまう、それくらい歴史的な一枚です。

北東部のアラゴアス州出身、本作がソロでのデビューアルバムとなるSSWのBruno Berle。まず耳につくのはそのラフな録音環境から繰り出される、じっとりとしたサイケデリアでしょう。M2「Quero Dizer」のウットリするくらい綺麗なメロディーからは、先輩たちから脈々と受け継いできたMPBの匂いを感じますが、そこに合流するビートがJ Dilla以降のローファイなMPC感溢れるものなのがたまらなく新鮮です。Caetano Velosoを筆頭に、MPBのアーティストたちによるヒップホップ解釈は絶えず行われていましたが、そのふたつをベッドルームの中に無理やり押し込んで融合させたような大胆さが本作にはあります。一昔前、Standing On The Corner周辺のUSアンダーグラウンドの成分をたっぷりブラジル音楽に取り込んだような印象。

M2やM4でトラックメイクを手がけたbatata boyの今年発表されたミックス・テープを聞けば、彼がJ Dillaの熱心なフォロワーであるとすぐに分かります。ただBruno Berleのアルバムが素晴らしいのは、これらの要素をあくまで自身の表現に従属させ、内省的な世界観のまま描ききっているところです。幾度となく現れる雑音——いわゆる味付けとしてのノイズではなく、雑踏やポップノイズ(唾液などの擦れる音)などの余計な音——によって、この作品は生活に釘打ちされています。寝室の空気感を伝えるこれらの要素は、ローファイという言葉に回収される寸前のところで内省的な世界観との対比を実感させる装置として働き、我々はより輪郭を伴った作品として本作と接することができるようになります。単なるマリアージュの提示だけにとどまらず、かといって身勝手な独白でもない。ベッドルームから音楽が飛び出してくることの意味をあらためて考えさせてくれる、大傑作です。


●Xenia França 『Em Nome da Estrela』

『Em Nome da Estrela』

こちらも傑作。個人的にウォッチしているブラジル音楽ファンたちの中で、先ほどのBruno Berleと同等かそれ以上の熱狂的な支持を受けていました。

バイーア州出身のアフロ・ブラジリアン、Xenia França。それまでも拠点としていたサンパウロのジャズコミュニティに出入りし、フュージョンバンドの一員として活動していましたが、2017年発表のソロデビュー作『Xenia』で大きな注目を集めることとなります。前年にArto Lindsayプロデュースのアルバム『O Corpo de Dentro』を発表し、〈Black Radio以降の現代ジャズ〉×〈ラージアンサンブル〉×〈Caetano Veloso『Livro』以降に再考されてきたバイーアのリズム〉を掛け合わせた名手として当時絶賛の嵐の中にいたコンポーザーのLourenço Rebetezの全面プロデュースによって制作された『Xenia』は、そのトライバルなリズムとネオソウル感溢れる洒脱な演奏による完成度の高さもさる事ながら、ブラジルの黒人女性が生活する上での心情の動きをアフロ・フューチャリズムの観点から提示する方法論に大きな注目が集まりました。そのアートワークを見ても、欧米のシーンにアフロ・フューチャリズムの観念を再提示したJanelle Monáeとの共振を感じます。

そして前作から5年。再びLourenço Rebetezをプロデューサーに迎えて制作されたのがこの『Em Nome da Estrela』なのです。前作で強調されていたシンセベースの鳴りはより強烈に、そしてグイグイとグルーヴを前のめりに牽引していたポリリズミックなリズムはグッと抑えられています。よりアメリカのネオソウルシーンに接近した内容で、『New Amerykah』シリーズ以降のErykah Baduのようなアグレッシブなトラックが並びます。またブラジリアン・レアグルーヴの筆頭としてHiatus Kaiyoteの最新作にも参加したレジェンド・Arthur Verocaiやサンパウロのラッパー・Rico Dalasamを招聘するなど、前作以上に多方面からのアプローチが図られています。

その上で耳を惹かれるのは、時たま発露するその暴力性です。Gilberto GilのカバーであるM3「Futurível」では、原曲に施されていた如何わしいアレンジをタイトに引き締めた上でしばき上げるようなトラックに仕立て上げており、そのスネアの強烈な打感には一種の脅迫的なメッセージを感じ取ってしまうほど。前作のムードとも近い、ジャンベとシンセベースの絡みから幕を開けるM6「Ancestral Infinito」では、ネオソウルのマナーに則った歌の隙間に多彩なパーカッションが入り乱れて響き、全体としてはスムーズに楽しめるものの湧き上がるような攻撃性をそこかしこから感じ取れます。70年代以降から現行のR&B/ソウルシーンとの間合いを取りつつも歩を進めてきたMPBですが、本作では両者の要素を天秤にかけることとなく、極めて軽業的にエッセンスを選び取っているような印象を受けます。そういう意味では先ほどのBruno Berleとも近い、本国を離れたグローバルなシーンでより一層評価されてほしい一作です。


●Wagner Almeida 『Eu Enterrei Uma Semente Aqui』

『Eu Enterrei Uma Semente Aqui』

これまでに紹介した2作が、ある程度グローバルなポップシーンからのリファレンスが挙げられるようなものであったのに対し、このアルバムは徹頭徹尾殻に閉じこもっているような印象です。もちろん、とてもポジティブな意味で。

ミナス州出身のフォークシンガーであるWagner Almeidaは、2018年のアルバム『Ao Meu Melhor Amigo』以来、1年に2枚のペースで作品を発表し続けています。これまではエモやシューゲイザーに寄った作品を立て続けに発表していましたが、最新作は声とフォークギターのみ。そこにビートはほぼ無く、ノイズと器楽の間を行き来するような淡いレイヤーを伴いつつも、緩やかに朴訥な語りが展開されていきます。特に最後のM4「O Seu Irm​ã​o Era um Cara do Bem」の、アパラチアン・フォークを思わせる笛のような音が「演奏されている音」と「流れているアンビエンス」を往復する時間には、うっとりするほどのトランス作用を感じます。

ドローン成分を含んだフリーフォークというか、The Microphones(Mount Eerie)に通じる寂寥感や緊張感がひしひしと伝わります。くぐもったローファイな録音環境で、かつリリックが個人的な追憶の自由連想、という点でも共通している両者。かといってフォロワー趣味一辺倒かと言えばそうでもなく、M2「Minha Amiga, Você N​ã​o Mereceu Nada Disso」のフレーズでは伝統的なボサノヴァのリズムを確かに感じ取ることができます。ポストロックど真ん中のコードを使用しているため、そこまでサウダーヂを煽るようなものでもありませんが、代わりにサイケデリックなグルーヴ感がそこはかとなく付与され、内省的な歌に一抹のポップさを添える役割を果たしています。「もしJoão Gilbertoがバスルームで、サンバではなくTortoiseを練習していたら?」というifを考えさせてくれるような一曲です。個人的にはリミナル・スペースを感じさせるジャケットが堪らない。


●João Paulo Drumond 『SABIU』


SABIU

先ほど紹介したWagner Almeidaは地域のシーンやコミュニティとの接続が確認できませんが(こんなこと書いてるけど、実は公言してないだけでがっつり繋がっているかもしれません。こればっかりは地球の裏側からじゃわからん)、ミナスでは同世代のアーティストによる協業が過去50年に及んで行われていました。その先駆であり代表格なのがMilton NascimentoLo Borgesを中心とした街角クラブであり(2022年は『Clube Da Esquina』生誕50周年!)、彼らがシーンに出入りしながら幾つもの傑作が生まれていきました。

またここ10年はAntonio LoureiroRafael Martini(秋にあった来日公演、最高でした)など、UFMG(ミナス連邦大学)出身のジャズミュージシャンを中心としたミナス新世代と呼ばれるムーブメントが日本では頻繁に紹介されています。彼らは国内のシーンというよりも、むしろ欧米や日本のシーンと関連づけられることが多い印象。

そして'20年代。ミュージック・マガジン2022年7月号で高橋健太郎氏が紹介していた通り、ミナスではまた新たな協業が行われています。中心に置きたいアルバムはPedro Santosの『Feliz Cidade』。ミナスの先輩方の作品を意欲的に取り入れる姿勢やLo Borgesの影を感じさせるブルージーなギター、そしてその広大なボリュームもさることながら、楽曲ごとに入れ替わる参加ミュージシャンたちの層の厚さにも驚かされます。彼らは(少なくともSNS上では)全く名前の上がらないミュージシャンたちであり、より一層ミナスという土地の持つ音楽的なレンジの広さを実感させられます。

その参加ミュージシャンたちが個別に発表している作品の中でも、とりわけ素晴らしかったのがビブラフォン/パーカッション奏者・João Paulo Drumondの『SABIU』でした。bandcampに掲載されているプロフィール文によると、彼はミナス新世代たちが集結していたUMFGの卒業生であり、その後フランスのストラスブール音楽院に入学して鍵盤打楽器を専攻していたそうです。

Antonio Loureiro周辺の世代がアカデミックな出自を持つのに対して、Pedro Santos周辺のミュージシャンたちはストリートからシーンを形成していったというバックグラウンドがあります(この点に関しても、先のMM誌の特集で高橋氏が言及されていました)。その点、UMFGで学位を取得したJoão Paulo Drumondは、二つの世代を接合するハブ的な立ち位置にあると言えるかもしれません。実際、今年発表された初のフルアルバム『SABIU』もAntonio Loureiro周辺の世代と並べて聴きたくなるような作品でした。

ビブラフォンの独奏とセッションが各3曲ずつ収録されており、そのどちらにもソリッドな魅力があります。自身のバンド・AKASSÁ TRIOでTigran Hamasyanを取り上げるだけあって、「多国籍すぎて無国籍」と漏らしてしまいたくなるほどのハーモニー/リズムの応酬。バンドの編成の曲になるとビブラフォン×ドラムス×パーカッションと3つのセクションが節々にリズムを挿入していく、極上の時間が訪れます。M2「Domingo Fem Teira」のように序盤からトップスピードで駆け上がる展開の曲もあればM5「Terra de Cerrado」のように助走をつけてから畳み掛けるように発展する曲もあり、ミニマムな編成でありながら退屈を許さない仕掛けが施されています。M5とM6「Salão de padres」で響く、アクセントの役割をギリギリ逸脱する存在感で全体に芯の通った緊張感を付与する笙やミュートしたトランペットの​ような音色など、単なる演奏を飛び越えたギミックを取り入れるのも、モダンな感覚と言えるでしょう。ブラジリアン・ジャズファンの外側に広く聞かれてほしい一作です。

(Prodigyのパンデイロカバー、何?)










2022年、終わりました
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?