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Vol.11 Rua Um/Beto Lopes 〈今のところnoteでまだ誰もレビューしていない名盤たち〉

Rua Um(1988) Beto Lopes

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Beto Lopesはブラジル・ミナスジェライス出身のギタリスト。1961年生まれなので、同じミナスのレジェンドであるMilton Nascimento(1942年生)やToninho Horta(1948年生)、Lo Borges(1952年生)よりも1〜2回り年下である。ボサノヴァ~MPB黎明期には当たらず、かといって昨今各所で話題のミナス新世代(日本以外だと言われてないらしいね)にも当たらない、日本から見たブラジルのポピュラー史では無視されがちな世代である。年代が近いのはChico Science(1966年生)とか。


そんな彼だが、このアルバムには前述したミナスのレジェンド達、つまりは「街角クラブ」のメンバーが参加している。M3「Froiano」でToninho Hortaが、M6の表題曲ではLo Borgesが、それぞれ客演をしている。特にLo borgesとは、後年共にアメリカでのツアーを回るほど親密な仲になった。

彼のギターを一つの側面から語るのは、何をどうしたって片手落ちになってしまう。前述のレジェンドたちが、自国/他国問わず多様な音楽を自分たちの表現下に置こうとしたのと同じように、Lopesもまた同年代の音楽の対して閉じていない。それはもちろん彼が優れたプレイヤーであったことにも起因するのだろうが、それと同等かそれ以上にミナスの先輩方のアティチュードに触発された面も多分にあっただろう、と推測する。これは後年になって花開いたいわゆるミナス新世代、Maisa MouraやAntonio Loureiro,Deangelo Silvaを聴けば、この土地の風通しの良さに説得されること請け合いだ。

ただそれでも、Lopesの趣向が当時のフュージョンに向いていたことはM1から伺える。冒頭のメロウなギターリフから緩やかに下降し、ギターソロへとまず移行する。ここでのフレーズや音色、特に過剰なコンプレッサーを利かせた音色は当時隆盛だったジャパニーズ・フュージョンの面々、カシオペア高中正義に通じる感覚だ。その後のドラムのタム裁きなんかはJonathan Moffetoを思わせたり、何かと80年代の匂いを感じずにはいられない。


しかし、そのようなエッセンスを多分に盛り込みつつも、安易に「あの頃の音楽」に回収されないのがこのアルバムの肝である。このアルバムは前述したフュージョンの文脈というよりも、今日ではバレアリックとして再評価される声が最も大きい。


バレアリック的な音楽は領域が遥かに広大で、その説明についてはより詳しい文章がいくらでもネットにあるのでそちらを参照してほしいのだが、このnoteでは便宜上夕方のリゾートで流れている、メランコリックで開放感のあるダンスミュージックくらいに解釈してほしい。なんならSadeなんかもその文脈から再評価された節がある。僕はバレアリックのプレイリストでSadeの名前を幾度となく見かけてきた。


バレアリックの概念はヨーロッパのリゾートであるイピサ島から広まったもので、そこでDJが掛ける音楽の総称として提案された。このムードが90年代に提案されて00年代に浸透して以降、感度の高いディガーたちの脳内フォルダの隅には常に「バレアリック」のスペースが設けられるようになった。


それらを通過した耳で聞く「Rua Um」は新鮮そのものだったに違いない。確かにギターの手数は多いのだが、それこそフュージョンやハードロックを聴くと否応なしに感じてしまうクドさは全くなく、代わりに清流に足を浸して山の隙間を眺めるような爽快感が遥かに勝ってくる。特に後半の、M7「Depois do Soso」に顕著なのだが、アコースティックとエレクトリックの塩梅やそれらに先行してこないビートの心地よさはやっぱりバレリアックのフィーリングに重なってくる。

もちろん現在のこの作品への評価のされ方を、この作品を発表した1988年当時のLopesが狙っていたわけではない。しかし、彼が「Rua Um」で表現したムードは、周り回ってバレアリックのもつ多幸感とメランコリーに無理なく接続される類のものだと思う。この多幸感、ひいてはダンスによって駆動される享楽的なムードとその裏に潜む憂いの両立は、サンバからボサノヴァ、その先のMPBに至るまで延々と描かれてきたブラジル音楽の命題=サウダージそのものだ。この作品の発表から30年以上経過した今でも、いや今だからこそ、まっすぐにこの作品の傑出度が伝わってくる。そういう意味で、過去の名盤という枠組みを超えて、広く浸透してほしいアルバムだ。





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