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Vol.5 Mountain Tops/Câmera〈今のところnoteでまだ誰もレビューしていない名盤たち〉

Mountain Tops(2014) Câmera

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Câmeraはブラジルのバンド。ジャンルはポストロックやエモに当たるんだろうか。例のごとく、インターネットに彼らについてのインフォメーションはほとんどない。というか、2014年にこの「Mountain Tops」を発表して以来、一切音沙汰がない。


 僕は彼らの周辺のMPB勢にとても興味があって、数珠つなぎの要領で聞きつなげていってはYoutubeの登録者数を見て何とも言えない気持ちになる、というのを繰り返している。Vol.0で書いた通り、音楽をオタク的に聞き進めていく身としては知名度なんて関係ないと思う反面、あまりにも聞かれていないとやっぱり不安になる。端的に、活動休止が恐ろしい。浅くてもいいからどこかで活動していてね...と地球の裏側へ念を送るばかりだ。


 少ない情報に中にも砂金があったりするもの。日本語で唯一読める彼らのインフォメーション、ディスクユニオンの商品ページによるとMoonsのボーカリストがリードを取っているとのこと。このMoonsというバンドは耳の早いインディーロックファンから諸手を挙げて絶賛されており、日本ではディスクユニオンが丁寧に日本盤を作ってそれがちゃんとセルアウトしている。そのうち彼らに関する記事も書きたいですね。


 サイケデリックな音楽は世界中に遍在している。もちろん一口にサイケデリックと言っても、それがドラックから由来するものもあれば宗教や土地への一向的な信仰心からくるものも、また不安定な自己の内面を投影したインナーワールドからくるものなど、様々な広がりを持っている。このバンドの拠点であるブラジルでは、1968年~1970年の二年間だけ国中を熱狂させたサイケデリック・ブームが巻き起こった。トロピカリアというものだ。

 このムーブメントを牽引したカエターノ・ヴェローゾというボサノヴァ青年は、当時盛り上がっていたヒッピー文化や前衛的なロックの勃興、そして何より後期ビートルズに強く影響を受けて、サイケデリックな方向へと舵を切ってゆくこととなる。ヴェローゾが輸入・解釈した同時代の最先端のバンド音楽はブラジルの才能あふれるミュージシャンたちを虜にし、現在でも聴きつなげられている名盤が数多く誕生した。ヴェローゾやジルベルト・ジルのメッセージが当時の軍事政権から目を付けられ、しまいには彼らが亡命を行う羽目になり、それとともにトロピカリアも下火となった。ゆえにこのムーブメントも短命に終わったのだが、この二年間で生まれた作品をリファレンスに挙げる後続のミュージシャンは後を絶たない。それだけトロピカリアが強烈であったということだ。


 ここで勘案したいのは、ヴェローゾの広げたトロピカリアというジャンルはあくまで音楽オリエンテッドなサイケデリック音楽であるということだ。先ほど、「サイケデリックには様々な由来がある」と述べた。トロピカリアはあくまで音楽上の、鼓膜の中で完結するサイケデリアを重きに置いている点で、他のサイケデリック音楽とは一線を画している。言い切ってしまえば、サイケデリックを誘う表現はこのジャンルにおいては全体を構成する要素の一つに過ぎず、既にブラジルで流行していたボサノヴァやMPBと結合することで新たなジャンルが誕生した。


 このように形容すると、トロピカリアはややもすればルーツとしての強度の弱い、根無し草のように捉えられるかもしれない。しかし逆説的にフットワークが軽く、他ジャンルとの接合が容易とも考え得ることができはしないか。僕はこのフットワークの軽さこそがトロピカリアの時代を超越した煌めきの源にあると考えている。サイケデリックと他ジャンルとの懸け橋としてトロピカリアは機能してきた。そしてその機能はこのCâmeraのアルバム「Mountain Tops」でも働いている。


 脱線まがいの大事な話が長くなりすぎた。このアルバムは「トロピカリアの孫の世代に生まれた、サイケデリック・ポストロック/エモ」と僕の中では結論づいている。紛れもなく、このアルバムの根底には鈍色のサイケデリアが流れている。しかしサウンドデザインはインディーロック的で、上質なエモとしてまとまっている(演奏が取り立てて難解なわけでもないし)。この微妙なバランスがこのアルバムの何よりの魅力だ。

深いフェイザーの海で聴衆の酩酊を緩やかに誘うM1からディストーションギターとけだたましいシンバルで完膚なきまでにトリップを保証するM2、憂いを含んだボーカルと地に足のついたバンドアンサンブルをM3で味合わせてノックアウトする構成など、このアルバムはとにかく構成が素晴らしい。M9のようなエモもこの構成なら何の衒いもなく聞ける。優れたトリップ体験には、優れた構成が必要だ。


 最後はとてもクールなライブ映像とともに。ブラジル音楽という眼鏡をはずしてももちろん楽しめるし、その眼鏡を掛けたら掛けたでトロピカリアの孫としても愛でることができる、そんな一枚。








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