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Vol.14 Telecoteco/Paula Morelenbaum〈今のところnoteでまだ誰もレビューしていない名盤たち〉

Telecoteco(2008) Paula Morelenbaum

パウラ・モモレレンバウム(Paula Morelembaum)は、1962年生まれのブラジル人ボサノヴァ歌手。優れたチェリストであり、パウラのパートナーであるジャキス・モレレンバウムとは、ほとんどの作品・コンサートで共演している。その影響かどうかは定かではないものの、クラシカルな作風にマッチする厳かな雰囲気が彼女には漂う。この世代のボサノヴァのシンガーとしては、間違いなくトップランナーだろう。

「Telecoteco」は彼女の2枚目となるソロアルバムだ。1958年の「Chega De Saudade」発売から数えて50年、2008年に発表されたこのアルバムは半世紀に及ぶボサノヴァの歴史を総覧するような内容となっている。収録曲も30〜50年代のサンバ・カンソン〜ボサノヴァのスタンダードを取り上げており(M4のジャズ・スタンダード「Love Is Here To Stay」など例外もある)、この触れ込みだけを見れば一般的なボサノヴァのアルバム、それこそタワレコで二束三文で売られているコンピのようなものを想起するだろう。木目調のテーブルが敷き詰められた、息苦しい都会のカフェでありあわせのように流れるBGMのそれ。

しかし、ことこのアルバムに関しては、その解釈は間違いだ。そもそも、ありあわせのBGMにボサノヴァを流すカフェは全部潰れればいい。

人口に膾炙する芸術にある種の「毒」が必要なことは、岡本太郎をはじめ様々な芸術家や批評家が論じてきた。この場合の「毒」は作者の心象に渦巻くカオスの表出であると同時に、僕ら受け手にとっては作品が目の前からフェードアウトしていく前に心に残しておくためのフックでもある。通常、このようなフックはアンモラルであったり、常識から逸脱したものを描いた場合が多い。

その点、「Telecoteco」に含有されている「毒」は、あまりに大量かつ刺激的すぎる。ポップスにおける「毒」は、あくまでその外皮がフレンドリーに見えるからこそ痛快なのであって、作品に含有されている毒々しい成分はアクセントに過ぎないという合意が暗にあったはずだ。その合意があるからこそ僕らはポップスを甘受できていたはずなのに、「Telecoteco」は我関せずといった顔で致死量の毒を振り撒いている。前述の通り、外皮は30〜50年代のブラジルにおけるポップスのスタンダードなのだが、その下に蠢く魑魅魍魎を気づいたら目で追っている自分がいる。さっさと通りすぎて聞き流してしまいたいのに、あまりに恐ろしくて素通りできない。このアルバムは一体何なんだ?

このアルバムに伏流している恐怖の源を探るために、パウラのディスコグラフィーを語るうえで避けては通れない、2人の音楽史の偉人の話をしよう。アントニオ・カルロス・ジョビン坂本龍一だ。

パウラの歌手としての才能は、ジョビンの家族を中心としたバンドであるノヴァ・バンダ(Nova Banda)への参加を契機に広く周知されることとなった。彼女は前述のジャキスと、ジョビンの二人の息子と共にジョビンのツアーに同行していた。

彼らの参加した、1987年に発売されたジョビンのアルバム「Pasarim」は、彼のディスコグラフィーの中では目出つような作品ではないかもしれない。しかし、終始リラックスしたジョビンの歌声がこの年代特有の少し煌びやかなエフェクトと呼応し、初期の頃とは違ったストレートなジョビンのエッセンスが聴ける良作だ(特に中盤のM4「Looks Like Decrmber」やM5「Izabella」のようなジャズのスタンダードナンバーを軽快にこなす様子は、Desafinadoの作曲者とはとても思えない)。

「Pasarim」でのNova Bandaの役割はコーラスやバックバンドだったが、彼らが主となってクレジットされている「Famillia Jobim(1993)」では、彼らのボサノヴァ演者としての地力が遺憾なく発揮されている(ジョビンはアレンジで参加)。パウラはM4「Correnteza」で、丸みを帯びつつも記名性に富んだ声を弦楽器の簡素な伴奏と見事に調和させており、この時点でシンガーとしての傑出度合いを感じる。彼女のどこか冷えた音楽観は、どこかジョビンからの影響にあるのだろうか。ひとまず、彼女の音楽家としての核にジョビンがあるのは間違いない。

そしてもう一人の偉人、坂本龍一との共演も大きなトピックだ。モレレンバウム夫妻と坂本の三人がジョビンの家で製作した「Casa(2001)」を皮切りに、ゼロ年代前半は三人でボサノヴァツアーを世界中で行っていた。坂本の音楽上の興味がボサノヴァに移ったのも大きいとは思うが、彼らのツアーがとても充実していたのはツアーの様子を収めたライブ盤からでもわかる。

そして坂本は、「Telecoteco」における毒性に最も寄与した人物である。彼は冒頭のM1「Manhã de Carnaval」に参加しており、この曲に潜む(というか、もはや潜んですらいない)異物感が「Telecoteco」のムードを貫いているのだ。

この曲を聞いて真っ先に感じる違和感は、繰り返し挿入されるスクラッチ音だろう。HMVが敢行したパウラへのインタビューによると、この音はバンドメンバーのアントニオ・ピントによるものらしく、CD工場からプレスミスだと勘違いされたという逸話も語っている。

「カーニバルの朝」の邦題でも知られるこのスタンダードは、所々スクラッチされていて、傷痕がめくり上げられているようである。レコード盤と針を擦り付けてノイズを発生させることは、元来極めてプリミティブかつスリリングなものであったはずだ。「カーニバルの朝」でのスクラッチは、さながら鉋で肉をそぎ落とすブッチャーのような獰猛さすら漂っている。

そして、伴奏に終始ついてまとう坂本のピアノの旋律が無調を志向していることは言うまでもない。この時期の坂本は「CHASM(2004)」やFenneszとの共作「cendre(2007)」を発表した頃でもあり、無調に関する言及が増え始める時期でもある。音楽にある種のベクトルを付与する調性からの遊離である無調の音楽が、「カーニバルの朝」というスタンダード中のスタンダードと混じり合う様は非常にスリリングである。

かくして、完全無欠のスタンダードである「カーニバルの朝」は、ポップスとしてのベクトルを消失した挙句にスクラッチだらけの体に仕立て上げられた。こんな強烈な毒っけは、ポップスでは簡単にお目にかかれない。それでもパウラの歌を添え木にゆらゆらと立つ様子は、ポップスの矜持(のようなもの)すら感じる。

このような調子で、スタンダードに潜む毒は露わになってゆく。MPBを代表するソングライターであるマルコスヴァーリとの共演では、エリス・レジーナの歌唱で有名な彼の代表作「Ilusao A Toa」を取り上げた。この曲はクラシックギターの伴奏が主なのだが、そのギターのサステインが等間隔に刻まれ、発振音のように響く場面が何度もある。途切れ途切れになったその音は、アコースティックな音色の外皮がPA卓というまな板の上で削ぎ落とされているようだ。その音が響くたびに、「このアルバムはアコースティックなボサノヴァ・スタンダードのアルバムではない」と、目の覚めるような警告を受けているような気がしてならない。ダブ処理された狂気はいよいよ眼前に。2人の世代を代表するシンガーの、甘いマイクの上での遊戯の隙間から、名称未設定の奇々怪々がこちらを睨んでいる。

もちろん、この奇々怪々の四肢は簡単に捕捉できないし、そもそも奴らが姿を見せるのはほんの一瞬である。「Telecoteco」は紛れもないボサノヴァのアルバムであり、歴史に立脚した新定番のボッサという点で出色の出来だ。スクラッチによって傷つけられた体の痛みも、ダブ処理されたクラシックギターの音色が孕む凶器も、ついにはこのアルバムの主題にはなりえない。

しかし、だからといって、このアルバムに潜む毒を感じたが最後、そればかりが目に付いてしまうのが「Telecoteco」の恐ろしい側面でもある。あなたがこの音楽に身を委ねているときにも、その傷痕と異物は変わらずそこにあり続ける。私たちがポップスとの間に交わした毒に関する密約が、私たちを自縄自縛の状態に追いやる。恋人の首筋に滲む痣を見てしまい、伏流している魑魅魍魎の存在を感じながら、はたしてあなたは正常にダンスできるだろうか?まぁ、それが「サウダーヂ」と言われればそれまでなのだが。

そう、「サウダーヂ」。痛みを感じて、泣きながら明るく歌い踊るこの感情は、ボサノヴァ及びブラジルという国の音楽が内包していたエッセンスだったはずなのでは?

この心許ない仮説は、「Telecoteco」に潜む狂気の正体をクリアに暴きつつも、ラストを締めくくる「Luar e Batucada」に一本の補助線を引く。この曲は何を隠そう、アントニオ・カルロス・ジョビンがボサノヴァ黎明期のディーヴァであるシルヴィア・テリスに捧げた曲なのだ。「月とバトゥカーダ」という題のこの曲は、アルバムの中でも最もアップテンポでポップなアレンジを施されている。ホイッスルの音も高らかに、いよいよカーニバル気分という趣だ。

曲がクライマックスに差し掛かり、最後のヴァースでパウラはこう歌う。
「哀しみを癒すのはサンバだ/サンバなんだ!」(拙訳)と。やはり、その体には鈍い哀しみの跡が残る。そして、サンバはそれに立ち向かうための秘薬であるのだ。アントニオ・カルロス・ジョビンがこの曲を書き上げてから50年、その流麗なサンバ・カンソンは新時代のディーヴァを癒し、そしていま彼女の歌を聴いている私たちをも癒している。激しいダンスの中で、泣きじゃくった顔を笑いあいながら。



「Telecoteco」の流麗さは、強烈な毒性によってポップスのマナーをギリギリ逸脱しつつも、逆説的にサウダーヂを前景化させた。ボサノヴァは50年かけて、ようやくその外皮を脱ぎ捨てる。こんなグロテスクで美しいアルバムを、もうカフェで流そうとは思わないだろう。むしろ、このアルバムは都会のいかがわしいBarのBGMとしてフィットするだろう。毒を湛えつつも、その外皮をにこやかに取り繕う様すら美しい。何より、現代の日本で最もサウダーヂを体現しているのは、痛みとダンスが同居する夜の蝶たちなのだから。

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