B-REVIEW

 私がB-REVIEW(という作品投稿掲示板としての機能が備わっているサービス)の利用を開始したのは2017年からで、これまでに70作ほどの投稿をさせていただいている。6年という時間になる。非常に長い。大変お世話になって来ている。
 この文章をここではない違う場所に投稿するかどうか等色々と考えたのだが、結局この場に記すこととした。
 歴史という圧倒されるような激しい流れの中で、それでも声をあげておくことがもう全く無意味だと投げ出してしまいそうになることと、一方でその意義について信じようとすることとの間で、私は今も揺れているのだと思う。揺れてなんかいないとは言えないなと思う。それでも私は、やはり希望に賭けたいという想いを抱いている。個人的な話だが、私は数年前に最期まで生きていくと決めた。それなら希望だ。自らに対して、なぁそうだろうと思う。

 私は、自らがB-REVIEWの運営者の一人となりそのグループに属することで、ただでさえ難しい対話を更に難しくさせると考えてお誘いを断った。個であるからこそ対話していける部分があると考えた。しかしそれに対し先日、

 >対話対話と言いながら安全圏にいつもいて運営に誘われたが断ったクアンさん

 とのご意見をいただいた。

 安全圏とは何だろうか。安全な場所を希求する声がこの世界に数多あっても、それを手に入れられた人は果たしてどれくらいいるのだろうか。私が思うに、皆、それぞれの場で闘っているのだと思う。私を批判したその方も同じではないだろうか。

 前述のご意見に対して、例えば「安全圏とはなんだこのやろー!」と食って掛かるのではなく、「安全圏とはどういう意味ですか?」というところから対話が始まるのだと思う。しかしたとえそう尋ねても、返事がなかったり、前向きに理解し合おうという姿勢が感じられる言葉がなければ、それはつまり発信した方の目的が相互理解ではなく、私を非難すること自体が目的だったのだろうと考える。
 対話は、互いが望まない限り成立しないのだろう。それでももし対話が成立する可能性を僅かにでも高めるものがあるとしたら、それは相手を負かす討論的な姿勢ではなく、答えを出す議論という方法でもなく、やはり聴く姿勢を伝えることなのだろうと思う。それは何かこう柔らかいものなのかも知れない。
 私は、前述の相手の方の言葉に否定的な感情を抱くというよりは、その方の真意や想いを知りたいと思う。ただそれだけである。

B-REVIEW
https://www.breview.org/index.php


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