ものを失くす宿命

昔からものをすぐに失くす子供だった。

 バット、帽子、図書館で借りた本、高校の部室の鍵、失くしたものを思い出してみると数えきれない。重要で無いもの失くすならいいが(良くはない)、もちろんそんな区別ができるはずもなく、いくつかの厄介な出来事にもあった。ものを失くすことのない立派な人が「大切に思っていないからものを失くすのだ。ものがあることに感謝しろ。アフリカの子供は…」と演説を行うが、そんな簡単なものでは無い。僕だって大切に思っているし、失くさないようにしようと思っている。その結果として失くしているのだ。これは失くしてもいい、これは失くしたらあかん、そんな区別ができるなら全部「失くしたらあかん」に入れて、ものを失わずに生きている。

 僕がものを失くす原因は、結局「一度に意識できる物事が少なすぎる」ところにあると思う。あるものを持ったまま別の物事に取り組むのが極端に苦手なのだ。

 先輩に

「これは極めて重要なものである。失くさないように。」

 と言われればはっきりと

「ハイ!」

 と返事するのだが、その次に

「ところで、面白い話があってだな」

 と別の話が始まると、話の面白さを見出すことに必死になって、極めて重要であるもののことはすっかり忘れてしまう。極めて重要であったものはひとまず収まりのいい場所に置いてしまう。そして、そのまま存在を忘れる。2度と僕の手には返ってこない。潰れるくらい強く握りしめているか、存在自体を忘れているか、極端に言えばその二択しかない。そういう0か100かみたいな性格は一生治らない気がする。


 手あたり次第にものを失くす子供だった僕は、何かが欲しいと親にせがむと「あんたはすぐ失くすからあかん」と言われた。そう言われるとぐうの音も出ない。それはせこい、と子供心に思っていた。それでも、小学2年生の夏休みにヤンキースの帽子に一目惚れした時、母親と「絶対失くさんから」と無謀な約束をして買ってもらったことがある。嬉しくて、夏休みの水泳教室や遊びに行く時に被って行った。一週間くらいで失くした。自分に失望した。母親はめちゃくちゃ怒った。せっかく買ってあげた帽子を失くしたのだから当然だ。そして絶望的な一言を言い放った。

「見つけるまで遊びに行ったらあかん」

 当時、公園での野球に夢中だった僕にとっては最も苦しい罰だった。

 遊びに行くために、朝起きてから寝るまで一日中探し回った。と言っても、テレビを見たり、それなりの自由時間もあったとは思うが、感覚としては永遠に探している気分になっていた。終わりが見えない中でとにかく探し続ける。そういう状況は想像以上に辛い。別のことをしていても、ずっとヤンキースの帽子のことが頭にある。何をやっても楽しく無い、心から喜べない、味がしない。

 阪神が勝っても「でも俺、帽子失くしてんねんな」

 晩御飯がハンバーグでも「帽子探して、ハンバーグ食べて、食べ終わってからまた帽子探すんか」

 ドラえもんを見ていても「のび太はドラえもんがおるからいいよな。俺もタイムマシンで帽子無くす前に戻りたい」

 物事を保留にして置けない子供が「まあ、帽子のことは置いといて今は楽しみましょう」みたいなことができるわけもない。マルチタスクができない人間がものを失くすし、マルチタスクができない人間がものを失くすと、かなり辛い時間続く。

 

 帽子を失くして2日目の昼のことだった。家の中だけではなく、帽子を被って行った場所を回っていた。公園に行った帰り道に橋を渡っていた。強い風が吹いた。ある考えが頭に浮かんだ。

(見つかったけど、川に落としてしまったことにしてしまえば…)

 僕はその考えをすぐに打ち消して帽子を探し続けた。


 3日目の朝、まだ帽子は見つかっていなかった。帽子を被って行った場所だけではなく、行っていないと分かっていても、万に一つくらい行っているかもしれない場所は「行ったことを忘れている可能性」に賭けて探した。公園の滑り台の下、学校の隣の子の下駄箱、図書館の忘れ物コーナー、どこに行っても見つからなかった。

 あの考えが頭をよぎった。打ち消そうとしたけど消えなかった。見つかる見込みはなく、あれをしなければこの時間が永遠に続くと思った。良く無いことだというのは分かっていたけど、心のどこかで、これだけ探した自分にはあれをする権利があるとも思っていた。

 

 3日目の夕方、母親が買い物から帰ってきた時、あれを実行した。僕は開き直って、アニメMAJORの録画を見ていた。母親は僕のその姿を見て「あんた帽子はどうしてん」と言った。

「見つかったけど、帰り道、川に落としてもうた」

 怖かった。母親の顔を見ることができなかった。罪悪感はあった。ただ、それだけじゃなかった。確かに罪悪感はあったけれど、それ以上に「自分は正しいことをしている」という感覚が僕を後押ししていた。半分は開き直っていた。別に嘘がバレてもいい。

 母は言った。

「じゃあ探しに行こか。」

 正気とは思えなかった。僕が落としたことにした川は、土手がコンクリートで舗装された広く深い川だった。川幅は30メートルくらいある。見つかるわけが無いし、見つかっても拾えるわけがない。

 橋の上から水面までは10メートル以上あるのに、母は2メートルほどの子供用の虫取り網を持って僕を川に連れて行った。母があるはずもない帽子を探して川を覗き込む姿は狂気を感じさせた。怒鳴られるよりも遥かに怖かった。母は「その時」の状況を事細かに説明させた。僕は克明に嘘の現場を作り上げていった。僕の位置や進んでいた方向、川の流れかた、風の向き、落ちてから沈んだのかどうか、母はそんな細々とした情報を「帽子を見つけるために」僕に尋ねた。開き直ってはいたものの、嘘をつくたびに僕の胸は痛んだ。嘘をつくのが辛くて、それは実は事実なのだと思い込もうとさえした。もちろんそれは、どれだけ細部が良くできていても嘘だった。

 母は、間違いなく嘘を見抜いていた。それでも川に行ったのは、僕に嘘をつかせようとしたからだと思う。恐らくは、嘘をついた僕を傷つけるために、嘘を何度もつかせた。その目的は完璧に果たされた。その証拠に、20年近く経った今でも、ものを失くすたびにその時のことを生々しい痛みと共に思い出す。ただ、僕は母が想定していたような傷つきかたはしなかった。僕はいけないことをしている、そんな簡単な傷つきかたはしなかった。

 僕は、母が僕をそんな風に傷つけようとしていることに傷ついた。間違いを指摘するのでも治すのでもなく、逆に、意図的に間違いを犯させる、そんな傷つけかたをする人間がいると言うことに傷ついた。

 人はそこまで残酷になれるのだという事実が何よりも恐ろしかった。その傷は、いまだに僕の中にある気がする。普段は顔を出さないけれど、心のどこか深いところで、僕が人を信じることを妨げている気がする。こういう傷は、謝られても消えるわけではない。


 いまだにこの件について考えると、歪んだ行為だという認識は捨てられない。もちろん、いまさら母を憎んでいるわけではない。一般論として、世の中にそう言う人間はいるのは事実だし、そのことには、遅かれ早かれ気づくものなのだろう。一種の通過儀礼なのかもしれない。それでも、人間なんてこんなもんだ、と思わせる見本が母であるべきではなかったと思う。少年には、ある一定の時期まで、人を信じる権利くらい与えられても良いと思う。

 

 断っておくが、母と仲が悪いわけではない。むしろ良い方だと思う。週に一度くらいは電話をする。

 一昨日、またものを失くした。そのことを電話で母に漏らしたら「もうあんたは気にしてもしゃあないから、新しいの買いや」と言われた。母はやっと諦めてくれたらしい。しゃあないのだと、こいつはこういう人間なのだと。20年以上経って、僕の扱い方がやっと分かってきたのかもしれない。

 小さい頃、母というのは当然成熟した人格だと思っていたけど、考えてみれば、あの頃の母はまだ僕の母としては新米で、こんな馬鹿げた人間の扱い方に戸惑っていたはずだ。自分でもいまだに驚くくらいだ。「え、俺こんなこともでけへんのか」と。一人暮らしのワンルームで電化製品を失くすなんて、普通考えられない。

 そう考えると、あの時のことも、まあ、許せる気がする。残酷になれるのと同時に、残酷でなくなることもできる。頑張って、人間を信じようと思う。

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