パラノイアな祖父を巡る旅 3

〜前回までのあらすじ〜

 ドキュメンタリー映像を撮ることになった僕は、小6の時に亡くなった祖父について、その息子である父に聞くことに決める。父によると祖父は「自分が天皇の子孫だと思っていた」そうである。僕は現在住んでいる東京から実家のある大阪に帰省し、いよいよドキュメンタリー撮影の朝を迎える。

〜ここから本編〜

 本編と言いながら、ここまでの祖父についての話をおおまかに整理しておく。

・父によると祖父は「自分が天皇だと思っていた」
・宇治にある父の実家の前にはかつて畑があり、そこに『看板』が立てられていた。
・『看板』は祖父が書いたものであった。
・『看板』の内容を僕は全く覚えていないが、細かい字で長い文章が書かれていた記憶はある。

 次に父についての話を整理しておく

・僕が幼い頃の土日、よく政治集会やデモに行っていた。
・天皇の話が出ると不機嫌になる。
・大学で3度留年し、7年間在籍していたらしい。

 これらの情報から僕は以下のような推測を立てた。

①祖父はなんらかの精神疾患を持ち、誇大妄想癖があった。その中で「自分の家系が天皇の子孫だ」と思っていた。

②父の実家の畑にあった看板には、祖父の妄想が生み出した神話が書かれていた。(「西中家は天皇の子孫である、うんぬん」)

③父はそんな祖父に反感を持ち、天皇というシステムを強烈に否定するに至った。

④その結果父は政治運動にのめり込み、大学時代に学園闘争のようなことを行っていて、そのために三度も留年した。

 こうした目算を立てた上で、僕が立てたドキュメンタリー撮影計画は次のようなものだ。

 「祖父についての真実(?)を確かめるために、父の実家に生前に祖父が書いた『看板』を探しに行く。大阪から宇治までは車で移動し、その車内で祖父について僕が父に話を聞く様子を撮影する」

 まあ、筋は通っているだろう。あとは、なるようになれ、と思うしかない。


 当日の朝、僕は車内を写すカメラの角度を入念に確認し、ガムテープで止めて助手席に座った。運転は父が務める。後部座席には撮影スタッフとして同行する母がカメラに映らないように潜んでいる。いかにも素人撮影集団である。

 車を発進させた後、僕は企画を父に説明した(『宇治におじいちゃんが書いた看板を探しに行くねん』)。父は「なんで今更看板のことなんか聞こうと思ったんや」と聞いた。政治集会やデモといった言葉から父は激しい気性の持ち主だと想像するかもしれないが、そんなこともない。どちらかと言うと穏やかな性格で、この時僕に尋ねた口調も、僕が祖父の『看板』に違和感を持っていたことに純粋に驚いているみたいだった。僕は自分が知っている情報と、おおよその予測(上記①~④)を話した。

「おじいちゃんは確かに誇大妄想癖やった」

 父は僕の説明に一通り納得した後、そう話し始めた。それからの話はほとんど今日初めて聞く話ではあったが、澱みは無かった。父には2、3日前に祖父について聞くことを伝えていたから、あらかじめ話を整理してくれていたのかもしれない。あるいは父の頭の中で、僕が聞かずとも何度も再生されていたのかもしれない。ともかく、父は話し続けた。

「というか、もっと簡単に精神分裂症と言ってもいい。直接の原因は、襖の下張りやった。わかるか、襖の下張り」

 僕は「分からん」と言った。いきなり想像もしていなかった言葉が出てきて少なからず驚いていた。

「襖は表面の見えてる紙の下にようけ紙が張られてんねん。それが下張りや。木の枠に下張りが貼られて、その上に綺麗な紙が貼られて襖はできる。下張りは別に汚くてもいいから、大抵いらんようになった紙が張られてる。昔は紙が貴重やったからな。家計簿とか、書き損じた半紙とかそんなんが下張りには使われてた。ある時、おじいちゃんがうちの襖の下張りをたまたま見てな、そこに『証拠』を発見した」

「証拠?」

「ああ、うちの家が天皇の子孫やという『証拠』や。もちろん妄想やけどな。

 おじいちゃんがおかしなったんはそれからやった。家中の襖を破り始めたんや。うちと天皇の関係を示す『証拠』がまだ眠ってるんちゃうかと思ってな。襖は破かれるし、親父はおかしなるしで、もちろん家の中はめちゃくちゃや。おじいちゃんは襖を破って『証拠』を探す一方、これがバレたら大変なことになる、とも言ってた。殺されるんちゃうかって」

「殺される?」僕は驚いて尋ねた。父は答えた。

「うちが正統な天皇やったら、今の天皇は偽物ってことになるからな。うちの家が正統な天皇やと言うことがわかったら殺されるって怯えてた。怯えながら、あの『看板』に書いて言いふらしてたわけやけども」

「正統な天皇」僕は言った。「ヒルコ伝説みたいやな。あとは、ロムルスとレムス。典型的な神話や。うちの先祖は川に流されたんかな」

 僕が少しふざけてそう言うと、父は「そんな話があるんか」と言った。僕は大学時代ギリシャ神話を専攻していたからそういうのには少しだけ詳しい。なぜギリシャ神話なんか専攻したのか思い出そうとしたがうまくいかなかった。父は話を続けた。

「うちが天皇の正統な子孫なんも、襖の下張りにその『証拠』があったのももちろん妄想なんやけど、実はな、もしかしたら、それに近いもんはあったかも知らんとも思ってる。なんたって宇治やからな。坂本龍馬が死んだのも伏見やろ? うちは貧乏な農家やったけど古い家系ではある。家の建物も古かったから、明治とか、下手したら江戸時代の紙とかがあってもおかしくはない。坂本龍馬の書き損じとか、松尾芭蕉の駄作とか、襖の中にそう言うのが絶対にないとは言えん。まあ、おじいちゃんはとにかくそれらしきものを見つけて、家中の襖を破って回った。襖の中に大変なものが眠っているんちゃうかと思ったんや。その時はお父さんが急に変なこと言い出すし、家の中むちゃくちゃになるし、何してくれてんねん、と思ったな」

 僕はこの時点で、このドキュメンタリー撮影は成功したと思った。襖の下張りというギミック、祖父の急変。あとは編集するだけである。

 父は続けた。

「とにかく、そういうことが俺が小6の時に起こった。これがおじいちゃんの誇大妄想の直接の原因や」

「直接の原因?」

 しかし、そんなにうまくは運ばなかった。

「そう。直接はそれなんやけど、実はもう一つある。そっちの方は、起こってる時はなんも知らんかったけど、ずっと後になって俺が結婚する直前にたまたま分かった。うちの家が昔引っ越したことは知ってるやろ?」

「うん」

 僕は父の実家が一度引っ越した話をなんとなく思い出した。しかし、それは今回いくつかの予測をするときにも思い出さなかったことだった。

 僕はカメラの映像が撮れているか確認してから、父に先を促した。

「あれは、うちの家の事情で引っ越したわけじゃないんや。京滋バイパスってあるやろ、京都と滋賀を結ぶ高速道路」

 僕は宇治の家の裏から見える田んぼの先に、バイパスが聳えている景色を思い出した。父は続けた。

「あれができるとき、そのために役所に引越しさせられたんや。この土地の上にバイパスが通るから、よそ行って下さいってな。もちろんそのためのお金は出してもらえるで。要は市に土地と建物を強制的に売らされたわけや。そもそも京滋バイパスは作る作らんで住民と役所はかなり揉めたんやけど、結局バイパスは作られることになった。でもそのときにうちの家でもう一つ問題が起こった。土地の相続についての問題や。
 ここからはちょっとややこしくなるからあれやったら動画ではカットしてくれ。
 とりあえず説明するとな、市に建物と土地を売ろうとしたときにな、その土地は正確にはおじいちゃんの土地じゃないことが分かったんや。なんかよう分からんけど、そのとき俺らが住んでたのは、書類の上ではおじいちゃんのおじいちゃんの土地やったんや」

「おじいちゃんのおじいちゃん? えっと、俺のひいひいおじいちゃんってこと?」

「そうや」

 僕は言い直してから、おじいちゃんのおじいちゃんの方がわかりやすいなと思った。

「バイパスができるとき、おじいちゃんのおじいちゃんはすでに亡くなっててんけど、死んだ時に相続がちゃんとされてなかったことが分かった。だから、おじいちゃんが役所に土地を売ってお金をもらうためには、おじいちゃんのおじいちゃんからおじいちゃんのお父さんに一回相続して、おじいちゃんのお父さんからおじいちゃんに相続する必要があった」

「ちょっと待ってちょっと待って」僕はたまらず話を止めた。「えっと、ややこしいんやけど、おじいちゃんのおじいちゃん名義の土地におじいちゃんたち家族は住んでた。おじいちゃんのおじいちゃんはもう死んでる。それで、おじいちゃんの土地として市に売るためには、おじいちゃんのおじいちゃんからおじいちゃんのお父さんに土地を渡して、おじいちゃんのお父さんからおじいちゃんに二段階で譲らなあかん。それでないと役所のお金は貰われへん。そんな感じ?」

「そうや。ほんで、面倒やったんが、おじいちゃんのお父さんには兄弟が何人かおった。ありがちな話やねんけどな、おじいちゃんのおじいちゃんからおじいちゃんのお父さんに相続するときにな、おじいちゃんのお父さんの兄弟が土地の相続権を主張し始めた」

「ちょっと待ってな。それはつまり、おじいちゃんの伯父たちの相続権争いってこと?」

「えっと、そうなるな。そのおじいちゃんの伯父たちが、ずっと関係なかったのにな、おじいちゃんがその土地を相続するんやったら、その分金出せって言い出したんや」

 僕は今度はアレクサンドロス大王のディアドコイ戦争を思い出したが口には出さなかった。

「まあ、難しかったら『誰のか曖昧な土地の所有権を知らん親戚が急に主張し始めた』くらいに思ってたらいい。それで、おじいちゃんの伯父たちが相続の条件としておじいちゃんに出せって言ったのがな、当時のお金で40万や。今で言うたらどれくらいって言われてもよう分からんけど、当時貧乏やったうちにとってちょっとした額やったんは間違いない。それでめちゃくちゃ揉めたんやけど、おじいちゃんはおじいちゃんの伯父たちに結局40万出すことになった。住むとこなくなるから出すしかなかったんや。うちは貧乏やから親戚とかになんとか借りて、結局40万円出して、おじいちゃんは伯父たちとは完全に縁を切った。『あんな奴ら、ろくな目に合わへん』って言ってたわ。その一連の事件はおじいちゃんにとってかなりのストレスやったと思う。めちゃくちゃややこしいし、お金の話やし、長い時間かかるし、役所まで絡んだ複雑な作業や。そう言うのがおじいちゃんは得意じゃなかった。俺もお前も同じやからわかると思うけど」

「うん」

 僕はうなづいた。僕は何かの手続きで役所に行くたびに泣きそうなほど途方に暮れている。血筋として、祖父がそう言う作業が向かないことは容易に想像がついた。

「京滋バイパスの建設問題は俺が物心ついた時からずっとあったわ。それ自体もおじいちゃんはしんどかったやろうけど、その長年続くストレスが、土地の相続問題でいよいよ頂点に達した。それが多分、精神分裂症の引き金にはなってるやろうとは思う。間接的にな。今役所の手続きなんかで失敗しても損したなあで笑えるけど、その時は金がとにかくなかったから、生活が危ない中で苦手なことやり続けた苦痛はすごかったと思うで。しかもその相手が親戚なわけや」

「その、おじいちゃんが相続問題で揉めてた時期はさ」僕は口を挟んだ。「襖の下張りを見つけて、自分が天皇の正統な子孫やって言い出した時期と一致してるん?」

「そやな」父は少しだけ考えて言った。「一致してる。二つを明確に結びつけて考えたことはなかったけど、今考えるとほとんど一緒やった」

 僕は言った。

「土地の相続問題が泥沼化してる中で、おじいちゃんは襖の下張りに何かの意味を持ちそうなものを見つけた。それがどんな意味を持つもんやったんかは分からんけど、それはおじいちゃんの精神的な拠り所になった。しかも、相続問題はそれこそ血筋・血統に関わる問題や。兄弟はろくな人間じゃない。自分の家系が正しい。それが行き着いて、おじいちゃんは『何かの意味を持つもの』を『自分ご正統な天皇の子孫やと示す証拠』と断定した。それを『看板』に書いて近所の人に話してた」

僕がそうまとめると、父は「たしかに、そうなるな」と言った。そんなに簡単な話じゃないけど、と言いたそうな口調に思えた。僕も、そんなに簡単ではないだろうと思った。

「正直、人ごとやとは思われへんな。俺がその状況で、そうならん自信はないわ」

「いや、流石にないやろう」父は笑いながら言った。「おじいちゃんには、そうなるための、もっと個人的な資質もあったと思うで、血筋でも受け継がれへんような」

「確かに」

「それでな、この話にはちょっとした後日談があってな」父は続けた。僕はドキュメンタリー動画を5分以内に収めなければいけないことを考えていたが、ここまで来たらどうにでもなれと言う気持ちにもなりかけていた。「おじいちゃんに40万出せって言ってた伯父の家系には俺と同じくらいの年の子供がおってな。数年後、その子供が、中学の授業中に柔道で投げられて死んだんや」

「え? ほんま?」

「ああ。新聞にも出てた。まあ、天罰なんてもちろん言わんけど、おじいちゃんが『ろくなことにならん』って言ってた家の子供がそんな死に方したんや。その時には精神分裂症を発症してたおじいちゃんが自分の妄想というか、直感を裏付ける『証拠』やと思わんかったわけないわな」

 車はとっくに高速に入り、二つ目の料金所を通ろうとしていた。父は続けた。

「俺はおじいちゃんは単に変な人やと思ってたんや。訳わからんこと言うし、働かへんし、分からず屋やし。
 俺が大人になって相続問題のあれこれを聞いたのとほぼ同じ時期にな、おじいちゃんは甲状腺の病気になったんや。その時、医者に『精神分裂症と診断されたことはありますか』って聞かれた。それでちょっとずつ、おじいちゃんがそれなりにしんどい思いしてきたんやと気づき始めた。おじいちゃんがおかしかったのは、それなりの必然性というか、まあ、そうなることもあるっていうののが、今日も含めてやな、だんだん分かりつつある感じがするわ。そう言うことをもっと早く知ってたらな、あそこまで関係は悪化せえへんかったと思うし、おじいちゃんなりにちゃんと生きようとしたことを、もっとちゃんと受け入れられたはずやと思うわ」

「おじいちゃん、働いてなかったん?」

「3日に一回くらいは仕事休んでたな」

「そういう精神の不調みたいなんに自覚症状はあったんかな」

「いや、ないと思うで。単にやる気でえへんから、どうしたらええんかわからんって感じやったな。今で言う、不登校の子が学校行かれへんみたいな感じやと思うわ。
 おばあちゃんとおじいちゃんが結婚する前にな、おばあちゃんがおじいちゃんの近所の人に評判を聞いたんや。どんな人ですかって。そしたらな、だいたい『悪い人ではないですけど、変わり者ですよ』って返されたらしい。それでおばあちゃんは、まあええかと思ったんやと。今思い出すと、暴力とかはないし、借金も作らんかった。もっと酷い親なんか普通におると思うわ。だから、まあ、『変わり者ですけど悪い人じゃない…』、あ、違うか『悪い人じゃないけど変わり者』っていう意見は合ってると思う」

 父は料金所を超えて、車を左に寄せて止めた。『悪い人じゃないけど変わり者』という言葉が他人事には思えなかった。まあ、僕に関しては悪い人な可能性もある訳だけれど。

 僕はそこで一旦カメラを止めて映像を確認した。映像は問題なく撮れていた。後部座席から母が姿を現して、「寝てたわ」と言った。本当に眠っていたみたいだ。祖父の話に興味はないのだろうか?

 僕は撮影再開の準備を済まして言った。

「じゃあ、またお母さん隠れて。お父さん車動かして」

 車はまた列に加わって真ん中の車線をまた走り始めた。僕は言った。

「それで、次に聞きたいのが、お父さんと天皇の話やねんけど」

「なんや」

「おじいちゃんは、自分が天皇の子孫やと思ってたのは分かった。お父さんはその一方で、俺の見方では、天皇制に反対してる。俺の中では、お父さんの天皇への考え方とおじいちゃんの誇大妄想は関係あると思う。おじいちゃんへの反感がお父さんに、天皇制を否定させたんちゃうかって思うねん。それはお父さんはどう思うん?」

 父は「それはまあ、なくはないな」と言った。なくはないという言い方が気になった。僕は少し集中力を取り戻そうとした。僕は言った。

「お父さんは天皇に対してはどう思ってんの?」

 父は、そうやな、と言って頭を掻いた。

「そもそも、自由平等の考え方からして、天皇制というのはおかしいやんか」

 僕は言った。

「それはいつから思い始めたん?」

 自分が詰問してるような口調になっているのを止めることはできなかった。しかし父は穏やかに答えた。

「どうかな、高校の時には思ってた気がするわ。でも、本格的に違和感持ったのは大学入ってからやな」

「お父さんは7年大学におったんやろ? 俺はお父さんがそのときに、そういう政治的な運動をしてたんちゃうかと思ってんねん。3年留年してたのは、大学には行ってなかったん?」


「大学には毎日行ってたよ」

「何してたん?」

「毎日大学行って、お前のい言うとおり政治的な活動、思想的な運動をしてたんや」父はおどけて、笑いながら言った。それから少し考えて、また話し始めた。

「俺が大学入ったのは1980年で、入ってすぐの5月に韓国で光州事件ってのが起こった」

 僕はその話し方で、また長い話になるのだと思った。スピードメーターを見ると110キロを指していた。僕は「声がカメラに入らんから、スピードは90キロくらいでお願い」と言った。父はまた真ん中の車線に戻り、話し始めた。

 フロントガラスの向こうに快晴の空が広がっていた。なぜこんなに晴れているのか不思議に思った。(続く)

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