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フィリピンあるある、番外編(笑

フィリピンあるあるって結構出てきてよく言われるけど、ちょっと番外編的なものを・・・

飲み物の栓(王冠)を開ける時。

フィリピンに限らず東南アジアの国とかに行くと、瓶入りビールやジュースの栓を栓抜きを使わずにスプーンやライターを引っ掛けて開けているのを見かける。
栓抜きがあるのに使わないのではなく、無いときにはすっとスプーンやライターが登場し、何事もなかったのように開栓される。

我々のように、栓は栓抜きで開ける生活(常識)に慣れていると、栓抜きがない時、栓抜きを探す、見つからない時はどうやって栓抜きを手に入れるか・・・という方向に考えが向くと思うが、彼らはどうやって栓を開けるかを考えるのだと思う。

ミシンが壊れた。

フィリピンの田舎に住む義母は裁縫が得意で足踏みミシンでシーツや枕カバー、おチビさんの服まで家の中のものほとんどを作っている。
久しぶりに実家に帰省した時、その長年愛用のミシンはボビンに糸を巻く機能が壊れていた。どうするのかな?と思っていると、ボビンの中心の穴に木の枝を通し、回っているプーリーに軽くボビンを当てることでボビンは高速回転。あっという間に下糸がボビンに巻き上がった。

どのくらいの年月そうしてるのかわからないが、多分最初に壊れた時はとにかく直そうとしたんだと思う。けれどもミシン屋さんなんかないような田舎なので、どうやってその機能を直すかよりもどうやってボビンに糸を巻くか、に考えが向いたんだと思う。

広い常識

ちょっと前、ネット(SNS)に
フィリピンのネットは遅いとフィリピン人はいうが、諸外国のネットの通信速度(が早いこと)をどうやって知ったのか?何を基準にそういうのか?
のような書き込みがあった。

このことについて僕がフィリピンの人と付き合う中で感じたのは、
彼らは物事をネットの中限定で考える習慣をそもそも持っていないのだろうと思う。
ネットで映画を見ても時々止まる、乱れる。ニュースサイトを見ても読み込みが遅い・・・
これらは、ネットの中で(諸外国との比較の上で)相対的に遅いと感じてるのではなく、
彼らは、映画館で映画を見ること、紙に印刷されたニュースを読むことを、「本来そうあるべきもの」「基準点」として持ち続けているのではないか?
だからインターネットを情報を得る(映画を見る)ためのone of the optionと考え、けっしてその(ネットありきの)世の中に絡め取られていないような気がする。

だから彼らにとって、インターネットは永遠に遅いのである。(つまりどこまでいってもバーチャルだということ(笑

件のSNS、結構頭の良さそうな日本の人(プロフには有名国立大の研究員)が書いていて、多分彼は日本人と同じようにフィリピンの人も「ネットの中と条件を限定」してものを考えているに違いないと思いそれを前提に書かれたようだ。
ご本人も結構「ネットありき」の生活に絡め取られているような・・・

けれども、そこに縛られない彼らの方がよほどハイブリッドな考え、ダイナミックレンジの広い感性で生活しているのではないか。

飲み物の栓やミシンのような生活の細かなシーンから、ネット環境のような21世紀のトピックまでこのフィリピンイズムというかフィリピンあるあるは何か一貫性があるように感じられる。
インターネット黎明期から比較的高い普及率だったフィリピンが、未だに物事を考える時、ネットが無い状態のことも踏まえているのはとても興味深いし、本来見るべき視点を失っていないように思われる。。。とするのは僕の「ピン中」としての思考回路のなせる技か?(笑・汗

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