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変な部活のマッドサイエンティスト先輩に部屋を爆破されたい

小井手 天音とのファーストコンタクトは極めて奇妙であった。『発明部』の看板が立て掛けられた、寂れた部室棟の隅。なぜか何重にも張り巡らされた警告テープをくぐり辿り着いたその扉を開けると、馬のマスクを被った奇人がいた。

「地獄の底へようこそ、1年生。実験を開始する」

言うが早いか、彼女はマスクを著しく痙攣させながら無数のドリンク類を大釜に投入し始めた。『マカ皇帝倫』の空き容器が視界の隅を踊る。
そうして出来上がった猟奇的飲料を彼女はハイポーションと形容した。
「こいつを淹れるときは、この格好がドレスコードなのさ」
マスクを脱いだ彼女の、無造作に、そして軽やかに跳ねた髪。その間から覗く、洞穴のように深く凶獣を思わせる仄暗い眼。しかし僕はその瞳に、宇宙の広がりを見た。
それが最後の記憶だった。
僕は彼女にハイポーションを注ぎ込まれ昏倒し、次に目覚めた時には発明部への入部届を握っていた。
『希望理由:  
小井手天音の専属被験者になりたすぎるため』
紅く滲んだ承諾印が、これからの凄惨な学生生活をどうしようもなく諷示していた。


それからの生活はまさに地獄である。
あるときは遠隔肉体操作機を取り付けられ、全盛期のイアン・ソープと全く同じ動きをさせられた。北校舎の廊下で猛烈にクロールをしていたせいで、通りがかりの教頭にエピペンをブッ刺された。またあるときは先輩が僕のアパートに突撃してきた。
「ゾウの歯磨き粉を見たことはあるかぁ〜い?」
彼女はそう言い放ち、ドラム缶に過酸化水素とヨウ化カリウム水素水を流し込んだ。爆烈に噴き上がる泡に押し流されながら、今のセリフ黄猿みたいだったなと思った。部屋は吹き飛んだ。

この部を辞めなければ死ぬ。それも前人未到の死因で。僕は高等学校に入学したのであって、このマッド狂人のケージに入学したつもりはない。そう思っていながら今日も警告テープをくぐるのは、ひとりぼっちの先輩が気の毒だからだ。目に見えない何かに言い訳しながら、発明部の扉を開ける。我楽多屋敷のような、あるいは宝箱のようなその部室に、先輩の姿はなかった。


「最近、部活来ませんね」
久しぶりに部室に姿を見せた先輩は、僕に怪しげなパワードスーツを取り付けながら、ん〜、と気の抜けた返事をする。
「色々忙しくてね。こいつも作っていたし」
それなら、ここで作業すればいいじゃないですか。そう言うのはなんだか悔しくて、喉元までせり上がった言葉を嚥下した。
「これはね、大脳辺縁系の活性を読み取って、本人の代わりに感情を表現するんだ」
足元のベルトを締める先輩の、ひょこひょこと動く頭を目で追う。先輩、つむじ2個あるんだ。
「応用すれば、情動機能に障害のある患者の助けになるかもしれない」
久しぶりに聞いた先輩の声は、以前より穏やかで、だから僕は、思うように言葉を返せない。
窓から差し込む夕陽は、晩秋の色をしていた。
「さあ、実験開始だ。1年生」
先輩がスイッチを押すと、僕の体は駆動音を上げながら静かなワルツを踊る。
「おやおや、これは……『楽』が半分、『平穏』と『緊張』が半分、ってところかな」
私に会えて嬉しかったのかい?
先輩は少しおどけて、モニタに目を移す。
「ほっといてください」
少しぶっきらぼうに言い放つが、スーツからは『ズボシィッ!!』とふざけた効果音が鳴った。憎らしいことに、実験は成功だ。
先輩は声をあげて笑い、頬杖をついて目を細めた。少女のように、顔を赤らめていた。


「じゃあ、安心して発明部を任せられるな」


静寂の中を、吹奏楽部の下手なトロンボーンだけが泳ぐ。

「私の実家は貧乏でね、大学は免除型奨学金が出るところに行かなきゃならないんだ。総合型選抜枠でさ。ここ最近はそこの教授と面会していてね、幸いなことにこの『発明部』の活動をいたく気に入って貰えたらしくて、好感触だったと思うよ。とはいえ、共通テストの点数も重要だから、今までのように部活動に時間は取れないんだ。
だからさ、」

発明部は、引退するよ。

それは世界が終わる一言だった。
下校時間10分前のチャイムが、再び沈黙をもたらす。
ごめんね、1年生。
すっかりクセの取れた髪を掻きながら、寂しそうに笑う先輩を見て、僕の中の何かが崩れた。パワードスーツが音を立てて変形していく。どす黒い菩提樹のように僕を絡めるそれは、うねる業火のように明白な『怒り』だった。

「ふざけるな」

言葉が漏れ出す。

「ふざけないでくださいよ、先輩。
先輩は、先輩はイカれてて、迷惑で、倫理なんて、常識なんてない、不遜な変人科学者でしょ?それなのに今さら、大人の顔色伺って評定稼いでチンケな大学入って、ほとんど一本道しかない進路に進んで、地元の企業で古くさいコピー機動かして、それなりの男とけ、結婚して、子ども2人作って、中学の教科書読み返して、自信なさそうに勉強教えるんですか……? それで、僕の知らない天井見ながら、ありふれた病気で死ぬ、死ぬんですか……!? ふざけんな。ふざけんなよ! 先輩は、先輩は先輩は僕の日常をおかしくするど変人の天才科学者なんでしょ!? 『変な部活のマッドサイエンティスト先輩』なんだろ!? 風紀委員会に目の敵にされて、追いかけられてはいつも煙に巻いて逃げるんだ。なぜかいつまでも高校に居座って、たまに論文書いて、その金で悠々自適に暮らしてるんだ。猫耳が生える薬とか、本音しか喋れなくなる薬を作るんだろ。そうじゃなきゃ…! そうじゃなきゃ、なんのために僕は警告テープ避けながらこんな部室棟の隅っこに見学しに来たと思ってるんだ。入部届を破り捨てなかったんだ! 嫌がりながら家のドア開けたと思ってるんだよ!! こんな、こんなモルモットの僕が、今さら一人でここでどうすりゃいいんだよ!!

僕は……

僕は、どうすればいいんですか……」

滑稽だ。ごつごつしたスーツを蠢かせながら、先輩の足元に泣きながら縋る僕は、この上なく滑稽に映るんだろう。誰の目にも。先輩の目にも。

先輩は、顔を引き攣らせて言った。

「ヤバいぞ、キミ……」

言い捨てられたその一言だけは、妙に『キャラクター』に一致していて僕は、行き場を無くした感情を抱えたまま、変な顔で小さく笑った。



マシュマロのリクエストより


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