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Billy Joel one night only

 Billy Joel one night only  in concert at Tokyo Dome
 このタイトルがすべてを物語っている。そう、ビリー・ジョエルは一夜限りの日本でのライブを2024年1月24日(水)に東京ドームで行った。
 16年ぶり、11度目の日本公演だ。
 ちょうど、新曲「Turn the Lights Back On」が2月1日にリリースされることが発表されたタイミングでのコンサート開催となった。
 「暗がりをまたonにするのに僕は長く待ちすぎたのかな?」

 ビリー・ジョエルが流行っていた1970年代後半から80年代。60年生きてきた中で最も感性が鋭く、おそらく一番幸せな時期だった。その時代のBGMとしていつも耳にしていた音楽がビリーの歌だった。
 レコードやラジオでおなじみの声がライブで流れて来た。それだけで感動もので、同じ声で同じ歌を歌ってくれる。50年近く昔の自分の部屋でビリーの歌声を聞いていた気持ちが蘇って来て、泣きたくなる。
 そんなライブだった。
 定刻の午後7時を回ると音楽が流れ始め音量が高まると会場が暗くなった。ベートーベンがピアノで奏でられ、それがいつしかイントロに変わった。そう、「My Life」だ。観客が合わせて歌う声が響いてくる。
 ビリーの「1,2,3,4」の掛け声で次に歌われたのは「Movin' out」。アルバム『Stranger』(77)のオープニングナンバーだ。


 「みなさん、こんばんは。お久しぶりです」とビリーが日本語で挨拶。
 続くはアルバム『Streetlife Serenade』(74)から「The Entertainer」。
 その次に歌われたのは、おそらく日本で一番人気があるビリーのナンバー「Honesty」だった。会場のあちこちでペンライトの灯りが煌いた。
 歌い終わるとビリーは「Thank you」と一言。そしておじぎをした。


 「さくらさくら」をピアノで奏で始めたが、そこから『52nd Street』(78)収録曲の「Zanzibar」へ。
 トランペットの間奏には大きな拍手が送られた。
 ここでビリーはピアノから離れ、マイクスタンドの前へ移動した。そして「ミック・ジャガー」というと始まったのが、ローリング・ストーンズの「
Start me up」だった。観客は沸いた。
 歌い終わると英語で「僕はミック・ジャガーじゃないよ」。
 「1983年、僕は30代だった」とビリーは言って、その頃に高音を駆使して歌った「Innocent Man」の紹介をして歌い始めた。ビリーのボーカルが高音部分になると大きな拍手が起こった。
 歌い終わるとビリーは額の汗をぬぐっていた。
 「同じアルバムから」といって始まったのは「ライオンは寝ている」。これはちょっとしたお遊び。そして歌われたのは「Longest Time」。


 ピアノに戻ったビリーがスペイン語でカウントして歌ったのは「Don't ask me why」。ロック色が強い『Glass House』(80)の中ではポップな曲。
 その後、「Vienna」(『Stranger』)、「Keeping the faith」(『Innocent Man』)、「Allen Town」(『The Nylon Curtain』)と続く。
 『The Nylon Curtain』(82)は問題作だった。というのも社会ネタを歌った作品がほぼすべてだったからだ。この曲もUS スチールの城下町の盛衰を歌っている。ビリーは当時、「故ジョン・レノンが乗り移ったかのようだった」と語っていたのを思い出した。
 次にピアノでイントロを弾き始めると拍手とともにどよめきが起こった。人気曲「New York State of Mind(ニューヨークの想い)」だ。
 この曲を聴くと思い出すのがビリーと今は亡きトニー・ベネットがシェイ・スタジアムのサヨナラコンサートでゲスト出演してデュエットした時の映像だ。トニーもニューヨークっ子だった。


 そして、曲の最後のピアノとサックスの掛け合いが素晴らしかった。
 たたみかけるかのように続けたのは「Stranger」。日本での大ヒット曲だ。海外のライブでは演奏しないようで、日本向けの特別な計らいだろう。
 「ボンボン」というビリーが口にした擬音で始まったのが「Say goodbye to Hollewood(さよならハリウッド)」。『Songs in the attick』(81)という、埋もれてしまったかつての自分の作品を「屋根裏部屋」から取り出してライブ演奏するという企画で蘇った曲だ。
  次に歌われたのは「Sometimes a fantasy」。『Glass House』に収録されている、この日のラインナップでは比較的地味な曲との印象だった。
 次は『Stranger』から「Only the good die young(若死にするのは善人だけ)」。これはノリがいい踊れるナンバーで、人気曲だ。エンディングを少し長めに演奏して、これに観客は大きな拍手を送った。
 次は現在のところの”最新アルバム”『River of Dreams』(93)のタイトル曲。途中、女性ボーカルのクリスタル・タリイモロが別の歌を歌い、再び「In the middle of the night」という歌詞と共にもとの歌に戻っていった。


 ここでオペラの曲「誰も寝てはならぬ」が演奏され、それに続いたのは「The scence from Italian restaurant(イタリアンレストランにて)」。『Stranger』収録のこれまた人気曲である。
 ここでビリーがハーモニカを装着するや観客がわいた。そう、演奏されたのはビリーの代名詞ともいえる「Piano Man」だった。ビリーは歌詞の途中を「Pretty good crowd in Tokyo」に変えて歌った。


 これで本編は終わりでビリーらは一旦ステージを去った。
 ここからアンコール。ビリーはギターを手に登場。歌ったのは大ヒット曲「We didn't start the fire(ハートにファイア)」。いろいろな事件や有名人の名前などが織り込まれたアメリカの歴史絵巻のような曲だ。
 続いてこれも全米ナンバーワン曲「Uptown Girl」。もう一曲全米首位獲得曲「It's still rock'n'roll to me(ロックンロールが最高さ)」。
 『52nd Street』の冒頭を飾る「Big Shot」の後、ガラスが割れる音が流れて「You may be right(ガラスのニューヨーク)」でコンサートが締めくくられた。ビリーは「Thank you Tokyo」と言うとステージを去った。
 時計は午後9時半を指していた。



 
 

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