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中川五郎の福田村虐殺

 関東大震災から100年目となる今年、当時の混乱の中で起こった朝鮮人らの虐殺が再び議論の的となっている。現在の千葉県野田市で起こった四国からの行商人の虐殺を描いた映画「福田村事件」も話題を呼んでいる。
 その映画のきっかけを作ったのはフォーク歌手の中川五郎さんの作品である。4年ほど前、荒井晴彦さんと井上淳一さんという二人の映画監督がトークイベントのために車で長野に向かっていた。
 車中でたまたまかけたCDから流れてきたのは中川五郎さんの「1923年福田村の虐殺」という歌だった。荒井さんはこれは映画にしなければいけないと思い、映画化の話が具体的になったのである。
 井上さんを監督に映画化しようと動いている時、森達也さんが事件についての文章を書いていた。荒井さん、井上さん、そしてぜひとも自分が映画にしたいという森さんとがつながって2020年秋に森監督に決定。映画「福田村事件」は今年9月1日に公開され、ロングランを記録中。
 中川さんは2023年10月8日(日)にフォークソング居酒屋「ほたるの里」(東京都武蔵野市境南町3-1-4)で行われたライブでその歌を歌った。中川さんが同所で歌うのは何と7年ぶりのことだった。

 


 「昔のことを歌うんじゃないんです。同じことが今の日本でも繰り返されていて、なんで全然気がつかないんだろうと思い、今の日本のことを考えようと思って作った歌です」と中川さんは話した。
 およそ2時間半に及んだライブは「勝子さんの77本のバラ」で始まった。77歳を迎えた勝子さんのもとに離れて暮らす娘から77本のバラが例年通り届いたという新聞への投稿がもとになっている。「70歳からの一年は若い頃の10年に値する労力を必要とするかもしれない」と中川さん。
 続いては「ミサオおばあちゃんの笹もち」。笹もちづくりで75歳から商売を始め、95歳になって一休みというおばあちゃんの話である。この話は新聞の「ひとものコラム」から採ったものだという。
 今はミサオおばあちゃんの笹もちはネット販売されており、疑似商品も沢山出ているようになったという。
 中川さんは苦笑交じりに言った。「その町(青森県五所川原)のスーパーでしか買えないと思っていたのがネット販売と聞いてイメージが変わりました。疑似商品はオリジナルほど美味しくないとは思うけれど・・・」


 次は谷川俊太郎さんの詩に中川さんが曲をつけた「母を売りに」。宮尾節子さんの詩にやはり中川さんが曲を書いた「再会」。そして「ミスター・ボージャングル」という作品。それに続いたのは「吉野さんの鷹山カレー」。京都府警の刑事が東日本大震災の際に現地で検死を行ったのち考えることがあり仕事を辞めカレー屋を始めたことを中川さんが歌にした。
 これも震災関係だがテーマは「非常時にこそ芸術が必要だ」ということで、曲名は「フェルメールからのラブレター」。震災から約7か月半後にフェルメールの展覧会が宮城県でも開かれたことなどに触発された。
 「ぼくはギター ぼくとギター」。そしてビートルズの「Nowhere Man」を日本語にした「はみだし君」、奈良少年刑務所の囚人の詩をもとにした「言葉」という「言葉の素晴らしさ、難しさ、大切さ」についての歌。


 そのあとに「1923年福田村の虐殺」が披露された。当初歌う予定はなかったが、観客からの強い要望で、23番まであって20分を超える大作が歌われた。最後は一番最近作った歌だという「空飛ぶ金のしゃちほこ」。これは名古屋城の再建問題について行政の姿勢を厳しく突いた作品だ。
 最後にフォークソング居酒屋「ほたるの里」の飯田公子さんが「(吉祥寺の)がらんどうで50年近く前に中川さんと初めて会いました。当時の中川さんはアフロヘアで怖いお兄さんでした」と話して、笑いを誘った。


 

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