「キリンさんがすきです」で始まるCMが昔あったような
“すき”という感情が好きだ。
と、いきなり書き出してみる。
でも、本当にそうだ。誰に教わらずとも子供がすでに知っており、“愛する”という言葉ほど高尚でなく、日常のあちこちにありふれた心と身体の動き、それが“すき”という感情だ。
カレーライスがすき。猫の寝顔がすき。サッカーがすき。晴れた夏の空がすき。鳥の鳴き声で目覚める朝がすき。あのアーティストがすき。この歌詞がすき。雪見だいふくがすき。あの人がすき。自分がすき。
そこにあるのは、生き生きとした気持ち。それは純粋で、直感的で、誰にも消せない何か。深い意味はない、でもそこには「出会えた喜び」がたっぷり含まれている。だからこそ、生まれて死ぬまでのつかのまの日々のなかで、何かを“すき”だと思えることは尊いとさえ思う。
僕はインタビューだったり、聴くにまつわる仕事を通じて、誰かの“すき”に添いたいのだろう。
そう言うと、いつもハッピーな話ばかり聴いていたいと思われてしまうかもしれないが、そういうわけではない。愚痴ってるときも、悲しいときも、絶望の中にさえ、探せばその奥に見え隠れするのは、その人が大事にしているものであり、その人の“すき”だと思うのだ。だから、どんな話も大事だ。
インタビューには、どこまでできるのだろう?
今年は、僕なりにインタビューをもっと深められる年にしたい。(目標というより、予感に近いが)そうなるような気がする。そしてインタビューを通じて、人間についてあれこれ考え続けるだろう。それが僕のすきなことの一つだから。
noteは昨年後半あまり書けませんでしたが、今年はマイペースながらもちょくちょく書きたい気持ちです。もしよければ、気が向いたときに覗きにきてください。
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