見出し画像

落語日記 落語協会百年記念の寄席の特別興行

鈴本演芸場 3月上席昼の部 落語協会100年事業 寄席特別興行
3月3日
落語協会は、今年が協会が誕生してから百年を迎える記念の年として、数々の祝賀行事を開催している。
百年前の落語界をめぐる状況は、記録も少ないようだが、いくつかの演芸家の団体が存在していたようだ。落語協会が確認できるルーツとしたのは、現在の落語協会の母体となった「東京落語会」が、1924年(大正13年)2月25日に上野精養軒で開催された発会式だ。この当時の様子が、この発会式を報じた都新聞(東京新聞の前身)の記事で残されているそうだ。
その後も、演芸家の団体は離合集散を繰り返しているので、団体の誕生日を認定するのはなかなか難しい。そんな中、落語協会は、現在まで協会に続く経緯をたどれる東京落語会の発足が確認できる最古の日として、この1924年(大正13年)2月25日を落語協会の誕生日として公式に認定した。この認定によって、今年が落語協会が誕生してから百年目に当たることになった。

昨年に記念行事を開催することを発表してから準備を重ね、いよいよ本番の今年を迎える。まず、百年前と同じ2月25日に同じ会場である上野精養軒で、百歳の誕生日を祝う記念式典を開催した。このあたりも、なかなかシャレが効いている。
そして、記念の特別興行の第一弾が、鈴本演芸場の3月上席から始まった。昼の部・夜の部ともに、落語協会百年に掛けた演目「百年目」を主任の落語家2人がリレーでの口演を企画した。この主任を務めるのは、落語協会を代表する人気者、重鎮から若手までが日替わりで務める。
こんなお祭り騒ぎの現場を、落語ファン寄席ファンとしては、観に行かない選択肢は無い。休日の昼席、主任を務めるのは馬生師匠と菊之丞師匠という好きなお二人。グッドな条件が重なり、この日を逃してはなるものかと出掛けてきた。

緞帳が上がると、高座には、百年を記念した後幕が張られている。これは江戸家猫八先生がデザインしたもの。後幕の紹介と協賛企業を紹介するアナウンスが流れ、特別な興行が始まることを伝える。

三遊亭志う歌「やかん」
特別興行なので前座なしで、開口一番は真打の志う歌師匠から始まる。前座代わりに、携帯などの注意事項の告知。ユニクロなどのコラボ事業の紹介。開口一番として、色々と気を使われている。
この鈴本の3月中席昼の部の主任が決まっている志う歌師匠、余裕を感じさせるリズミカルな一席だった。

アサダ二世 奇術
特別興行でも、いつもと変わらないのがアサダ先生らしさ。今日はちゃんとやります、の挨拶でほっとする。ロープの結び目も投げてくれて、絶好調。

古今亭文菊「つる」
マクラの挨拶が、聴くたびに徐々に変化してきている。気持ち悪いお坊さんは聞かれなくなった。落語家は顔が崩れている方が演りやすい、どこか抜けている方が演りやすい、その点、自分はやりづらい。この気取ったマクラで笑いをとったあと、調子のいい江戸っ子を流暢な語り口で聴かせてくれるギャップが魅力。

鈴々舎馬風「楽屋外伝」
いったん緞帳が下りて、上がったときには椅子に座った馬風師匠が板付きで登場。かなり足がお悪そうだが、おしゃべりは元気いっぱい。いつもの思い出話は、何度聴いても笑ってしまう。また、馬風師匠の笑顔につられて笑ってしまうのだ。

すず風にゃん子・金魚 漫才
コロナ禍も明けて、以前の元気な高座に戻った感じのお二人。お馴染みの金魚先生の髪飾りは、特別興行らしく百年祝賀バージョン。なんと、クラッカーが仕込まれていて、見事に発射。前日までは、なかなかうまく発射しないハプニングの連続だったらしい。この日の成功にお二人は大喜び。観客も大拍手で盛り上がる。

林家彦いち「反対俥」
百年実行委員の彦いち師匠の登場。実行委員らしく、落語協会の百年について触れる。百年の間には色々あったが、彦いち師匠が感じた近年の歴史的出来事としてコロナ禍の話題を語ってくれた。
エンタメ業界全体が自粛を余儀なくされるなか、寄席だけは「社会生活の維持にに必要」という理由で開催を継続するという矜持をみせた出来事があった。その当時、コロナ担当の西村大臣が寄席へ視察に来られた。滞在時間はなんと15分ほどの短い時間。多くの演者の高座がある中で、この大臣の滞在時間中に高座に上がっていたのは、なんとアサダ先生。こんな奇遇はありますか。寄席が休席となったのは、その何日かのちです。これには会場は、大爆笑。
数ある演者の中でも、最も寄席らしい空気を感じさせるアサダ先生を大臣に見せるとは、きっと落語の神様の選択に違いない。彦いち師匠の話を聞いて、私はそう確信した。
そんな話で盛り上げたあと、彦いち師匠では珍しい古典。それも彦いち師匠らしい爆笑の一席。芸域の広さを見せてくれた彦いち師匠。

春風亭与いち「六尺棒」
二ツ目がこの位置の出番で高座に上がることはないと、やや緊張の面持ちで語りだす。噺は直前の反対俥を受けて、若旦那が威勢のいい人力俥に乗っているところから始めるという荒業を見せた。言葉とは裏腹に、余裕を見せる与いちさん。

柳家小満ん「あちたりこちたり」
本編は、以前にどこかで聴いたことがある噺だなあと思い、後で日記を検索してみると、昨年の4月の黒門亭での柳家福治師匠の一席で聴いていた。珍しい噺だったので、当時この演目を調べていて、小満ん師匠作の噺だと記録していた。なんと作者自身の口演で聴けるとの、まさに僥倖の高座。
噺の中では固有名詞が多発し、笑いどころが連続する。湯屋、居酒屋、寿司屋、クラブと、酔っ払いが回遊していく様子が面白い。でも、酒飲みとしては少し心痛い噺でもある。

林家二楽 紙切り
桃太郎(鋏試し)・雛祭り・林家正楽
最後のお題が、今年の1月に亡くなられた師匠というお題。二楽師匠は切りながら思い出を語ってくれた。亡くなった今だから語れるという話。本来ならこの特別興行にも出演されていたはずの正楽師匠。それが、紙切りのお題で出演することになろうとは。このお題を注文されたお客さんのグッドジョブだ。

春風亭一朝「鮑のし」
特別興行の仲入り前の一席を、普段と変わらない軽妙な滑稽噺で盛り上げてくれた一朝師匠。いつもと同じ寄席の空気を感じさせてくれたことが、寄席ファンにとっては高揚感を感じさせてくれて、何よりの特別興行の盛り上げ役となったのだ。

仲入り

口上 林家彦いち
百年実行委員会委員でもあり、この日の出番があった彦いち師匠が、独りで口上を述べる。
前身の東京落語会の発会式が行われたのは、関東大震災の翌年。当時の演芸界も、壊滅的な被害を受けた。芸人たちも苦境に陥り、同業者として助け合う機運が起きて、互助会的な団体を作ったらしい。これは他の業界でも同様であって、当時は同業者の団体の発足が相次いだようなのだ。
彦いち師匠は落語協会百年記念誌の編集を担当されたそうで、そのお役目の中で、この百年間の色々な出来事に触れてこられたことだろう。そんな百年の歴史の長さや重さに対して、彦いち師匠は実行委員会の委員として、人一倍の感慨を持っておられるように感じた口上だった。

立花家橘之助 浮世節
「梅は咲いたか」「たぬき」
膝替りは、落語協会の色物を代表すると言っても過言ではない、人気者の橘之助師匠。この日も満面の笑みで、明るく見事な演奏と唄を聴かせてくれた。
 
古今亭菊之丞「百年目」リレー(前半)
この日の主任のお一人が登場。客席から見える高座の袖の入口では、金原亭馬治師匠が菊之丞師匠をお見送りされていた。こんな風景からも、この特別興行が出演しない多くの芸人さんたちに支えられていることが分かる。
マクラは、商家での奉公の話から。丁稚、手代、番頭と出世していく身分の違いや、住み込みで働き休みは年二回しかないなどの、現代とは異なる当時の労働環境の話。本編でのテーマとなる、番頭に出世するまでの苦労を伝えるマクラだ。
この演目は、菊之丞師匠で聴くのは初めて。古今亭らしい、きっちりとした本寸法な一席。口うるさく奉公人たちを𠮟る番頭の上司ぶりは、菊之丞師匠の雰囲気とぴったり。向島の墨堤での花見の場面で、店頭とは打って変わって粋に遊ぶ番頭の遊び人ぶりも見事。芸事に通じている菊之丞師匠ならではの演出だ。
大旦那と遭遇してからの急転直下、万事休す、絶体絶命、最大のピンチを迎えた番頭が店に帰ってきたところまでで、後半の馬生師匠へ繋ぐ。

金原亭馬生「百年目」リレー(後半)
出囃子もなく登場し、マクラも無しで、番頭のセリフから始める。噺をスムーズに繋ぐという演出。
馬生師匠の百年目は何度目か。大旦那の貫禄がピッタリの馬生師匠ならではの心に染み入る番頭への語り掛け。これは馬生師匠の年輪と経験が醸し出す名場面だ。最後は、番頭を元気づけるために、かっぽれでも踊っておくれと言う様な、おちゃめな顔も見せてくれる馬生師匠。
古今亭の名手二人の豪華なリレーの一席、まさに特別興行ならでの贅沢な主任の一席だった。

この噺の下げは、ご存じ「百年目と思いました」という番頭のセリフ。番頭が思わず発した「ご無沙汰しております」というセリフの理由となるセリフなのだが、この「百年目」という言葉の意味が、現代ではなかなか通じ辛くなっている。
今回の前半の菊之丞師匠は、百年目の意味をマクラで語ることはしなかった。下げの意味は、落語ファンならみなご存じという前提だろう。ただ、日常の会話でほとんど使われなくなっているし、時代劇がメディアで観る機会が減っている昨今、世の中で落語ファン以外にこの言葉の意味を理解している人は少なくなってきていると感じている。
このように、現代では意味が通じにくい落語の下げの言葉は結構ある。「おこわにかける」「故障が入る」などは、マクラでこれらの言葉の意味を伝える演者もいるくらいだ。
落語協会創立から百年目の年に記念に選ばれた演目が「百年目」。その言葉の意味が通じにくくなるくらいに、落語協会は時の流れを経てきている。文字面だけでなく、本当に年月の長さを象徴する演目でもある。
蛇足だが野暮を承知で、最後に言葉の意味を記して日記を締めくくる。この「百年目」という言葉の意味は、辞書的には2通りある。ひとつは「めったにない好機や好運を指す」という意味と、他方は「追い詰められて絶体絶命の状況になること、悪事が露見して命運が尽きること、万策尽きて万事休すとなること」を意味している。
そして、この噺の下げで使われた百年目は後者の意味であり、と同時に、百年という長い期間を意味することにも係っていて「ご無沙汰しております」という言葉に繋がるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?