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落語日記 老舗のホール落語会も会場探しで大変なのだ

第669回 落語研究会
3月29日 日本橋劇場
TBS主催の老舗落語会に4ヶ月ぶりに参加。長年の本拠地の国立劇場が使えなくなって、この日本橋劇場に移転し開催している。しかし、ここも改修工事が始まり、6月からは「よみうり大手町ホール」へ移転する。なかなかに流浪の落語会だ。
しかし、この状況は落語研究会だけの話ではない。たまたまだろうが、落語会で使われている会場の改修や建替えが相次いでいるので、会場探しが大変な状況となっているのが今の落語界なのだ。

三遊亭歌彦「悋気の独楽」
開口一番は二ツ目枠。この日は三遊亭歌奴門下の歌彦さん。まずは自己紹介代わりに出身地高知の話題から。ドンキが無い、セブンイレブンが出来たときは大行列と、地方イジリで笑わせる。そこからコンビニで見かけたカップルの話。顔を見ると美女と醜男、急に嫉妬心が沸いてきたと共感の笑い。
本編は、小僧定吉の可愛さが際立つ一席。妾にうつつを抜かす呑気な大旦那と嫉妬でヒステリーな感情を露わにしている女将の間にあって、定吉の無邪気さが救いの笑いを呼び起こす。歌彦さんの芸風を活かした一席でもある。

柳家喬太郎「普段の袴」
この落語研究会は、建替えのため昨年10月に閉鎖された国立劇場小ホールで続けられていた。この会の常連さんにとっても国立劇場は思い出深い場所。これは演者にとっても同じこと。この落語研究会に数多く出演されている喬太郎師匠も、おそらく、国立劇場には感慨深い思い出があるのだろう。そんな避けては通れない話題として、国立劇場にあった社員食堂の話。
この話は以前にも聴いたが、建て替え後にも残して欲しい社員食堂というネタ。こんな社食にして欲しいという表現が喬太郎師匠らしさあふれる爆笑のネタなのだが、根底に流れる郷愁のような感情が伝わってくる。

本編は寄席で聴くような凝縮された一席。この出番のポジションを心得た、喬太郎師匠らしい一席だ。
知ったかぶりの可笑しさを見せてくれるのは、喬太郎師匠の得意技。特に「祝儀と不祝儀がぶつかったのか」との問いに対して、上野広小路の角で祝儀と不祝儀がぶつかって喧嘩になる様子を見て来たかのように語る八五郎に、会場爆笑。知ったかぶりを突き詰めた可笑しさだ。
大家さんも道具屋の店主も、知ったかぶる八五郎を見守るような暖かな視線を送る。最初は訝しがっていた道具屋の店主が、八五郎の与太話を聞いているうちに徐々に八五郎を愛おしむようになる。これには観客もつられて、同じように八五郎が愛おしくなってくるのだ。まさに、喬太郎マジック。

春風亭柳橋「干物箱」
この日の仲入り前のポジションは、芸協の重鎮に任された。柳橋師匠の端正で過度な笑いを追求しない落ち着いた高座は、爆笑の喬太郎師匠と一之輔師匠の高座の間にあって、お互いの良さを消し合わない絶妙な配置となった。
マクラは、コロナ禍が落ち着いた今になって振り返る当時の話から。コロナ禍の最中に感じたのは、寄席の客席は感染の危険性は少ないのではということ。コロナのころは観客が少なかったが、柳橋師匠が前座のころの寄席の客席はこんなものではなかった。観客ゼロも珍しくなかった。前座が呼び込みをして一人でも入ると慌てて高座に上がった思い出。柳橋師匠の世代ならではの、信憑性のある思い出話。

昔の道楽、サンドラ煩悩の定番のマクラから本編へ。遊び人の若旦那よりも、貸本屋の金蔵のいい加減さが際立っている一席。
この男の一人妄想での弾けっぷりが凄い。二階の部屋で花魁から若旦那宛の手紙を読んで、自分の悪口に激怒し我を忘れる。大旦那が二階に上がって来たことも気付かないほど。大旦那が二階に上がってきて、慌てて布団に隠れる型ではない。金蔵が大声を上げていて、大旦那に直ぐに見つかってしまう型。まさに、金蔵の直情型の性格が強調される場面となっている。
配布されたパンフによると、柳橋師匠はこの噺を今年1月に亡くなった九代目春風亭小柳枝師から習ったそうだ。私は存じ上げないが、歌い上げるような名調子で地味な噺も陽気で華やかなネタに変えた、古典派の大看板だったそうだ。まさに、そんな名人の芸風を引き継いでいるかのような一席だった。

仲入

春風亭一之輔「花見酒」
一之輔師匠も思い出深い国立劇場の建替えの話から始める。この会の会場がまた変わることから、顔付けの変わるサーカスみたいと、流浪の会であることを上手く比喩して笑わせる。
この日は午後からの気温の上昇で、東京で桜の開花宣言が発表され、早速その話題をいじる。気象庁の職員が靖国神社にある標本木の開花した桜を確認する様子や、観察される桜の蕾たちを擬人化して、その大騒ぎの様子を見せる。職員は吞気な商売、注目を集めている桜の蕾たちは恥ずかし気な様子。少しの毒舌と観察力で、ニュースも笑いに変えるのが一之輔師匠の魅力。
まさに、ネタ出しの「花見酒」を掛けるに相応しい、ドンピシャなタイミング。時機を逃さないマクラは、さすが。
この会は落語研究会、皆さんはのんびりと気楽に聴けていいですが、こちらは研究していて大変なんです。こんな風に客席に対して吐く毒舌も、笑いの境界線を乗り越えない丁度良い匙加減。

演目は、花見の噺としては珍しい部類の噺。天どん師匠で聴いて以来、二度目。こんな楽しい噺、この季節にもっと聴かれても良いと思う。また、下げも上手く出来ていて好きだ。
徐々に酔っ払っていく様子は、一之輔師匠の技量の高さをうかがわせる。呑みながら酒を褒めるときに男が呟く「この店の調合が良い」というセリフがあった。現代では聴くことが無い日本酒の誉め言葉だ。江戸時代は、上方から送られてくる日本酒を仲買人や問屋などは水で割って販売していたそうだ。その割り方に店独自の工夫があり、それによって旨い酒を売る店とそうでない店の違いが生まれたようなのだ。噺の舞台は明治に入った頃かもしれないが、そんな江戸の頃の日本酒事情を反映している名残りの様なセリフを、何気に聴かせてくれた一之輔師匠。爆笑だけの落語ではないのだ。

立川龍志「寝床」
この日の主任は、立川流の重鎮。私は久し振り。日記を調べると12年前に、初めて龍志師匠を聴いたときの演目がこの噺。奇遇だが、これもご縁。
マクラは、最近の若者は邦楽を学ぶ人が増えているという話から。大学の邦楽科も人気。邦楽の楽器は多種あるが、なかでも人気なのが三味線。三味線を使う邦楽といえば義太夫。そんな話から、その昔、タレギダと呼ばれた娘義太夫が一世を風靡し、道楽として素人が義太夫を語ることも流行ったという話へ。流れるような定番のマクラから本編へと見事な流れ。昭和の名人を思わせる古風な語り口で、ひと昔の落語家を彷彿させる。私は好きだ。

まずは、店子の言い訳の羅列を聴かせるところは鉄板。奉公人の言い訳の羅列も定番で聴かせどころ。大旦那のうっぷんが徐々に貯まっていき、繁蔵の「因果と丈夫」に切れて怒り爆発する様子が可笑しい。
先の番頭が蔵に逃げ込んで、その後に店から逃亡。その後の消息は、モンゴルで相撲を取っているとのこと。ここを下げにして終われば「素人義太夫」。しかし、ここでは終わらず、その後に大旦那が義太夫を語る場面もたっぷりと。
開演前に豆腐屋が楽屋の大旦那を訪ねていき、何を語ってくれるのかと演目を尋ねる場面がある。今まで聴いた寝床では、あまり登場しない場面だ。大旦那は、嬉しそうに、次から次から義太夫節の演目を上げていく。豆腐屋の「そこでお開きということに」に対して、「いやまだ」との繰り返しが笑いを呼ぶ。義太夫節の演目を丁寧に上げていくところが、龍志師匠らしく古典の雰囲気を高めている。
下げの前の「あそこはあたしが義太夫を語った床(とこ)じゃないか」ときっちり床を強調されているので、下げの意味を分かりやすく伝えていたのも印象的。全体に古典の雰囲気や言葉を大切にされていた印象を受ける。龍志師匠の丁寧な長講で締めくくられた会だった。


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