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【現代空間論4】中村雄二郎「場所」

「時間」への強い関心に比べると、近代哲学は「空間」をほとんど顧みなかったといわれます。
しかし、20世紀に入り、西田幾多郎が「場所」、和辻哲郎が『風土』、中村雄二郎が『場所』を提出していったように、日本の哲学者たちは真正面から「場所」や「空間」の研究に取り組んでいきました。
これは、もとより他人や社会への関心が強い日本の文化風土と無関係ではありません。

基体としての場所

和辻哲郎は、近代哲学が「時間」に比べ「空間」に関心を向けなかった理由を、「人間存在を、ただ人の存在として捕らえた」というように、自己をもっぱら「個」として捉えてきたことをあげています。その和辻自身は、自己を「個」としてでなく、「個」と「社会的存在」という二面から捉えます。

このように社会的存在としての自己に注目していくことが、「空間」への関心を生んでいきます。個としての自己の働きは、通時的に自己の同一性を保つので”時間的”になります。一方、社会的な自己の働きは、共時的に水平的な 拡がりをみせるので”空間的”です。

中村雄二郎は、この点について「ギリシア=西欧の哲学において、全判的に場所(場)に対する考察がきわめて乏しいのは、根本的には、存在と結びついた主語(主体)的な思考の支配が強かったため」と述べています。

中村は、「場所」の反対概念に「主体(主語)」を置きます。アリストテレスの「基体」という概念を用いて、場所と主体を比較対照していきます。

基体とは、生成変化の根底にあって一貫して変わらないものです。アリストテレスは、その基体を主体(主語)と考えました。どんなに述語が変化しても主語自体は変化せず、主語こそが諸変化の根元を担っていると考えたからです。アリストテレスは、これを「主語となって述語とならないもの」としました。

しかし、中村は、アリストテレスの「基体としての主体」(主体=基体)という考え方を改め、「基体としての場所」(場所=基体)という問題設定を行います。

4つの空間区分

そして、中村は「基体としての場所」を4種類に整理しました。
それは、「存在根拠としての場所」「身体的なものとしての場所」「象徴的な空間としての場所」「論点や議論の隠された所としての場所」です。これらの場所の諸相は、空間区分でもあります。

「存在根拠としての場所」とは、生物学・生態学的にみた固有環境や、社会的な共同体、心理的な無意識などのことで、自我が成立し、自己の存在根拠となる場所です。

しかし、実際に意識的な自我主体は身体なしにありえません。身体を基体にすることで成立する身体的実存によって空間が意味づけられ、分節されます。このように存在根拠としての場所と一部重なりを持つのが「身体的なものとしての場所」です。ここでの私たちの身体は、物理的な境界を越えて拡張し、私たちは身体によって世界に向かって開かれています。社会的なテリトリー(縄張り)は、これを端的に表しています。

ただし、テリトリーだけで空間に境界線が引かれるわけではありません。空間の分節は、欲求の次元だけではなく、象徴的な次元でも行われます。「象徴的な空間としての場所」は、こうして分節化された濃密な意味を持っており、宗教的な空間や、神話的な空間が典型です。

言語的なトポス

ここまで説明してきた3つの場所は、ここでは詳細な説明は行いませんが、河本英夫や地理学者レルフの空間区分とほぼ内容を一にしています。中村の場所論のユニークさは、4つ目の「論点や議論の隠された所としての場所」にあります。

これは、言語的な「トポス(場所)」を示しています。トポスとは、ギリシア語で場所のこと。伝統的な修辞学(レトリック)では、場所が記憶術にとって重要な役割を果たします。論拠や論点の所在を知ることが議論の基礎をなすと考えられ、具体的な議論法でも、重要な論点や論題を特定の場所に結びつけて記憶していました。記憶は必ず「そこ」と特定できる場所に対応しています。知覚したものを想起できるのは「記憶」の働きによりますが、記憶とは場所の記憶に他なりません。修辞学において、考察・議論方法をトポスやトピカ(トポス論)と呼んできたのはそのためです。

その後、場所を重視した古代レトリックの方法は、デカルトの主客分離の二分法にとって代わられ、それ以降、言語空間において場所性は忘れ去られているかのようです。

場所が自己を限定する

このように「基体としての場所」は諸相を成していて、「主体」がどのような次元にあっても、主体を主体として成立させるのが場所の役割です。

このことを「場所が自己を限定する」と言い換えることもできます。私たちは自己を、自由意志を持った独立な存在と考えがちですが、現実には実に多くの他者や伝統・文化などと関係し、限定を受けています。これまで人間は、歴史的に共同体から自己を解放して大いなる活力を得てきましたが、そもそもその活力の源泉は人間を縛っていた場所にあるといえます。

そして現在、リモートワークの普及に象徴されるように、人々は場所と時間から解放されつつあります。解放のエネルギーを享受する一報、場所からの自己限定を受けられず、人々は不安にとらわれています。足下をみると、デジタル空間/現実空間、公私の空間区分の地殻変動が起こっており、中村の場所論、そして空間区分が現状の分析の大いなる助けになりそうです。別の論考になりますが、中村の空間区分を用いて現状を分析しています。

中村の「基体としての場所」は、西田幾多郎の場所論の精緻化と再評価を狙いとして「述語的世界としての場所」へと発展します。言語的トポスの検討に示されたように、言語と場所の関係からさらに立ち入って、述語性の観点からなら場所の隠れた性格を解き明かせると考えていきます。詳しくは、西田幾多郎の回を参照してください。

書きおえて

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(丸田一如)

〈参考〉
中村雄二郎『場所(トポス)』弘文堂思想選書