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The Last of Us Part2は何故賛否両論なのか?批判点の真の意味を解説する。

先日、「The Last of Us」がトレンド入りしていた。
どうやら開発のノーティドッグがマルチプレイ経験のある人材を募集していたらしく、The Last of Us part2のマルチ対戦モードがくるのか?という話題でトレンド入りしたようだ。
実際1のマルチプレイは非常に面白かったし、2のシステムでマルチプレイができるとなったら間違いなくプレイするだろう。
しかし、今回の記事の内容はマルチプレイに対してではない。
そのトレンドを見ているときに、マルチを待ち望む声と同じぐらい多く見かけたツイートがあった。
それは、The Last of Us part2のストーリーについての不評の声だ。

私は非常に悲しかった。なぜあのストーリーが不評なのかと。
おそらく、あのストーリーを表面上でしかなぞっていない人が多いのだと思う。前作も含めて考えれば、あの作品のストーリーについて批判をすることは無いと思うのだが…
事実、The Last of Us part2はゲーム業界では数多くの賞を受賞している
ではなぜ、ここまで評価が分かれているのか?
今回のnoteでは批判の原因となっている部分について解説し、なぜこの作品が評価されているのかを書いていこうと思う。

当然ながらネタバレ込みの内容となるので、プレイしていない人は1.2を両方プレイしてからこの記事を読んでほしい。

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なぜジョエルは死ななければならなかったのか?

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この部分はかなり大きな不評を呼んだ。
前作の主人公であるジョエルは、The Last of Us part2のストーリー序盤で集団リンチの後殺害されてしまうのだ。
正直、私も脳が真っ白になったのを覚えている。
前作プレイヤーからすれば、自分の分身でもあるジョエルが無残な殺され方をしたのだ。
あのシーンのエリーのように目を背けたくなる気持ちにもなる。
しかし、ジョエルは何故殺されなければならなかったのか?
あの若者たちは遊びでジョエルを殺害したのか?
断じて違う。
彼らにも、人を殺害するほどの理由があったのだ。

話は初代The Last of Usまで遡る。
The Last of Usでは、突如バイオハザードが発生し、社会の基幹システムが崩壊した世界で、娘を失った「ジョエル」が世界で唯一ウイルスの抗体を持った「エリー」という少女をワクチンを生み出すために「ファイアフライ」という組織まで送り届けるという内容になっている。
目的地に向かうため大陸を渡り歩いているうちに、ジョエルとエリーの間には奇妙な絆が生まれた。血は繋がっていないが、お互いが家族のような、しかし家族よりも大切な存在になっていったのだ。
そして二人が目的地に着いたとき、ジョエルはある話を聞くことになる。

ワクチンを作る行為は、エリーの命を奪うことになる。

「世界の未来」「エリーの命」
この天秤がジョエルの前に差し出されたのだ。
ジョエルの決断は早かった。迷うことなく研究施設に乗り込み、世界を救うために努力してきたファイアフライの研究員を皆殺しにして、エリーを救いだしたのだ。
エリーが目覚めた時、ジョエルはエリーを乗せ、道中立ち寄った町に向かって車で走っていた。
ジョエルはエリーに「ワクチンの開発は中止された。抗体を持っている人は他に何人もいた。」と嘘をつく。
凄惨な真実を隠すために。
それを聞いたエリーはジョエルに問う。
「ファイアフライの話は、全て本当だと誓って。」と。
ジョエルは答える。

「誓うよ。」

これが、The Last of Us の物語である。
作中を通してジョエルとエリーの関係の変化に焦点が当てられており、お互いがお互いを信頼していく過程や、含みを持ったラストシーンなどは非常に評価が高い。
では、このゲームでジョエルは全編通して正義の味方だったのか?悪い行いは一つもしていないのか?と聞かれると、間違いなく違う。
罪もないファイアフライの研究員をエリーを救いたいという己の感情で皆殺しにして、その事実を隠蔽しているのだから。
実際The Last of Usのラストでは、嘘をつくことによってある程度綺麗に話が終わっている。

一作目を綺麗に終わらせたことの代償は、二作目で支払うことになった。

ファイアフライの研究員の娘であった「アビー」は、父親と仲良く暮らしていた。その父は、世界に蔓延しているウイルスの研究をしており、もう少しでワクチンを作れるかもしれない。しかし、ワクチンを作るためには少女の命を奪わなければならないと常に悩んでいた。
アビーはそんな父に対し「私はワクチンを作るためだったら、死んでもいい」という言葉をかけ、父を励ましていた。
その後、抗体を持った少女が研究施設に到着し、ついに手術が行われることとなった。
アビーは父の手術が上手くいくようにと願っていたが、不穏な気配を感じたため研究施設に向かうことにした。
そして、手術室に辿り着いたアビーが見たものは、
息絶えた父の姿だった───

これが、一作目の素晴らしいラストの裏で起きた事である。
ジョエルはエリーを救うために、非常に多くの恨みを買ってしまった。
ラストシーンを美しく終わらせるために、一作目では臭い物に蓋をしたのだ。
ジョエルは我々プレイヤーからしたら「娘を救ったヒーロー」だが、アビーから見れば「父や仲間を奪った虐殺者」なのだ。
その恨みはとてつもなく大きく、仲間と共にジョエルを探し出し、殺害してしまうほどだった。

つまり今作でジョエルが死んだのは、前作を踏まえれば当然の結果だと私は考える。
しかし、ただ雑に前作主人公を殺したと思われるのは心外だ。
博物館のシーンしかり、ギターをエリーに教えるシーンしかり、ジョエルとエリーの関係は非常に細かく描写されていると感じる。
しかし、その幸せは罪のない人間の屍の上に成り立っているものである。

ジョエルは、死ぬことによって一作目の罪の代償を支払ったのだ。
しかし、その火種は消えず、復讐を糧に際限なく大きくなっていく。

何故女性だけが主人公なのか?

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今作は、エリーとアビーの二人を操作することになる。
二人とも女性であり、作品内にLGBTの描写が多くあることからポリコレを意識した作品だと批判されることが多くある。
実際、時代の風潮を汲み取って少しは意識したのかもしれないが、ポリコレに向けてアピールするために女性キャラを多く出したなどという薄っぺらい気持ちで主人公を女性にしたのかと問われれば、断じて違うと言える。

そもそも、アビーとエリーは表裏一体なのだ。
アビーの父親はエリーの父のような存在であるジョエルに殺され、その復讐としてアビーはジョエルを殺す。そして、その復讐としてエリーはアビー及びアビーの仲間たちを殺し、アビーはその復讐としてエリーの仲間を殺す…
このように、復讐が復讐を呼び、そのまた復讐が復讐を…という形でストーリーが展開されていく。ではその元となった一番の原因は何なのか?
ジョエルがアビーの父を殺したところからだろう。
つまり「父を失った娘が、相手に復讐する」という行為を、お互いに行っているのだ。
双方の境遇を限りなく似せることで、どちらが悪いのか、誰が被害者なのか、ということを我々プレイヤーに考えさせるようなデザインとなっている。
そのため、プレイキャラを両方女性にしたことには意味があると私は考えている。

何故これほどまでに陰鬱なストーリーなのか?

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The Last of Usのテーマは何か?
私がプレイして感じたのは「血を超えた絆」であった。
これは、何度も書いた通りジョエルが事実を隠蔽した結果残った美しいテーマだ。
では、The Last of Us Part2のテーマは何か?
こちらは一言ではまとめきれないので、複数個に分けて書き出すと、
「復讐」「贖罪」「赦し」などだと感じた。
今作は、アビーが父の「復讐」を行い、ジョエルが死亡するところから始まる。前作の罪に対する「贖罪」である。
その後、エリーとアビーはお互いに復讐の連鎖に巻き込まれ、甚大な被害を受けることとなる。
友人、恋人、組織…あらゆるものがこの世を去っていった。
このままだと復讐の炎は燃え広がり、消えるまですべてを破壊しつくすだろう。
双方が復讐の炎に身を焼かれている中、先に拳を収めたのはアビーであった。
エリーの恋人であるディーナを殺しかけた時、ディーナが妊娠していることを聞き、アビーは命を奪うことなく去っていく。
アビーは、度し難い復讐相手を「赦し」たのだ。
しかし、エリーの復讐心は燃え続けていた。
エリーは生き延びた後も、ジョエルの死の瞬間に囚われ続けていたのだ。
その後、アビーの目撃情報を聞いたエリーは、生き延びて得た家庭や家などの全てを投げうって証言のあった地点に向かうことにした。
復讐を果たさないと、前に進めないと確信していたからだ。
しかし、途方もない時間をかけて出会ったアビーは、別の組織に拷問され、ボロボロになっていた。
エリーも度重なる戦いでボロボロになっていたが、お互いに一歩も譲らず、浜辺で殴り合いの決戦を行うことになる。
そして、エリーはアビーの頭を水に沈め、あと一歩で復讐が果たされる…と思われた瞬間、エリーの脳内にジョエルとの思い出がフラッシュバックし、アビーの拘束を解いてしまう。
そして、アビーにどこか遠くへ行き、連れていた子供のレブと一緒にどこかへ行くように指示をする。
このシーンはまさに、ジョエルが殺されたシーンの再現である。
今作の始まりは、ジョエルがアビーに殺されたところから始まった。
今作の最後では、レブにとってのジョエルのような立ち位置のアビーを、殺すのではなく「赦す」ことで、復讐の輪を絶ったのだ。
作中最後の回想で、エリーはジョエルにこう発言する。

「一生あのことは許せないと思う。でも、許したいとは思ってる。」

この言葉は、今作のテーマの核心に触れる発言だと考えている。
お互いに許し難い存在だが、それでも許すことによって、これ以上何かを失うことを止めたのだ。

まとめ

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今回は、The Last of Us Part2について良く批判の的になっている事柄についてざっくりと解説を行った。
そもそも、一作目が素晴らしいストーリーとなったのは、ジョエルが行った悪事についての言及が無かったからであり、その行為によって生まれた復讐に対して赦すことができるのか?というのが今作のストーリーである。
ジョエルによって復讐が始まり、
ジョエルとの記憶によって復讐が幕を閉じる。

正にこの作品は「The Last of Us」であり、「Part2」なのだ。



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