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ハードのインフラ(Hard Infrastructure)

 阪神淡路大震災から29年が過ぎ、東日本大震災から13年が経ちました。2024年元旦の能登半島地震では6万戸以上の家屋が崩壊しました。地震発生から4か月が過ぎて避難所の仕切りのない雑魚寝は解消されたようですが、被災者のみなさんの不自由な生活は続いています。火災で壊滅的な打撃を受けた輪島の朝市地区や倒壊家屋の片づけは進んでいません。土砂崩れによる道路や鉄道の復旧、液状化地域の改修には時間がかかるといわれています。
大都市では再開発による余裕のある面開発が進んでいますが、地方の再開発はなかなか進みません。江戸時代の街並みが残る地方では保存に力を入れているところもありますが、多くの地方で昭和の町や村がそのまま残っています。地方は過疎化に伴い心配なく過ごせる文化的な生活ができなくなりつつありますから、住民は不便な生活を余儀なくされています。
文化的な生活とは、若者に仕事があって子育てができて年配者が安心して暮らせるあたりまえの日常です。地方にあっても住民がおだやかな日々を過ごせる暮らしです。具体的には鉄道と道路、保育園と学校、病院と介護施設などハードのインフラが充実していることに加えて、いろいろなメニューの食事のできる食堂やレストランがあり、ゆったりした時間のすごせる喫茶店のある街です。余暇に映画を見たり市民ホールや美術館で各種の芸術が楽しめたりすることも大切です。若者に十分な職があり、市民が普通のサービスを享受できる生活は住民にとっては最低条件なのです。
明治維新を成し遂げた明治政府は近代化のために、内乱を招くことが危惧された「廃藩置県」を断行しました。政府は「廃藩置県」により、幕藩体制の下で一国一城の主であった大名が持っていた資産を中央に集めたのです。
明治政府は「一流国」をめざして「富国強兵」と「殖産興国」をスローガンにあげ近代化を急いだので、軍隊と産業は近代化が進みました。そのため、インフラ整備にまわす予算は十分にありませんでした。帝国の首都としての東京のインフラ整備は、必要最低限の近代化にとどめざるを得なかったのです。
西洋が古代ローマ時代から本格的なインフラ整備を始めたのと、日本が明治時代の近代化で始めたインフラ整備には大きな違いがあります。ヨーロッパのインフラは約2,000年前の古代ローマの時代から整備されてきたのです。今も使用されている古代ローマ時代に造られた道路や水道施設を見れば明らかです。
明治時代に始めた日本の近代化は戦争で廃虚となりましたが、戦後はみんなが力を合わせて奇跡的な復興を遂げました。高度経済成長期を経て「Japan as Number 1」といわれるまでになり「先進国」の仲間入りを果たしたのです。
江戸の町から200年弱でレンガとコンクリートの東京を造って「先進国」の10分の1の時間で「先進国」の仲間入りを果たしたといえます。
明治時代からインフラ整備に使える予算が限られていましたから、多くの施設や設備が「先進国」としては小さすぎるし少なすぎるのです。今でも全国で基礎的なインフラ整備が続けられているのは、最低限のインフラ整備しかできなかったからです。
東京でも再開発が進んでいる丸の内や大手町と渋谷以外では、道路と建物や付属施設は狭くて小さいですし、駐車場は少なくトイレ設備も少ないままです。
地域のまちづくりが進まず地方の衰退を招いている現状は、もちろんハードのインフラ整備(施設)が十分ではないことは大きな原因ですが、ソフトのインフラ整備(人と組織)にも原因があります。地方ではハードのインフラ整備が十分でないこと以上に、日々の生活に欠かせないソフトのインフラ整備が十分ではありません。地方では文化的な生活ができません。若者は東京圏へ出て行き、高齢者は地方に残りました。地方の生活を支えるハードとソフトの両方のインフラ整備を合わせて進めて、地方の文化を支えていかなければ地方の衰退は止められないのです。
東京圏の一極集中を是正するためには、ハードのインフラ(施設)整備にもまして地方のソフトインフラ(文化)を支えて住民を増やすことが最も効果的といえます。もはや脱落しかけている「先進国」の立場を守るためには、予算の使い方を議論するときです。社会の運営方針を変えることに遅すぎることはありません。

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