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ソフトのインフラ(Soft Infrastructure)

札幌市が2030年の冬季オリンピックの開催地に立候補するのを取りやめました。市民の賛同が得られなかったのは、2020東京オリンピックで当初予算の5倍かかった費用と実行委員会の不祥事が影響したといえます。
 2025年の大阪・関西万博の準備は、順調に進んでいないと報道されています。施工の遅れに加えて予算が1.8倍に増えたことや、約2,800万人の入場者予想に対して、アンケート調査で7割の方が「興味なし」と答えていることが影響しています。
イベントはプロジェクトですから、開催に向けてプロジェクトを作り上げるという意味において、日本が得意な「モノつくり」といえます。日本は「モノつくり」を支えるハードの技術は一流ですが、プロジェクトの運営という「コトの営み」を支えるソフトの技術が昔のままなので、計画通りの運営ができないのです。
プロジェクトの実行委員会が責任を持って計画(方法、工程、予算、人)に基づいて運営することは基本です。オリンピックや万博で予算が膨らんだうえに、不祥事もあって国民の支持が得られないのは、実行委員会の運営が拙いからです。多くのプロジェクトが杜撰な計画のもとで、責任を取らない組織と責任者によってマネジメントのない運営が繰り返されているのです。
同じようなことが政府開発援助(ODA)で行う円借款事業に見られます。主に日本企業が参加するのは、プロジェクトに必要な設備機器などの製品を輸出する分野です。日本人や日本の組織がプロジェクトマネジメントをしているという話は聞きません。
税金で行うODAの円借款事業で製造業が製作する「モノつくり」の製品は、相手国に受け入れられているようですが、プロジェクトの運営にマネジメントがありませんから「コトの営み」には相手国の信頼が得られているように見えないのです。
製造業が作る製品の多くは国内規格で製作されていても世界に通用しますが、国内規格で組織運営を行うと、海外で理解されにくいことがあります。プロジェクトマネジメントは国際ルールに基づいて執行されますが、日本の人も組織も国際ルールに慣れていないのが実情です。日本型の組織運営はプロジェクトマネジメントとは違うからです。プロジェクトマネジメントはプロジェクトの執行過程を管理する仕事(ソフトの技術)ですから、製造業がモノを生産する業務(ハードの技術)とは違います。
ODAで日本製のモノが輸出できることにはそれなりに意味がありますが、プロジェクトマネジメントというサービスの輸出ができない状況は、日本経済の影の部分といえますから先進国としてはいかがなものでしょうか。
明治政府は、江戸幕府が結んだ治外法権と関税自主権を認めた不平等条約の改正に四苦八苦しました。岩倉使節団を条約の改正交渉のために欧米諸国へ派遣しましたが、条約改正を果たさないまま、西洋文明から大きな影響を受けて視察団は2年後に帰国しました。政府は先進国と対等に条約改正を交渉するためには、日本が「一流国」であることが必須の条件であると身を持って体験したのです。
明治政府は「一流国」をめざして「富国強兵」と「殖産興業」をスローガンにあげ軍隊の組織化と製造業の機械化を進めました。
しかし、社会の統治手法に関しては、西洋社会の運営形態が「日本の伝統手法とはあまりにも違う」ことを経験しましたから、西洋型の社会運営方式を日本社会へ導入することはしませんでした。明治政府は、幕藩時代からの伝統的な「力」による統治手法を踏襲することにしたのです。
「民は依らしむべし、知らしむべからず」に基づく「力」による運営が今でも多くの組織で行われているのは、明治政府が江戸時代の統治方法を改めなかったからです。明治時代に導入された組織の運営手法(ソフトのインフラ)が今も生きているのです。組織の構成員には立場による違いがありますが、人は違いがあって対等という意識は責任ある立場の人の心には育たちませんでした。
明治政府が進めた近代化は軍隊と産業で達成しましたが、伝統的な統治手法は国民の成熟度を示す、いわゆる民度の面で疑問を残したのです。
たとえば「モノつくり」の製造業で次々と不正行為が明らかになる最近の日本は、「先進国」から脱落しそうな状況です。国政においても不正行為が後を絶たないので、日本は「先進国」にはなりましたが「一流国」とはいえないのが現状です。
 現在の情けない状況を脱して後れを取り戻すためには、ソフトのインフラの整備(文化)に重点的な投資をして人を育てなければなりません。マネジメントと交渉ができるソフトの技術を身に付けた人を増やすときです。今、文化に予算を使って人を育てる一歩を踏み出せば、決して遅すぎることはありません。

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