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[一期一会 #34] アノニマス

ネット上ではつきものだ.
私も,しばらく前まではネット上,特にTwitterで身元が明らかになることについてなんとなく怖いと思っていた.

だから,基本的には,Twitterでは大体リアルで知っているフォロワーさんが多い中でもペンネームのようなあだ名のようなユーザーネームで活動していた(正直そういうリアルでの知り合いの人にとっては,紛らわしかったと思うし,そうじゃない人にとっては誰この人,って思われてたのだろうと思う).

しかし,いまだ大学生だったことに,本名も明かさないで発信をしていることに関して,少し違和感を感じるようになった.一つは,自分の言葉に対して,責任を持っていないような気がしてならなかったのだ.私のTwitterアカウントは鍵アカではないので,たぶんフォローし放題なのだけれど,仮にそういう方面からご批判を頂戴したときに,真摯に向き合わなくなってしまうことも問題だと思ったし,今後自分の見解としての発信を続けていく中でも,どこかに本気さが入っていないような示唆を含ませてしまうような気がしたのだ.

もう一点消極的な理由があるとすれば,個人情報を出さずに守ることに関してあまり心配しなくなったということがある.
例えば,あまり様々な人から反感を買うようなことをしてはいないという自負があるし,住所や電話番号が漏れたところでどうということはないだろう(もちろん実際に漏れて,迷惑郵便,迷惑電話に使われたら現状だと家族に迷惑がかかるのであまり好ましくはないが).
また,自分の好みがばれたとて,自分の欲望に関してはある程度抑制が効くので,経済的に困るということも今のところはない(ただし,近年しきりに言われている,エコーチャンバーのような現象については,注意しながら向き合っていく必要があるとは認識している).

そうして,匿名で発信することを極力やめるようにした.

しかし,少し匿名の力を感じることがあったのも事実だ.

Anonymous.そのままカタカナで,アノニマス.

国際ハッカー集団として知ってはいたが,そのアノニマス(の一部らしいが)はロシアに対して「宣戦布告」をして,サイバー攻撃を仕掛けたというニュースをいくらか耳にした.

もちろん,匿名であっても,法に触れる場合がかなりあるということは間違いない.それを肯定するということになると言われると難しいのだが,しかし,匿名だからこそできる攻撃であるということも事実ではないだろうか.(Twitter上や普通の人がかかわるような匿名とはレベルが違う異次元の匿名性を使っているから成り立つのだろうとは想像するが).

この力が無垢の市民に向けられたらそれこそ戦争と変わらないような時代になってきているわけではあるから,もちろんアノニマスであることは,組織の一員という意味より一般に,もっと規制されるべき時が来ているのも一方で事実だろう(まぁ普通の人は匿名と思ってやっていてもデバイス等の情報からばれるが).

個人の責任性と法律という人間の妄想上の責任主体の責任性の問題,ひいては敵の敵は味方論などについて今後改めて考えたいと改めて,思った.

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