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感想】変な家vs変な視聴者

※映画版「変な家」のネタバレを含みます

劇場版、変な家。インターネット記事から始まり、動画化・書籍化までしたコンテンツ。それを映画化したら、ご覧の有り様です。


皆さん、この映画の違和感に気が付きましたか?一本の補助線を引くと、全てに合点が行くんです。

ここからは私の推理にはなってしまうのですが


もし視聴者が全員、



アホだとしたら…?


はじめに 面白い映画だと思うのか?

初めまして、嬢から「文才がヤバい」と言われるのが嬉しくて口コミに長文を書きまくったところ、書き方の癖が出過ぎて個人を特定されそうになってやめたウェブライター尻穴(ケツケツ)こと星川実業です。これらの話はフィクションです

まず私は、所謂クソ映画、クソ漫画、クソアニメ、クソゲーと呼ばれる類のものが好きです。社会人になってからは忙しくて嗜めていませんが、学生時代は「これはクソだ」と怒りの声を聞くと喜んで確認していました。そして友人へ「あ!この漫画めちゃくちゃつまらなくて苦痛だったよ!オススメ!」「こっちのゲームは子供を軟禁してやらせたいね!虚無感で感情を失うよ!何もしない無の時間の方が楽しいよ!」と笑顔でプレゼンしていました。

そんな私ですが今回の『変な家』はチェックせねばならないと察知しました。それにはいくつかの条件があります。

①パッと見て明らかにダメそう

まずこの映画ポスターとCMを見て「うわっ駄目そう!(ワクワク」となります。これを見て「面白そう!」って感じる人が世界に居るんだとしたら恐ろしいです。明らかに化け物が目の前にいるのに、なんで人間だと思ってるの??という寄生獣的な驚きがあります。

邦画の場合「基本的には駄目だろう」と無意識にハードルが下がり査定が甘くなっている可能性はあります。駄目そうだけど、ちゃんと観てから批評すべきだという信念の視聴者は多いのではないでしょうか。

私の場合は「クソ映画だと期待していたら思ったより真っ当に作ろうとしていて、且つ面白くない作品だった」が一番イラっとします。どうせなら派手な大便を見せてくれ。細田守作品とは相性が悪いです。焼き増しのビジネスを見せられたようで


②原作ファンが怒ってる

世の中には、自分が好きな作品が実写化、改変された際に激しく怒るファンが存在します。その真っ直ぐで強烈な怒りが、クソ作品のコク、旨みを増してくれるのです。私は、それが観たいのです。

変な家の原作を何に定めるか微妙なところですが、とりあえず私は大元のオモコロ記事は読んでいましたし、YouTubeの動画もチェックしました。面白い視点のホラーだなぁ〜と楽しみましたが、改悪されて怒りが湧くような執着は発生しませんでした。『察しの悪い方』のテンポの良さが相性良かったです。

妻はホラー系が苦手なのですが「映画がクソらしいので観に行きませんか?」とプレゼンしました。それから妻は「原作チェックして、怖くなさそうだったら映画も見ようかな」と恐る恐るYouTubeから見始め、見事にハマり、書籍版を購入して原作愛を高めてもらいました。これで身近な怒りを摂取できる可能性が上がりました。楽しみです。


テーマ①視聴者がアホなのか?

本題に入ります。この作品全体を通して感じる雑さ。説得力の無さ。それらの根本に「視聴者はこれくらい分かりやすくしないと理解できだろアホだから」という思想があった場合、かなり納得の行く構成ではないでしょうか?

ショート動画文化に慣れすぎた若年層が物語を理解できない、心情の描写を読み取れないと問題視された記事を見たことがあります。そういった層にもホラー作品を伝えようとすると、今回のような構成になる可能性もあるのでは?

細部を挙げるとキリがないですが、例えば主人公が「怪しい家に同行者の女性が、実は謎の人物だ」と電話で助言を受けた場合。それ以上何も言わなくても充分緊張感のある良いシーンです。そこでわざわざ「つまり正体不明の人物です」まで言わせる。鬼滅の刃ブームの際も話題になりました。全部解説させるという手法です。読者側の読み取りを全く信じない構成ともいえます。

雨穴さんは元々「ホラーや小説が苦手な人にも届けたい」という思想で作品を作っているそうなので、そういう意味では合致する部分もあると思います。しかし今回の映画はその趣向に合致しているのかは分かりません。尻穴(ケツケツ)では知りようがない点です。尻だけにってか?尻の点にかかっています。解説させないでください。


テーマ②改変は悪なのか?


もう一つの視点。もしかすると「原作を忠実に再現すると映画としてのエンタメ性を確保するのが難しい。ハッチャケなきゃ駄目だ」と判断したのかもしれません。映画向けのエンタメ性を得るための改変だった、と。

ここからは私の推理になってしまうのですが(言いたいだけ)


現代では、改変は映画化におけるエンタメに組み込まれているのではないでしょうか。アニメ映画も、アメコミものもそうです。原作からどうアレンジしてくるのか、サプライズ的なお楽しみ要素として結末だけ変えてくるパターンもありますし、登場人物の設定が変わっているものもあります。

(北斗の拳とか、4兄弟が3兄弟になってジャギの存在消されてましたからね)

そういう意味では、原作と違う!やり直し!と騒いでる人は浅いというか、映画の楽しみ方を分かっていない可能性があるのではないでしょうか?それと別問題で「面白い、意味のある改変だったのか」を評価するのがフェアではないでしょうか。


テーマ③ 説得力とエンタメ


私がよく使う表現で恐縮ですが「説得力」を評価基準にします。「リアリティがあるorない」と似ていますがニュアンスが違います。リアルじゃなくて良いんです。現実には存在しないものも描写するわけですから。そこに説得力があれば良いものと認識します。

例えば、魔法の力で火の玉が出る。現実ではあり得ない、リアリティが無い〜で終わっては作品を楽しめません。その火の玉が本当に熱く、不思議な力で出現したのだという説得力があれば、この世界ではあぁいう火の玉が出せるのか〜と納得がいくはずです。その背景に、物理学の延長のような魔法理論を紐解く描写があったら(例えば、実は魔法は空気中の電子配置を操作していて〜等の設定がある)この作品はリアリティがあるぞ、と唸るわけです。


良いSFとは、ある意味良質な説得力を指すのかもしれません。

それとは別に、エンタメ性、見た目や展開の面白さが求められます。バチバチに詰めたリアリティ、説得力があったとしても、そこから面白いことを何もしないのであれば「よくできたオタクの設定資料集だったな」で終わってしまいます。物語にせよ映像にせよ、心動かされる何かが必要になります。


今回の変な家の場合は、説得力を捨ててエンタメ性に特化させたのではないか?という見方もできます。

それが作品の意向によるものなのか、視聴者はアホだろうと舐めた結果そうなったのか、そこは分かりません。しかし、作品に説得力を持たせようとしたらそうはならんやろ、と思う点だらけでしたので一定の思想はあるんでしょう。そう思いたいです。


まとめ

・真面目に観るものではない

・原作ファンはちゃんと視聴して、ちゃんと怒って欲しい

・一番怖かったのは他人の個人情報を嬉しそうにベラベラ喋り写真まで残している近所のおばさん(現実にもあぁいう人いるし、なんなら自分は情報通なんでみたいなドヤ顔してるのが頭おかしい。ただの犯罪者だと自覚して欲しい)

・配信していたら若い未亡人の女性(嘘)からDMが届き、家にまで来る主人公を絶対に許さないし、妙にデカい良い家(一人暮らしで30畳以上あった?)に住んでるのもイラついた。間取り関係なく俺がお前を変にしてやろうか

・できれば雨穴さんもブチ切れて映画監督とガチでモメて欲しい

・流石のオモコロもイジれないくらい、ガチでモメて欲しい


私たちは、その輝きが見たいのです。




ここからは私の推理になってしまうのですが



・「ここからは、私のパワーになってしまうのですが…」と筋力で家の全ての仕切りをぶっ壊し、全ての家をクソデカワンルームにリノベーションして解決してしまうパワー栗原


・「ここからは、私のステージになってしまうのですが…」と、切り落とされた左手は既に義手で、その下から銃器腕を出してクソ村人共を全員撃ち殺すスペース栗原

(そんな人間聞いたことない!と驚くおじさんへ「特にPRはしていないのですが…」と返すコブラオマージュ)

・変な間取りに対し「そこはパイプスペースなんで気にしなくて大丈夫です。配管がいっぱいあります」とマジレスを続ける栗原


こんな感じでもっとハッチャケても良かったのかも…?




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