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エッセイ コスプレ問答〜金マイクロビキニと鉄骨渡り〜

これは思考実験であり、おそらく生涯解決しない問題になる。少ないとも私は暫定的な答えすら出せていない。

Aさんがいる。Aさんは異性で貴方と交流がある。貴方はAさんを人間的に応援しており、今後も友好な関係を築いていきたいと思っている。

Aさんがある日、貴方へ伝える。「ちょっとコスプレして写真撮ろうと思うんですけどリクエストありますか?」と


貴方はやったぁと喜びつつ、答える。パッと応えられるだろうか。


ここは、答えられず怖くなって逃げ出した奴の思考実験空間である。


問い一 見たいものは何なのか

私が女性だったらゴスロリとか、バッチバチに装飾を盛ったファッションをしてみたい。うぉ〜フルアーマー最終局地仕様や!と楽しんでいただろう。

シンプルな部屋着も良い。貴方はTシャツ1枚で相手を幸せにすることができる。私にはそんな力はない。

服の魅力と武器の美しさに似ている。飾ってるだけでも美しく魅力的だが、人が身に付けて振るってこそ真価を発揮する。そういう意味ではフリルスカートもメイスも、Tシャツも直剣も近い特性を持つ。TPO、用途や時代背景も込みで面白さがある。

色々な格好を見ることは楽しい。似合っていたり、これはこれで良い、と思ったり様々な感想を持つだろう。武器も一緒だ。刀の反り返りの美しさや、斧の刃の厚さ、大きな弓のしなり、機能美や作り手の意匠。見所は沢山ある。

じゃあ何の格好を、何の武器を見たいか。とても難しい。


・どうせなら、普段見れない珍しいものを見たいという気持ち

・しかし珍しすぎると準備に負担をかけてしまう

・そもそも衣服は今後も残るものなので普段使いできるものじゃないとコスパが悪いんじゃないか

・じゃあ普段着見せてって話になるのか

・それはそれでキモくないか

・コスプレするって言ってるのに私服見せてはキモくないか。武具の扱いを見せますって言ってるのに「素手の型を見せて…」って言う奴キモいだろ

・下手すれば、コスプレさせる魅力が無いってか?と不快感を与えないだろうか

・ここまで悩んでる時点で相当キモいんじゃないか


こうなってしまうともう答えが出ない。俺はなんて弱く醜い人間なんだろうか。と自分が悲しくなる。


しょぼくれた私の脳内会議室のドアが、静かに音を立てる。ギィッ…と油の切れた蝶番が短く鳴いたかと思うと、白髪の男が入ってくる。

お前は…赤木しげる!!?(登場時のすがた)


闇に舞い降りた天才


アカギさん「…金のマイクロビキニ…」

ええっ……


ざわ……ざわ……


アカギさん、流石にそれは……いや…見たいけど……


流石にハラスメントっていうか…露骨すぎるというか…嫌われちゃいますよ…


アカギ「……死ねば助かるのに……」


私の母は難病で、20代後半で亡くなった。当時私は3歳くらいで、母が毎日つけていた闘病日記には明るい文体でこれからやりたいことや、見舞いにきてなかなか帰らない父、すっかり父に懐いた私と、私の服の設計図が書かれていた。ページをめくって行くと、突然真っ白な何も書かれていない日が続く。母の命日だった。


自分も遺伝で早死にするかもしれないからと幼少期から検診をうけた。お陰様で健康に母の年齢を越え、醜いながら懸命に生きている。

しかし、何歳まで元気でいられるかわからない。ましてや人生で何回、コスプレのリクエストをする機会があるのか。これがラストチャンスなんじゃないか。


そう考えると怖くなってきた。私が仮に80歳くらいまで生きたとして、最期の瞬間に「金のマイクロビキニ…リクエストできたんじゃないか…」と思いながら、死んでいく可能性がある。大いにある。現時点でもそういう後悔があるのに。


じゃあ飛び込むべきじゃないか。金のマイクロビキニ。全然何も隠す気が無い小さな布。あれは人が命を燃やす価値がある。仮に無惨な飛び降りになったとしても、僅かな可能性に賭けて飛ぶべきなんじゃないか。生きるって、そういうことなんじゃないのか。


拳を握りしめた俺選手だったが、背中に嫌な感覚が走る。これは恐怖?いや、もっと複雑な感情。何かを失ったような…


石田さん…


私は能力が低くて魅力のない人間である。口先では度胸とか自由とか言えるが実態は伴っていない。アカギのような天性の何かを持っているわけではない。手なりの無難な手を打ち、妥協し、悩み、小さく負け、負けを積み重ねて生きている。どこにでもいる雑魚。確率論を信仰する弱者の思想。結局大勝負に勝てる人間は、その心地よいセーフティを乗り越えていける人間である。そんな私にできることは、せめて勝負を濁らせぬよう、勝負から、鉄骨から降りることなんじゃないか。


そりゃあ見たい。金のマイクロビキニ。でもそれでAさんとの交流が絶たれることが怖い。「結局、裸が見たいだけかこいつは」と溝が生まれるだろうし、その溝を埋めるほどの何かは、自分には無いだろう。

裸と金マイクロビキニは違う!とか、俺は死んでもいいから見たいんだ!と相手を打ち負かす程の情熱も、信念もない。かわいい格好が見られればなんでもいいよ☺️ と、孫の写真を楽しみにする老後のジジイがここに居る。


以前の私なら、俺の会議室から出ていけジジイ!と脳内老後俺選手を撲殺し「濃いめのローションも足そうぜ!!宴だ!!」とワンピースの扉絵みたいなわちゃわちゃ感で笑っていただろう。


もう怖くなってしまった。自分のような人間を否定しない友人、知人。その貴重さとありがたさを知ってしまった今、同じような立ち振る舞いはできない。

だったらAさんが嫌じゃなさそうな、でも普段見られないようなコスプレをリクエストすれば良いじゃないか。学生さん。トンカツになりなよ。それがキモすぎもスカしすぎてもいない、ちょうど良いトンカツってもんなんだ。


それがわからないんだよ親父。ちょうど良いトンカツってなんだよ…


問い二 心、か


コスプレして自撮りをあげ慣れている人と、そうで無い人とでは自撮りの意味合いが変わってくる。

そもそも、今の世の中では簡単に画像や動画が手に入る。綺麗な自撮りを見たいだけならいくらでも落ちている。

我々洞窟ゴブリンが「あいつ、彼女からコスプレ自撮り送ってもらったらしいぜ」「撲殺するか」と僻むのは、別な意味合いが強い。我々が欲しいのは恐らく『心』である。1対1でなくとも構わない。親しい数人にしか見せないような写真を自分も見ることができる。その『心』が、洞窟では手に入らない尊い灯りである。


それは裸を見たいとか、露出度の高い服を見たい欲求とは別物である。突き詰めれば、写真はなくてもいい。見せようか?という心意気だけで嬉しい。実は相手が存在しておらずbotだったとしても、私はそのbotを好きなまま生涯を終えるだろう。それは優しさで作られたbotだ。


だからもう、畏れ多くてリクエストなんてできない。まだ何も起きていないが、私の心は感謝で満たされている。弱くて情けないがそれが本心の片割れだ。

好きな格好をして、どんどん自撮りをあげて欲しい。私に向けられたものじゃないのはわかっているが勝手に喜んでいる。人生を謳歌してくれ。それが一番嬉しいまである。おっさんでもそうだ。異常者扱いされたって良いじゃ無いか。楽しい!という感覚に嘘をつかないで真っ直ぐ表現して欲しい。女装しようが睾丸にシリコン打まくりの肥大化界隈だろうが、俺は逃げない。受け止めて見せる。


結局私が見たいのは、そういう『心』なのかもしれない。


ガチャッ…


そう。上記は、本心の片割れである。もう片方を見なかったことにするのが正しく無難な大人の生き方なんだろう。しかし赤木しげるにそういった「保留」は通用しない。


じゃあ見たく無いのか金マイクロビキニを?ローションやオイルでテカテカになった尻や太ももがあったとしても、お前は見ないのか?それは嘘だ。魂で嘘をついている。確かに相手にとって丁度いいコスプレは存在するだろう。じゃあそこにお前の、俺の魂はあるのか?


「そこそこの露出度がありつつ、現実的なラインで相手も嫌じゃ無い、かわいいコスプレをリクエストしよう」なんて器用なことができたとして、それはお前の魂か?


「俺は太ももに住む。楽な生活じゃないだろうけど、小屋を立てて、畑を耕して。足元に広がる広大な太ももに立って、自然の厳しさや大きさを感じながら、懸命に生きたい。骨は太ももに埋めて欲しい。」と言っていた頃の俺の魂は死んでしまったのか。


目を向けなくなっただけで、その魂は死んではいない。まだある。死後に魂が還る場所があるとしたら、太ももがいい。日々、悪質な細菌や微生物と戦う免疫の一員になって戦い続けたい。俺の魂は、太ももが健やかであることに捧げさせて欲しい。


じゃあなんだ。答えは出たか。



アカギさん。質問とはズレちゃうかもしれないけど、俺なりの答えが出ました。


「太ももが見れたら嬉しい」です。



アカギが山から牌を持ってくる。僅かだが、口元が緩んだように見えた。それは私の敗北を意味するのか、肯定の言葉が出るのかは分からない。ただ私は久々に、勝負のテーブルに座ることができた気がした。今、生きていて、決着が着こうとしている。南三局二本場。もう私に親番は回ってこない。静かにひりついた終盤の空気が、私の神経を研ぎ澄ませていった。



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