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「常識人」になるためなら、恋人も結婚も子供も必要ない。

女性も子供を産み育てる圧が凄まじいだろうが、男性もパートナーを獲得し結婚して子供を養う圧が凄まじい、相変わらずの日本社会である。

ただ周囲の同僚が、同期が、同世代が、結婚しているからという理由で、なんとなくパートナーや結婚や子供を求めるのはどうだろうか。

男性の場合は、30代ぐらいまでが性欲による圧力によって、半ば自動的にパートナー獲得や婚活や子供という流れを取りやすい。その圧力を他の方法で回避したり、立ち向かわなかった者たちは、その分野のみ、人生ゲームの周回遅れに取り残される。
他の要素(仕事、身分、スキル、キャリア、資産)は問題なく「常識人」の範疇としても、彼女が作れない、結婚ができない、子供が作れない、そのただ一点で人生終了になりかねないのは、「常識人」を目指した人生設計だったからだ。

そもそも受験エリートや大卒は敷かれたレールに突き進んでそこは個人の努力でなんとかなるゲームだった。
しかし、受験とは異なり、就活及び恋愛は、個人プレーだけでは対処しきれない。自我を捨ててある程度他者に合わせて他者の出方に身を委ねる仕草が必要となるだろう。
ただし、就活はあくまでも生活のため、将来のため、未来のため、経営者のためだろうが巡り巡って最終的には自分のための価値となって帰ってくる、時間と労力を割く価値のある行為である。

だが恋愛、結婚、子供はどうか?
男にとっては、前から2つは、性欲解消と常識人の認定を受けるためのものであり、どちらも必要としない時代に突入している。もちろん、子供は作った後に自分の人生を豊かにするという意味で価値を発揮するため、自分のための価値ともなる。
しかし子供を獲得するには恋愛や結婚というハードルを乗り越えなければならず、それらは受験と異なり、幼少期からトレーニングを積んできた者とそうでない者で雲泥の差がある出来レースである。そして一般的に、女性の方が修行を積んできており、男性とのレベル差は個人差あれど凄まじいものがある。だから男性はそもそも結婚適齢期の30代になってもレベル1や2というのがゴロゴロいて、それらはレベル30や50の女性に対して相手にならず、常識人になろうとしてきた人生を妨害する。(レベルは経験人数)

女性の権利ばかり優遇してきた結果、女性はスカートを吐いてパンツを見せることが許される、それを撮影するとする側が犯罪となるが、男性は上半身裸や股間を強調した服を着たら変質者扱いで犯罪となる可能性があり、それを撮影した女子は無罪どころか表彰される女尊男卑社会日本で、社会的に一人前の常識人としての男性を目指すのは、男性のみ昭和からハードルが変わらずに、一層困難な時代に突入している。

欲しくないものを「常識人」になりたい日本特有の外圧に負けて仕方なく求めるのも、意味がない気がしている。そんなことを考える、5月最初の日であった。。。


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