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チラ裏と日記帳。社畜生活と生き苦しい日本社会と海外旅行の思い出と女尊男卑社会と毎期アニ…

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チラ裏と日記帳。社畜生活と生き苦しい日本社会と海外旅行の思い出と女尊男卑社会と毎期アニメを語ります。ほぼ無料。会社、組織、慣習、国境、年齢に縛られない新しい生き方を常に模索中。日本社会でギリ健に踏み止まる全ての弱者男性の味方。INTJ。ペンは剣よりも強し。小説や絵にもチャレンジ。

最近の記事

『仕事』になった途端、全てが風化する現象

結局、経営者に雇われる雇用者であり社畜である限り、全ての作業は予定調和のわざ、わざ、となり、突発的なひらめきや情熱は消え失せ、公務員や政治家のように、決まりきったお題目とお芝居が繰り広げられる、非人間的な時間空間に費やさねばならない。 同じ物事でも、仕事か、そうでないかでその時間の価値は異なるように思う。 仕事でなければ、例えば趣味であれば際限のない情熱や時間を費やしてもいい、納期やルールも自由で、突発的なひらめきで全てを変化させてもかまわない。 そこには人間的なひらめきや

    • 「常識人」になるためなら、恋人も結婚も子供も必要ない。

      女性も子供を産み育てる圧が凄まじいだろうが、男性もパートナーを獲得し結婚して子供を養う圧が凄まじい、相変わらずの日本社会である。 ただ周囲の同僚が、同期が、同世代が、結婚しているからという理由で、なんとなくパートナーや結婚や子供を求めるのはどうだろうか。 男性の場合は、30代ぐらいまでが性欲による圧力によって、半ば自動的にパートナー獲得や婚活や子供という流れを取りやすい。その圧力を他の方法で回避したり、立ち向かわなかった者たちは、その分野のみ、人生ゲームの周回遅れに取り残

      • なろう系における「奴隷美少女」を求める、精神弱者男性の心理について

        いわゆる「なろう系」作品と言えば、奴隷がいる世界で、奴隷を手に入れることから物語が始まる展開がもはやテンプレ化している。なぜ読者は奴隷美少女を手に入れたいテンプレ展開を、水戸黄門の印籠のようにして、ゆるぎない作品の安定感として無意識に求めてしまうのか。それを心理・精神の面から解説したいと思う。 なぜなら筆者もまた、令和日本では不可能ながらも、大金を叩いても奴隷美少女との生活をして筆者がteachingfeelingされたいだけの人生を欲する精神弱者男性だからである。 極楽浄

        • 新書『弱者男性1500万人時代』の感想文と考察ー女叩きの有無を中心にー

          俺は弱者男性じゃない、いわば”仮性”弱者男性だった。なぜなら女叩きしているから。しかし強者男性でもアルファオスでもインフルエンサーでもモテてもいない件。 一読した感想としては、そもそも定義が困難を極める、「弱者男性」と言う用語に対する、様々な複雑性や多様性を包括的によく解説されていると思う。弱者男性はモテない・金がない・職がないなど、様々な要素が重なって成立するのであり、個々の欠落は、それぞれの定義となるようなイメージであろう。そこは最もだと思う。定義にここまで紙面を割く必

        『仕事』になった途端、全てが風化する現象

        • 「常識人」になるためなら、恋人も結婚も子供も必要ない。

        • なろう系における「奴隷美少女」を求める、精神弱者男性の心理について

        • 新書『弱者男性1500万人時代』の感想文と考察ー女叩きの有無を中心にー

          なぜ俺の元には、「ずっと好きでいてくれる」結婚相手のCVかや〇んママの美少女ロリエルフが現れないのか?(血涙)

          ※以下、今期アニメ『無職転生第2期2クール』2話分チェック後の感想となります※ 第2期1クール目では、完全にED治療の過程を描いており、初々しい二人の恋愛過程が楽しめた。精神にもダメージはなく、極めて安心して視聴できる男性向けアニメであった。 しかし、第2期2クール目が始まって以降、まるで画面の前の未婚独身限界男性に現実を突きつけるかのようにして、突然、夢のマイホーム購入だの、結婚披露宴だの、新婚夫婦のいちゃらぶシーンだの見せつけられて、精神が保てなくなり、ある意味少子化

          なぜ俺の元には、「ずっと好きでいてくれる」結婚相手のCVかや〇んママの美少女ロリエルフが現れないのか?(血涙)

          女尊男卑社会日本の何が悔しいのか。

          くやしさを分かりやすく記述したいと思うが、これは中々に難しい試みである。しかしながら様々な論者がこれを明確化しようと必死に試みることは多いように思う。 簡単に言うと、 ①女性だけがプラスの性的資本を有し、 ②それにより女性同士の(半ば見せかけの)連帯と社会的庇護が生まれ、 ③女性の方が紛争・トラブル全般を有利に処理できるため、 人生生きやすい、という結論である。 男性は人生の負の局面に立たされたときに対処がより困難となり、司法判断が逆に男性であるだけでハードモードとなる

          女尊男卑社会日本の何が悔しいのか。

          人生は、金よりも時間が大切である

          当たり前だが、自分の時間=人生そのものである。今この瞬間、毎秒毎秒全てがまさに自分の人生そのものである。つまりそこで何をするか、何を勝ち得るか、何を手に入れるか、喜怒哀楽と想い出を手に入れるかが人生の全てである。 金はインフレや為替で価値が常に変動するものであるが、己の人生今この瞬間にも全て書き続けられている。もう2度と過去には戻れず、寿命まで1秒ずつすり減る時間の中で何をするかが全てである。 だから、「仕事」という幻想にすがる人生は早く捨てる あくまで理想だ。しかし理想

          人生は、金よりも時間が大切である

          男はどうでもいい女の感情の責任を取る必要は一切ない

          赤の他人が勝手に不快な思いをしていることに対して、何ら感情の機嫌を取る必要はない。 それは甘えであり察する分化のものである。しかし、男性は一切察してもらえないのに、女性からは察してもらうことを要求されるのはおかしい。女性同士ならお互い察しているからイーブンであるが、男性の場合は男性の感情を察してくれていない。だから、題名通り、どうでもいい女の感情ご機嫌取りをする必要は一切ないし、責任もない。大切にしたい女だけの感情のご機嫌に対して責任を追っているといえよう。令和日本女性に根強

          男はどうでもいい女の感情の責任を取る必要は一切ない

          外国で生活すると、なぜ日本人ルーティンの様子伺いがないのか?について考えてみた。

          とにかく海外ではジロジロ様子伺いみたいな仕草がない。異端を排除し、隊列を乱す者を叩き責任逃れに熱心な日本社会では、いちいち他人を監視しないと生きられないほど、過剰反応する司法に頼り他人の足を引っ張りたい人間に満ち溢れているが、海外だとそもそも赤の他人に悪意をもって干渉しようとするムーブ自体が少なく、それは善意の干渉の方が明らかに多いと、今回の海外滞在で思う。他者への干渉が善意からか、それとも悪意(回り回って、巧妙に、自分の利益のため)かという違いである。 不特定多数の他者へ

          外国で生活すると、なぜ日本人ルーティンの様子伺いがないのか?について考えてみた。

          毎期アニメチェックとは、異世界転生に近い、束の間の非日常へ誘う最高のルーティンである。

          出る杭は打たれ、狭小で一面的な無数の基準を作り出し、そこに当てはまらない異端人間に自らの人生の責任を押し付け合う社会(前稿参照)では、一度きりの人生の無数の可能性を体験することなく死んでいくしかない人々も多いに違いない。 アニメはフィクションがほとんど全てである。 もはや眠る他ないと言われた社会体制においても、空想や仮想世界なら、本来持ち得た人生の無数の可能性を、フィクションのストーリーやキャラクターを通じて追体験することができる。それが毎期ごとに新しく放送される、いわゆる

          毎期アニメチェックとは、異世界転生に近い、束の間の非日常へ誘う最高のルーティンである。

          "責任回避社会"日本の行末は?

          まとめ ①責任回避の為に常に他人をdisる国民性は、匿名で責任回避しやすいネット村社会で強化され悪化した。 ②責任回避で、日本社会はほとんどの説明がつく。 日本人の行動原理の大半は、責任を回避するという原理により説明可能であるという発見を、ふと海外滞在で閃いたので、ここに記しておきたいと思い、海外のカフェでiPadとキーボードを走らせている。 根本的に他人をやたらに批判したがらない外国人と、やたらと同族を批判したがる日本人 東南アジアなどの発展国にふと滞在してみると、

          "責任回避社会"日本の行末は?

          日本社会は我慢比べと情弱ビジネスから卒業しよう

          労働中の殺伐とした「空気」と労働中も朗らかな外国人たち 海外、それも東南アジアや発展途上国に行けば誰でもわかる。自我を押し殺し必死に職場にしがみつき、それゆえに足の引っ張り合いと同士撃ちで無駄な消耗を繰り広げる潔癖な日本の職場環境と、仕事中スマホいじりがあたり前、話かければなぜか笑顔ややる気にあふれる外国ローカル店舗。 我慢比べ大会をやめられないがゆえの息苦しさに人生の大半を捧げて死んでいく日本雇用労働者と、客のいない間は好き勝手スマホいじりながらレジ打ちをする外国人労働者

          日本社会は我慢比べと情弱ビジネスから卒業しよう

          令和日本男性にとって、結婚のメリットとは何か?

          それは、「子供」と「家庭を持てる」がトップという。家庭とは配偶者でありパートナーである。 「子供」と「パートナー」それ自体が価値を持たなくてはいけない。 それと対を成すデメリットが、離婚後、つまり女性が否といった場合のデメリットである、女性割、女性優遇の判例である。 離婚の場合、財産分与では財産の大小にかかわらず折半が多く多数派において男性の金銭的負担が多くなる、親権付与においては女尊男卑が成立し子供は女性に奪われるのが多数派である。子供とパートナーの価値は女性も同等なのに

          令和日本男性にとって、結婚のメリットとは何か?

          女尊男卑社会令和日本に見る、衣服の価値における男女差、そして弱者男性と停滞する令和、二次元と多様性について

          端的に言うと、女性がスカートの中を部分的に見せているのは合法であり、それを男性が見たり撮影するのは犯罪、男性がズボンや下着を下すのは犯罪であり、それを女性が撮影してインス〇やツイッ〇ーに晒すのは合法という点だ。イスラムの顔を覆い髪を隠すヒジャブの考え方とは反対に、女性の誘惑は合法であり、男性の誘惑は犯罪であるという図式、逆イスラム教。女性がどこまでも自由を与えられ、男性の自由は抑圧される。憲法も真っ青の女尊男卑社会令和日本。 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は

          女尊男卑社会令和日本に見る、衣服の価値における男女差、そして弱者男性と停滞する令和、二次元と多様性について

          改めて、DieWithZeroは至高の思想であり、金は戻るが寿命は戻らない。その重みを味わうと、人生は最善に向かって分岐する

          令和にもなって日本人の99%はお金を求めて未だに寿命を(人生の残り時間を)削っている。貯蓄は労働者の場合、手取りの余剰分でありそれは将来の可能性へのたくわえである。 しかし将来は今と同じなのだろうか。 やや哲学的になるが、明日死ぬかもしれないし、明日ガンがみつかるかもしれないし、事故や事件に巻き込まれるかもしれないし、あと数分後に巨大地震やテロや津波が来るかもしれない。 未来は誰にもわからないが、金銭での保障しかできないのが現状である。しかし金は可逆的で、後でも労働でも

          改めて、DieWithZeroは至高の思想であり、金は戻るが寿命は戻らない。その重みを味わうと、人生は最善に向かって分岐する

          日本の女尊男卑は極限に達しているが、優遇と言えないほど優遇が浸透していて誰も発言できないからネットで発言されるの巻。

          チラシの裏形式で思ったことを書き殴りました。 「事実陳列罪」という不可思議なネットミームに、不都合な真実を隠す女性の特性が現れる 女性にとって真実は重要ではない。なぜなら真実とは不変ではないからだ。常に変化することを求め、常に変身願望があり、努力するリスクと責任を回避する生物であるがゆえに、不変とされる事実に対する重みもないし、それを受け止めることもない。そして受け止めなくとも良い社会(女性だけが) となってしまった令和日本社会。男性だけが、真実を直視し、ホモソーシャルな

          日本の女尊男卑は極限に達しているが、優遇と言えないほど優遇が浸透していて誰も発言できないからネットで発言されるの巻。