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100年続くK-1まであと71年

K-1は平成5年(1993年)に発足し、来年で30年目となる。
この頃はUFC(当時はアルティメットと呼ばれていた)もJリーグも興った年でスポーツとしては大きな節目でもあった。

この間、資金難で中断したこともあり紆余曲折を経て8年前に体制を整えて再出発することとなったが、出発した時の体制は脆弱で中身はKrushの興行にプラスアルファを施したようなものだった。

詳細を省くがゲーオがいた御蔭でK-1は興行を途切れさせることなく続けることが出来るようになったのである。

そこから次第にハコも大きくしていき、さいたまスーパーアリーナ、そして遂には東京ドームで開催するまでに漕ぎ着けることが出来たのである。

しかも満員である。

コロナ禍でカードはほぼ日本人ばかりで各団体対抗戦の様相を呈していたが、8年もの間よく温存して途切れさせないようにしたか、これはよく考えたのではないかと感じる。

ただ、そのTHE MATCHを後に武尊はK-1を辞めてしまった。

メガイベントを行えば選手はその価値を落とさないようするために更なる舞台を追い求める他ないのである。

武尊だけでなく木村ミノルも久保優太も辞めてしまったし、武居由樹も辞めてしまった。
皇治は天心と闘うために自ら出て行ったが、芦澤竜誠もまたK-1を離脱してしまった。

現在のK-1の体力では彼らを満たすことが出来ない。
選手達の要求を呑んでいたらまたK-1が潰れる危機が訪れてしまう。

低温の状態を維持することでこの8年間保っているのが現状なのだろう。

みんなが大好きなトーナメントで惹き付けても中身は日本人半分と外国人半分で構成されている。
しかも外国人と言っても在日外国人やハーフや外国籍の選手達ばかりだったりする。

日本人並びに関係者達が最終的にトーナメントで生き残れるような配慮をするのである。

これは以前のK-1とは仕様が違う。
以前は年初で日本トーナメントを行い、春から夏にかけて世界戦の予選を行なって、準々決勝の大会と準決勝決勝の大会と分けた興行が行われていたのだった。

これも変な話でK-1のMAXに魔裟斗が出ていた頃の配慮で、魔裟斗が体力を途中で失わないようにするための構成だった。

魔裟斗がタフだったということもあり決勝まで残ることもあってK-1は常に綱渡りの状態を克服していった。

一見不公平かも知れないが、興行を維持する為には文字通り「仕方なかった」のだろう。

激しい試合を重ねて遂に魔裟斗は限界を来たし引退の言葉を口にするのであった。

こんな感じでスターを失わないような企画も練られていたが、高騰するギャラも既に払えない状況が続いてしまい遂には休止に追い込まれる。

体制を変えて再出発したK-1は運営を見直すことで興行の維持に努めた。

繰り返すがそれは目に見えて明らかである。

  1. 4対4によるトーナメントの圧縮

  2. ベルトを伴うチャンピオンシップ制の確立

  3. 階級の増設

  4. 外国人が王者になっても挑戦者に日本人を当てる体制

  5. 1日の試合数を20試合以上に増やす

  6. 試合毎に個別のスポンサーを就けさせる

丸でボクシングである。
ボクシングも100年続いている興行なのでシステムとしてはよく出来たものなのだろう。

ボクシングは全部で18階級だが、K-1も次第に階級が増えて行き今では11階級となってしまっている。
流石にボクシングのようなフライ級相当は存在しないようだが、K-1 NEXTを演出する為には掘り下げていくのだろうと思える。
それだけでなく今後もスーパーミドル級相当の階級まで増えそうである。

余り階級を増やしてもレベルが下がり権威も失墜するだけだと感じるが、選手層を増やして会場を関係者や固定ファンで埋めて行くしかないのだろうと感じる。
そんな不足分を埋め合わせるのが選手達の個性というべきなのだろう。

トーナメントとチャンピオンシップ制は絶妙な組み合わせでこれを制した選手が総取りとなるが、更なる強さを求めて階級を上げれば空位となるので再びトーナメントが出来るようになる。

トーナメントを勝ち抜いた選手が注目を浴びるようになるので必然と「英雄」が生まれる。

そのようなループを繰り返していけば何年でも興行を繰り返して行うことが出来るのである。

次回の春先のK'FESTAはスーパーミドル級(多分75kg相当)トーナメントでも行うのだろう。
ミドル級を飛ばして何故スーパーミドル級とは思うが、やはり70kgは黄金の階級っぽいので10kg以上落とす選手もいるのだろうと感じる。

こうした減量の話もまた次の機会にしたいが次回は二刀流の話をしようと考える。


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