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韓国ワーホリ生活 14

翌日、ソンギさんについて、ウルジロ2街か3街辺りの商店街に行った。

電気屋でスピーカーだのターンテーブルだの揃ったものをおばあちゃんとかが使う様な金属のラックに積み重ねて1つに纏めたもの(サウンドシステム)が完成した。

それでどこかやるとこないかなーとなり、僕がシンチョンの公園はどうかと提案した。若い人が集まっているし。うけがいいんじゃないかと思った。そこくらいしかわからないし。

それで、地下鉄に乗ってシンチョンの公園まで二人で行った。

公園のトイレのそばにセットして、トイレのコンセントから電源を拝借した。

辺りは薄暗くなっていた。
ソンギさんがレゲエをレコードで流した。ダンスホール寄りのレゲエだった。
僕はシンチョンの友達に連絡して、ぼちぼち来てくれた。

何となくみんなゆらゆら踊ったり、酒をのんだりした。
公園にはいつも人が結構集まっているので、見てる人達もいたし雰囲気を邪魔してる訳でも無さそうだった。

周りの人達も軽くのっている人もちらほら。夜の公園に丁度いい感じだったかなと思った。

ぼちぼち帰ろうかという話になり、機材を置いておいて、近くでご飯を食べた。いい感じのスタートだったねと話をした。
けいすけ君がいてくれてよかったよと言って貰えて良かった。

それから帰って、中庭のテーブルでお喋りをしてから寝た。

翌日の昼間はまた一人で街をぶらぶら歩いた。沢山歩いて、特に店が無いような住宅街辺りも歩いた。

名古屋で広小路通りを東に走って、星が丘を越えた先の坂の辺りを通るとアングクに雰囲気が似ていて、そこを通るとアングクを思い出す。

夜はまた、シンチョンの公園に行った。音が大きいと警察に注意された。それからは、パトカーが通る度に音を小さくした。

音だかBASSだかを上げ過ぎてブレーカーが落ちた事もあった。その時は男子トイレのコンセントを抜いて、女子トイレから電源を取った。

翌日には復旧していた。

僕はゲストハウスを出て、シンチョンに帰った。J-STATIONに行ったら、先生に結局近くにいたんじゃんってな事を言われた。

しばらくは、昼は教室で、夜になるとシンチョンの公園に歩いて行った。

ソンギさんは、同じゲストハウスで知り合ったという、ゆうやという男を連れてくるようになった。彼は僕と同い年で、仕事を辞めて韓国に来たという。インドの血が入っているので、最終目的地をインドとして、海外を移動するそうだ。お洒落で踊りも上手だったし、良い奴だった。

大抵、パソコン(アップル)で音楽を流すようになっていた。ソンギさんは、音楽をほったらかしでホームレスとマッコリを飲んで酔っ払っていた時もあった。僕も参加したけど。

夕方頃を過ぎるとリヤカーでマッコリ売りが流していた。日本でも売っているようなプラの白い1リットル位のボトルで5000ウォン位だったと思う。

夜の公園DJは10回目を最後に終わった。ソンギさんがもういいかなって思ったのだそうだ。

10回目の時はシンチョンで少しDJしてから、移動すると言っていた。僕は予定があったので、そこで別れた。

その後、ソンギさんとゆうやはホンデの公園でやって、今までで1番盛り上がったそうだ。

その翌日に最後にって事で3人でご飯を食べて、ホンデでの様子を動画で見せて貰った。確かに、いろんな国の人とか入り混じって踊っていた。

来れなくて可哀そうだったねと、ちょっと自慢気に言われた。

ソンギさんは翌日には日本に帰っていった。ゆうやもゲストハウスを出ていったのでそれが最後になった。

つづく。。。

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