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韓国ワーホリ生活 20

僕が担当していた上級のクラスの生徒でスンジンさんという賢い男性がいた。仕事もエリートみたいだった。日本語がペラペラなのだが、忘れない為に教室に通っていた。初めは、冗談の通じない感じでドライな人だなと思っていた。痩せていて、話がいつも具体的かつ的確で。

シンチョンとかソウルなんて坂が多いのに自転車で来ていた。運動になるかららしい。

毎週会っているうちにそういう人なんだなと思って、仲良くなった。優しい人だった。シンチョンでもご飯をご馳走してくれたし、会社がヨイドにあるので、ヨイドにお呼ばれして花子と僕とご飯をごちそうになった。ヨイドはビジネス街なので、いつもバスの乗り換えとかで通るだけだった。街が綺麗で都会的な雰囲気だった。ヨイ島という名前の通り、島であって、漢江の中にある島みたいな感じになっている。ギリギリ島っぽい位のものだが。日本で僕が知ってる感じだと、静岡の弁天島とか、お台場みたいな?かなぁ。スンジンさんは恋愛の事で悩んでいて、可愛いところもあるんだなと思った。

歩きながらスンジンさんはフィリピンの人と国際電話みたいので話していた。聞くと、フィリピンのサービスであり、定期的に電話をかけてくれて英語で世間話をするサービスだそうだ。それも、スンジンさんは英語を忘れない為にやっているそうだった。

サムギョプサルをたらふく食べさせて貰った。その後、スンジンさんは酒を飲まないので、カフェでコーヒーを飲んで別れた。

その時スンジンさんが話していた事なのだが、徴兵制で軍隊に入っていた名残で、会社で上司にこれをやれって強めに命令されると条件反射で、「はい」と言ってしまうのが困ると言っていた。

もう連絡取らなくなったけど、韓国で立派にやっているんだろうなと思う。

僕が日本に帰ってからも連絡をとっていて、僕の家にも遊びに来て、僕が車を出して木曽川に行ったけど、もっと気の利いた事が出来たらよかったなぁと思う。

寒くなって来る頃にはJ-STATIONでやる事といえば、金曜日の集まり位になってきていた。

お金の事もあるしとチャ先生が家に来いと言ってくれていた。

僕は惚れていて、そんなような感じになっていたのでハスクを出てチャ先生の家に居候する事になった。

数回行った事はあったが、場所はオイドで、地下鉄の終点だった。シンチョンから1時間半位。その駅からバスで10分位だった。

急に遠くに来たなと思ったけど、それはそれで楽しかった。

チャ先生は父さんと犬3匹と住んでいた。マンションだった。

近くに兄さん夫婦が住んでいた。

田舎っぽくて人も少ないけど、シンチョンみたいな繁華街が家から5分位歩くとあった。
その街には貿易やってる人達が立ち寄るんだとか。港町という感じだった。
古い感じの店が蛍光灯やネオンの看板を古臭い感じで光らせていた。

あとは、マンションと大通りっていう感じだった。

開発地帯というイメージ。

歩いていける所に広い公園があって、ハイジみたいなストロークの長いブランコや、ちょっとした小動物見れるスペース、15分位で登れる小高い山及び展望台、その向こうは海。遠くにインチョン空港が見えるという感じだった。

急に行ってから、そのまま生活がスタートした。当たり前と言えばそうなんだけど。

お父さんは、江戸っ子みたいなノリで、しょうがねえやつだなあという感じだった。

チャ先生がどう言っていたのかはっきり知らないけど、シンチョンでどうしようもないみたいな状況だったから連れて来てやったみたいな感じで言ってるんだなあと、後から周りの様子で分かって来た。

最初の頃は、公園に運動に行ったり、近くのスーパーに買い物に行ったりした。

チャ先生は気の多い人だし、もてるので、ネットで男の人とビデオチャットしたり、近所の兄さんが車で誘いに来たりした。そこに舎弟みたいな感じで同行してご飯を奢って貰うというパターンになってきていた。それも面白かった。そもそも目的が無い分、その場を楽しめる余裕があった。ちなみにテレビチャットしてる時は部屋に入らせて貰えなかった。

つづく。。。

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