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韓国ワーホリ生活 34

花子のクラスでトッキさんというお兄さんがいた。

体は中々大きいのだが、スクーターに乗ってシンチョンに来ていた。勉強熱心で良い人だった。ちょっと人見知りな感じだけど。

花子から、トッキさんが草場と三人でご飯に行こうっていってるから行こうよと言われた。

珍しいなと思った。花子と話した結果、近くのアウトバックステーキを食べさせて貰おうという事に決まった。

アウトバックはJ-STATIONから歩いて5分位の所にあった。大通り沿いの語学院のパゴタが入ってる大きいビルの2階だったと思う。ちなみにその向こうには映画館がある。

それで当日、3人でランチした。

お腹パンパンまで食べた。アメリカのステーキ屋だけど、韓国で食べるとやっぱり韓国っぽい味がした。

調味料とか、野菜とか油の為なのか。それが良いとか悪いではない。不思議な感じ。根本的な所で考えたら当たり前なのかもしれない。

アウトバックを出て、特にぶらぶらする訳でもなくトッキさんはスクーターに乗って帰って行った。とにかくあっさりだった。

不器用な男だ。

その後、花子とトッキさんは結婚して今は関東に住んでいる。

韓国での結婚式にはもちろん日本から駆け付けた。

韓国での時間もあと2か月近くになって来た。最後位ちゃんと生活しようと思ってハスクを借りる事にした。

シンチョンでは無い場所に住んでみようと思っていたところ、ゴンさんがコリョデの辺りいいぞと言っていたので、コリョデに住むことにした。

ゴンさんは民家位の一軒家に数人で住むハスクに住んでいた。昔の日本の下宿みたいな。

1ヵ月と中途半端な日数なので、それなりの値段でやってくれる所をという事で、ゴンさんが住んでいる所の大家さんであるおばあちゃんに聞いてくれた。

それで、おばあちゃんに連れられてその近くのハスクに連れて行って貰った。

家族が住んでいる一軒家の空き部屋を貸している所だった。

そこのお母さんは優しい人だった。ご飯を無しにするという事で結構安くして貰えた。

ちょうどそこの娘が僕と同じ年で、日本に留学しているので空いた部屋だった。

それから少しの間のコリョデ生活が始まった。

コリョデ駅はコリョテハッキョ(高麗大学)を略してコリョデ。学生街で穏やかな街だった。

コリョデ駅付近は住宅街とか学校の土地が多くて、店があるという感じでは無かった。隣のアナム駅周辺が、学生街の飲み屋街という感じだった。

シンチョンに比べると、大きいビルは無く店の数も少なかった。

シンチョンって都会なんだなと思った。

有名なヨンチョルバーガーという店があった。

帰る日が近付いてきてるという感覚になってきていた。それで、以前よりシンチョン以外の場所に出かけたり意識的にしていた。

日本から来てる留学生達もぼちぼち帰り始めていた。

日本に帰る前に韓国を一周してみようと考えて、先生に話し、地図を見てある程度計画を立てた。

計画といっても、歴史的な物がいろいろあるらしいからここ行こうとか、一番南側の海を見ようとか大分ざっくりしていた。それで、バスでいけるルートをと、メモをしておいた。宿については、その場その場でチムジルバンを見つけて寝ればいいやと思った。

ヨンチョルさんに青いリュックを借りた。

そして当日が来て、いつもの地下鉄シンチョン駅から出発した。

最初の目的地はジョンジュ。

地下鉄1号線の終点(その当時)のチョナン駅まで行った。チョナン駅に着いた頃には夕方になっていた。

駅では名物のクルミ饅頭が売っていた。

駅を降りて長距離のバス停へ行き、チョンジュ行きのバスに乗ろうと思ったが、時間的になかったのだったか直行はなかったのか覚えてないが、一旦デジョンへ行く事にした。

窓口の女性に話してチケットを受け取った。

チケットの行先見て、ちょっと思った感じと違うけどいいのかしらと思いながら待っていたバスに乗った。

つづく。。。

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