ちいさな自分と格闘する。

はじめまして。読んでくださりありがとうございます。
古坂胡桃(こさか くるみ)と申します。
本名とは掠ってもいないこの名前を使い続けて早3年。
芽がでないです。
そろそろ芽を出したくて、もっと足掻いてみたくて、もっと文章を書きたくて、
note.に手を出しました。
まだまだ下積みの小童です。アマチュアもアマチュアです。
そんな私ですが、どうぞよろしくお願いします。

さて、本題です。
私は20代の女性ですが、ものすごくちっちゃく完成されてしまいました。
子供の頃は「オトナになれば大きくてスレンダーな女性になれる!」と無邪気に信じていましたが…
もう高校生くらいから察してました。自分はこれ以上は大きくなれない。黒板は上まで消せないし、本屋では脚立を探してから本を探すし、初対面で身長を聞かれてりんご2個分!とかわいく答えなきゃいけない。これはもうずっとなのだ。いや、最後のは歳が関係してくるけど。
小さいと言っても、現代の医療の力を借りて140センチくらいまでは(なんとか)伸びて、多少小さくても女性であれば可愛い、で済まされるのでまだ、良かったです。或いは羨ましいなんて言われました。光栄ですけど、微妙です。
今日は寝転がって本を読みました。「マチルダの小さな宇宙」幼いマチルダの思いに、懐かしくて自分も昔に戻ったような感覚を覚えました。
こどもっていうのはみんな経験してるくせに、よく覚えてないものです。
こどもは大人が思ってる以上に頭がいい。
要領を得ている。
社会のこなし方を身につけようと努力をしている。
ああ、私もずっとそうだった。
ちいさかった私は、周りから「助けられる」ことの方が多く、それがとっても嫌でした。
私は自分の力だけでは何もできないのか。
誰かを助けてあげることもできないのか。
そんな自分に腹が立って、でもこの身体では何も出来ないし、医療の力を借りてるので「無理なことはしないでください」と医師にも忠告される。
大人になって、自分の管理を自分でしなきゃいけなくなって初めていろんなことを「普通にできる」ように努力しました。
みんなと同じようになりたい。
私も誰かの役に立ちたい。
その一心でいろんなことをやって、いろんな経験をしてきました。
もう誰かに守ってもらわなくても大丈夫よ。そんな風になりたかった。
でも要所要所で自分の体力の限界に気付かされました。
今でも。
それは人が考えるよりずっと辛いことです。

一時期大阪で本屋のバイトをしようと面接を受けて、受かった本屋にオリエンテーションを受けに行った時こう言われました。

「きみは頭がいい。」
「きみは賢い。きっと仕事もできる」

特に知り合いという知り合いがいない中、その言葉は私がほしくてほしくて、でも誰も言ってくれない。そんなむず痒い言葉を、本屋の店長のおっちゃんは言ってくれた。

「ああ、あかんわ。きみみたいな賢い子はな、決まってすぐ辞めんねん」

いや、私は辞めないよ。もちろん地元に帰るまでだけど。そう決めた。この人にちゃんとついていこう。

そこから地元に帰るまでの半年間、私は店長と仲良く過ごせました。今でもあんなに賢い、と言ってくれた人はいません。だってまるっきり賢くなんてないんです。
小さな自分と戦うために、小さな自分をちゃんと愛していきたい。他の人が力持ちなら、私は画期的なアイデアを出せばいい。他の人が体力自慢なら、私はスピードを極める。走るのはNGだけど。それでも大丈夫。きっとうまくやれる。

それが今日、本を読みながらちいさな私がもっとちいさな自分に向けて発したメッセージでした。

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