3行日記 #147(テトラポット、下地、脱走)
二月二十四日(土)、くもり 陽射しがそそぐと暖かい
雨水、霞始靆、かすみはじめてたなびく
雨水、連翹粧黄、れんぎょうきでよそおう、レンギョウが黄色にお化粧
朝、船で別府に到着。早朝のまちに放り出される。フェリーターミナルから市街地まで歩く。波打ち際にテトラポットがあった。
市街地に到着。目当てのモーニングまで時間があったので、近くの足湯に浸かる。視界の右から左へ茶色の紙袋を抱える二人連れの女性が、パンを齧りながら過ぎてゆく。足だけぽかぽかになった。
朝飯は結局、予定していた喫茶店ではなく、茶色の紙袋のパン屋に惹かれて行ってみたのだが、長い列をみたとたん踵を返し、地元のスーパー、マルショクへ。鶏めしおにぎりを買って商店街で食べた。
昼、洋食屋で豊後牛のステーキと牛カツ。腰を九〇度に折り曲げたおばあちゃんの店員がいた。ほぼ真下をむいて歩いていた。
午後、とある理容店へ。愛媛の生まれ。愛媛と別府は瀬戸内の海でつながっている。お面がたくさん。鏡以外の壁にはほとんど隙間がない。四十代のなかばに思いたって、浜にうちあがった流木、発泡スチロール、蛸壺などを使って、お面をつくり始めた。近ごろは台風が来やせんで、なーんも落ちとらせん。きれいなもんや。こんなこと言ったら怒られるけどね、おっきな台風来てほしいね。下地が大事なんです。胡粉ってあるでしょ、あれをまず下にしっかり塗る。それで下地をつくっておく。そうすると、材料が木なのかハッポーなのかわからんくらい、しっかり色がでる。下地をつくらないと色がでない。骨董屋行っても写真がない。これは全部、想像の面、俺の頭のなかにある想像の面。
駅にむかう途中の路地に野良猫がいた。マルショクに寄り道して豚まんや牛乳を買う。自動ドアから入ると、有線の曲が店内にながれている。あ〜、テトラポットのぼって〜、てっぺんさきにらんで、宇宙に靴飛ばそう〜♪ 朝に見た波打ち際のテトラポットを思い出した。
夕方、バスで鉄輪温泉の貸間へ。宿に荷物を放りだして、近くの公衆浴場へ。常連らしき同じ年代の男のひとがひとり先に入っていた。わたし、そろそろでますから、最後にお湯を締めていってください。そう言い残して、湯船からあがった。湯が熱い。のぼせてきたので、浴槽の縁に腰かけていると、先ほどの男性に、すみません、と声をかけられた。壁のほうを指さしている。なにか注意書きがあるようだが、眼鏡がないのでよく見えない。常連さんがくると、怒られるので気をつけてください、とやんわり注意された。縁に座ってはいけないらしい。お湯からあがり、脱衣場で身体をタオルで拭いていると、外から威勢のいい声がする。組合員でもないのに、ただで入るふとどきものがおる! 組合員入れや、湯止めるぞ! 私は、懸案の組合員に入っている宿の客なので、落ち度はないのだが、外に出るときに肩をすぼめてそっと抜け出した。扉の前に、地元のご老人たちが三人ほど集まっていた。いちばん声がでかいひとは、原チャに跨ったままだった。
夜、泊まっている宿は貸間といって、過剰なサービスや干渉がない代わりに料金が格安なのだが、客が自由に調理できる炊事場に行ってみると、濃い霧が立ち込めているようでほとんど何も見えなかった。そこには一般的なガスコンロではなく、温泉の蒸気を利用して蒸し料理をつくる、地獄釜、がたくさんあった。客たちはそれぞれ蒸したい食材を持ちこんで、釜の湯気のなかに放りこんでゆく。私たちは、駅のガード下にある商店街の魚屋で、スズキ、何かの貝(名前を忘れたがホタテに近い)、車海老、牡蠣、関サバの刺し身を買いこみ、家からは米、じゃがいも、サツマイモ、林檎、プリン、を持ってきた。食材を皿に盛って釜のなかへ。使用中の釜には蓋のうえに木札をおく決まりになっているのだが、私たちが選んだ札には犬の絵が描いてあった。時間を見計らって釜の蓋を持ち上げると、玉手箱を空けたらこんな感じなのではと思うような煙に襲われて、身体を海老のようにのけぞった。鍋つかみをはめた両手を釜につっこみ、手探りでみつけた皿を持ち上げて妻に渡すと、妻が叫んだ。海老がない! 貝の殻をどけて探すも、たしかに、海老が一匹足りない。そういえば、釜にいれる前、車海老はまだ生きていて、脚を元気よくバタつかせていた。もしかしたら……と釜の底の簾をめくってみると、奥底に、赤く照り映えるものが横たわっていた。皿から脱走をはかったが、落ちた先は地獄だった。味はといえば、白飯も刺し身も魚介類も野菜もみな、ほとんど調味料を使わなくても、目を閉じて黙ってしまうほどおいしかった。
食後に皿を洗うときに、水しか出なくて困っていると、わざわざ部屋から足を運んで、先客のおばさんがお湯のでる蛇口を教えてくれた。離れて暮らしている姉妹で宿泊していて、この日が三泊目、全部で五泊するという。こういう交流も、楽しい。
昨晩は船に揺られてぐっすり眠れなかったので、はやめに寝た。
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