レタリック・クリーチャー。
やぁ、いらっしゃい。今日もお疲れ様。
雨の多い一週間だったね、晴耕雨読が思い浮かぶ。
GW突入でここから休みが続くね、え?続かない?
そう、三連休からの月末月初の三連勤。そして四連休。
大事なとこを休みに出来ない企業さんも多く何だかなぁな連休かな。
文字を書く。
noteを楽しむ人なら、記事を書いていると思う。
最初は色々考えるし、書いては消し、書いては消し。
出来上がった記事を"穴が空くほど"見回して見回して、投稿。
「うわー、ここの表現がおかしかった…」
「誤字あるし…」
なんていつものこと。
本人だけが感じる、急速に体温が奪われるような焦り。
だけど誰もそんなに気にしてない。
人様の記事を読んでも時々…いや結構見かける事もある。でもそんな事をいちいち気にして記事を読まないし、むしろそこに気付いた作者の表情を想像しながら楽しむ事も出来てしまう。
文字はキレイでありたい。
が、そうでなくとも楽しめてしまう魅力がある。
ちなみに私も誤字の多さには自覚がある。
昔よりはマシになったと思うけど、ミスりがち。書く速度に追いつけてないのかしら…無意識の産物だよ。
この"文字"に対しての価値観。
人によって大きく差が分かれるところかもしれない。
何気なく書いたり読んだりする人が多い中で、時々とっても気にする人もいる。
noteは無名の魔物が多く棲む里。あぁ、今週も"変態"だ…
勉強ぐらし。
N氏はnoteで知り合った女性。
大体3ヶ月にならないところかな。
異彩を放ちつつある存在感、ご存じの方も徐々に増えていると思う。
noteには毎日のように色んな人が現れる。現れた瞬間に二度とログインしていなさそうな人もいるし、動いてるのか動いていないのか分からない人も多々。
定期的にでも記事発信をしている事自体が凄いこと。
更にその中で"人に覚えられる"となると一段ハードルが上がる。
加えて"特別感"を感じられる様になると二段、三段と難度が高くなる。
毎日投稿を見かけるし、内容もしっかり。
様々なテーマをあげつつ、少し変わった"目線"で考え事を伝えてくれる。面白い、物事は一側面から見ることだけが全てではないという。
そこを"敢えて"違う観点から切り取っていくスタンスは思考が広くないことには難しいことだと思う。
スルッと出てくる言い回しもあれば、絞り出して出てきたような言い回しもきっとあることだろうね。
好まれる理由として、"目線が違う"からと言って決して攻撃的な表現はない。というより相当意識して人を傷付けまいという配慮すら感じる。
文字には魔力が宿る。
いたずらに放たれた温度を持たない言葉は人を傷付ける。
N氏はよく本を読んでいるのが分かる。実際に書籍の感想なども多いし"あれを読んだ"、"これを読んだ"という発信もしているのを見逃さない。
勤勉だね、右から左でなく意識して取り入れている部分も多いんだろう。学んだ事は身になっていく。
ふと、知る。
そんなN氏も最初から派手な動きだった訳でなく、noteという"沼"に浸かることで得るものがあったのだろう。
『note ホンキで始めます』
数名からインスピレーションを受けたという話が出ていた。
実の所、しっかり見るようになったのはその頃から。たまたまタイムラインで「あなたの記事が話題です!」と出ている事がきっかけ。
それまでのN氏も決して悪かった訳じゃない。
ただ、"満ちてなかった"んだろう。気付いた事を箇条であげると
①サイトマップ
②誰に読んでほしいのか
③キャラクター性
ということだった。
幸いにして③の"キャラクター性"に該当するということで"末席"に据えていただいていた。なるほど、キャラクター性。
"察する"に留まるが、N氏の脳裏では"これじゃつまらない…"があり"私、もっと面白く伝えたい、伝えられる…"といった葛藤があったんじゃないかと想像する。
noteというプラットフォームは厄介なもので、"そこそこ"出来てしまうような気がする。ユーザーは記事を書く人が多いしちょっとしたミスがあっても自分に置き換えて温かい目で見てくれる。
記事を発信していく内にフォロワーも増え、スキやコメントもいただける。素晴らしいことじゃないの。
ただ、時にその順調さに"違和感"を感じる人もいる。
「この優しさに甘えていていいのだろうか…」
「自分が書きたい姿とはこうなのだろうか…」
等々。
悩んで、考えて、調べて、試して。
その上で出来上がってくる"個性"のようなものが確かにある。
noteの初期の頃の記事を読むと、全然キャラが違うような表現方法という人も多いよね。旅の途中に出会ったきっかけから方針新たに進みだした。といったところだろう。
ゆらゆら。
N氏の"気付き"は早く、"行動"もまた早い。
文字生生物。
N氏を語る上で特徴的な言葉がある。
「文字生生物」
…なんだろう。
あ、これあれだ。"ヌル禁"だ。
分かるようで、微妙に分からない、本人特有のオリジナルのワード。
自身が持つ独特の世界観から持ってきた言葉。
noteは時々、不思議な言葉を使う人がいる。
N氏もそこに含まれるが、冒頭の通りエンタメとしての目的も兼ねて発信している配慮を感じるため棘はない。ただ、文字を通じて楽しんで貰うことを一つの目的とし、楽しんでいると察する。安心して読めるよ。
特に光栄で、かつ印象に残ったのがこう言ってくれていたこと。
形上"末席"とは言ったが、"大トリ"と考えてもいいのかしら。これだけ文字を愛し文字を発信する人物に評価されることはありがたいことであり、自信にも大きく繋がる。
とは言っても、三ヶ月も前の話。
N氏もまた自身の方向性を固めて歩みだしているし、私もいつまでも評価に甘んじてはいられない。
彼女は自身が目標とする"文字生生物"たりえる為に、壁に当たり、ネタに悩み、苦悩と楽しみの狭間で生み出していることだと思う。
レタリック・クリーチャー。
一つ、頭に残った表現があった。
いつくらいだろう、二ヶ月ほど前だったと思う。
記事、文章を"肉の熟成"に例えたお話だった記憶がある。
思い入れのある記事には力が入ってしまう。
その"情熱"が強ければ強いほど、肉は硬く焼けたものとなり好みが大きく分かれる結果になっていく。
また、調理工程に"自己満足"があまりに強くなると、自分から見ると思いの丈を詰め込んだ仕上がりになるものの、"お客さん"からの目線だとちょっと重すぎる…というか読みづらいといった趣旨。
じっくり間をおいて、適切なタイミングで素材を使用。最高の仕上がりと技術をもって提供し、善しか悪しかの判断はお客さん(読者)に委ねる。
素直に納得できるお話だった記憶があるね。
noteあるあるだけど、ホントに気合を入れて書いた一本が思いっきり空振る事って少なくない。伝えたいなら、相手の目線で書く。
文字生生物が残していく言葉には重みがある。
そして、振り返って自身も気をつけないといけないという戒めも怠らない。
書くほどに、時間をかけるほどに、引き締まっていくような…いい肉じゃないか。笑
これから。
恥の多い人生を書いてまいりました。
最近ではKindle電子書籍を発行するなど、活躍めざましい。
確か3月末頃だったか。
有料記事で、珍しく自身の過去のデリケートな部分を話してくれているお話があった。文字だけでも多くの考え方を放っているN氏だけど、内々の部分まで出してくれている話はその記事が群を抜いていた。
自身をさらけ出すというのは勇気がいる。
「人はそこまで気にせず接してくれる」
ではない、どこまでも向き合う壁は"自分自身"という感想が当てはまるお話だった。
noteには毎日のように色んな人が現れる。現れた瞬間に二度とログインしていなさそうな人もいるし、動いてるのか動いていないのか分からない人も多々。
彼女もまた、既に追われる側。日々の発信が多くの人の学びに変わっていく。
そんなN氏は私の大切な友達さ。
いつだって応援しているよ。
願わくば、自身が望む"文字生生物"に達するその時を見ていたいもの。
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ここまで読んでくれてありがとねっ!
私のnoteのサイトマップ。
自己紹介から、各種紹介が下記より一望できます。
ぜひ、ご覧ください。
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