【超重要】シン・質と量。
やぁ、いらっしゃい。今日も頑張っていこっか。
毎日記事に携わってくると書きたいことがよく浮かぶ。
ただ、それがなかなか残せずに結果書き損じる。
不思議なものでお風呂と寝る直前に来る事が多い。いや、そのタイミングのものだけ印象が深いだけかな。振り返るとロスが多いよ。
本題はここから。
「質と量はどちらが大切なのか」
うーん、これは太古より伝わる論争。
一言でどっちと決めるのも難しいテーマだね。
多分これを見ている有識者の方々だって、賛否両論あるだろうしこれはもうあってしかる問題。
状況に応じて使い分けも出てくるだろうし、一概にどっちが大切とも言えないのがまぁ一つの無難な結論じゃないかなとは思う。
とは言ったもののそこで終わらせるとつまらない。
ということで、今回はこの"質と量"についてちょっと考えてみる。
別に"これはこうだ!"という押し付けをする事もなく、単純な指標くらいで考えればいいことだと思うし、人それぞれポリシーがあるからね。
その辺りをどうこういうつもりもない。
"知らずにがむしゃら"というのも、時々なら許さるタイミングはあるかもしんないけど、真に必要になった時には振り切っていく姿勢も問われる。
それが"質"なのか。
それとも"量"なのか。
あなたはどっち派だろう。
そう考えたこともきっとあるんじゃないだろうか。
"毎日投稿"なんて言葉があるけど、まぁしんどいじゃん。
文字通り毎日投稿する訳だから、一日複数触る事がない限り休める日なんてない訳で。
そうなってくると、しんどくなってきて"毎日投稿辞めます"の定番のパターンになる。それは全然いいと思うし、無理はいけない。
"量"に偏った行動パターンを修正する為に考える。そもそも毎日投稿を辞める理由とは何だろう。
・単純にしんどいから
・他にしたいことがあるから
・もっと記事のクオリティを上げたい
まぁ、色々あるね。
これは本人のみぞ知る所。
ただ、一度休む事でズルズルと休みグセが付き、そうしてどんどん存在感を消していく…質や量の話はそこでは出ることもなく。
"質量問題"とはまた違うところで話が進むケースだって少なくない。
本当は違う理由があったのかもしれない。
表面の決意と、真相の叫びはまた違う。
一例で言うと"実はもう嫌だった"というエンドパターンだと、"辞めたい"の真相の叫びの質はきっと相当高かったのだろう。
noteは"迷いの森"。
自分の意思とは別に縛られる事で、無意識に違う方向に進んでいる事なんてよくある話。
さぁ、ここからが本題だよ。
頭を柔らかく、現状を焦らず、気付きを無駄にしない。
あなたのnoteライフが素晴らしいものになれば幸いです。
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