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リライト・ライト。

やぁ、いらっしゃい。今日もお疲れ様。

3月最後の土曜日、いかがお過ごしだろう。
早いね、今年ももう四分の一が終了だよ。

平日が慌ただしくて、逆に土曜日がゆっくり。
あまり世間の動きに飲まれ過ぎないようありたいものです。

彼女を知る。


K氏とはnoteを介して知り合った。

期間はまだ浅い。
言っても2ヶ月くらいのものかと思う。

ただ、知り合ったと言うよりは接点があったというくらいで、そこまで大きな関わりがある訳ではなく、ただ時間が過ぎていた感じだった。

定期的にクリエイター紹介もコンテンツとして組み入れている為、K氏の紹介の番も回ってきた形となり、その時ご縁が出来る。

彼女はひっそりとそこにいた。何かを語り合う事もなく、静かにその時を待つようにそこにいた。

「この人、どんな人なんだろう…」

改めてプロフィールを見た時、興味を持ちつつもふと考える。
独特で味のある絵を書いているのはひと目で分かる。

そして、その紹介をきっかけに時は動き出す。

ただの女の子だったわたし。


K氏の自己紹介記事はしっかりと歴史が刻まれていた。

幼少の頃から絵を描くことが好きだったK氏。
小学生の頃から、物静かで一人でいることが多く周りの子供達との交流はほぼないような状況だった。

私の小学生の頃にも静かで誰とも喋ることのない子はいた気がする。

朝の挨拶をすれば引き気味な対応、お通夜呼ばわり。
しかし本人からすれば自分は「のびのびした子」だと言う。

自身と周りの捉え方の違いは、家庭の環境にあるのかもしれない。
この話は本人の記事から読み取ってもらえた方が一層知ることが出来るんじゃないだろうか。

そんなことから、小学生時代は絵を描くことが多く、同級生の子供たちと積極的に遊ぶような記憶がないまま時を過ごした。

「本当は、友達と遊びたかった」

中学に上がると、美術部に入り、油絵を描くようになる。
漫画好きの仲間に恵まれることで、二次創作の同人誌なども作成しコミックライブ(コミケ?)にも初めて足を運ぶようになる。

描くことは、好き。

でも、実力は周りに比べてやや上といったところ。
絵を生業としていくにはまだ想像もつかない原石の頃。

転機はあった。

中学3年生の頃、K氏は写生大会で独自の感性をもろに出した作品を提出する。人気結果はもちろん二票かそこらのもの。そもそもテーマに沿っていない絵を書いて提出するちょっとした変わり者。

ただ、そんな絵を好んで声をかけてくれる子が現れる。とても目立つタイプの子でもちろん交流はない。スクールカーストの縁の下、K氏は驚く。

「心を動かすという事って、嬉しいことなのか…」

その後、高校は美術専攻で進学。
多くの苦労と、努力と多くの挫折を伴っていた事が記されていた。

K氏は絵を描く事が好きだったが、多くの苦労を経て都市を重ねていった。
そんな「ただの女の子だった時代」が徐々に明けていく。

試練の連続。


一年、浪人した。

その上で、苦悩の末に美術大学に合格する。
そこまでの経緯も相当なドラマがあり、苦労の連続だった。

ここでは敢えて書かないことにしているが、知るとさらに人柄が見えてくる。

大学時代は楽しいイメージがある。
新しいキャンパスで新しい出会いもあり、新しい学びと将来に向けて進み出す。

K氏の環境はそういうものではなく、大学講師の思想に合わせた作風を求められる風潮、そして周りがそれに馴染んでいく環境に対応することが出来ず、二回生の後半からは大学に足を運ばなくなるようになる。

代えて、フランス映画に没頭したり、バイトに勤しむようになり、徐々に絵から距離が出来ていく。

不眠になり、3回生の半ばで精神科に一時期通っていた。
ただ、バイトの恩恵もありこの頃、少しコミュ障が改善されていた。

卒業だけはと奮起し、3日の徹夜で卒業制作を完成させるほどの集中力。そして品評会で泡を噴いて倒れた。K氏は極端だよ。

就職もうまくいかず、契約社員の百貨店テナントでの販売職。友人でも多くの人が声を揃えてきくが、縦社会が色濃い業界。加えて朝の満員電車。

通勤電車でめまいを起こし開店前の売り場で突発性難聴で倒れ、即入院。そうして、初めての就職は失敗。

K氏の母はよく話す人だったそう。
退院時に連れ添って下宿先まで、何も言わず一緒にいた。

己の無力を振り返り、涙を流した。
静かな部屋にすすり泣く。そんな情景が心に染み付く。

再出発。


社会に出てから、職場運にもなかなか恵まれる事がなくK氏は苦労を強いられた。

事務職のアルバイトを始めたものの、これがまたブラック。
2年目の頃には1日15時間の劣悪な環境で毎日心も体も蝕まれていく。

上司は鬱になり、ワンオペとなり、結果上司と一緒に退職する形となる。
当時の出会いは後々有益な出会いにもなり、心の支えとなるものもあった。

反面、徐々に学生時代の旧友とは距離が広がる一方。

結婚し、幸せになっていく者。
絵の道を進み、徐々に結果を出し始める者。

自分は…時間もなく、お金もなく、余裕もない。
比較する上でどんどん惨めになる。

「描きたい」

という想いは消えず、目的を曖昧に生きる事は性格上出来ない。
それでずっと苦しい道を進んできた。

時にいなくなってしまいたい。
そう思うこともあったそう。

どれだけ気持ちを押し殺してきたのだろう。
どれだけ自分を諦めそうになってきたのだろう。

その後、新たな環境の良い職場にめぐり逢い、小さな個展を開くきっかけを掴む。ただ、同時期に大切な人を失い、家庭の事情から職を離れざるを得ない。

母を支えるため、自身が働く以外にない。
葬儀の返済、引越し費用。まだまだ苦労は続く。

正職について、絵を諦めるのか。
それが出来ればどれだけ楽か。

K氏は絵があるからこそK氏としてのアイデンティティが決まっていた。

地獄の労働はそれから約2年。
無限に続くような過酷な人生は終わらない…。

リライト・ライト。


流れは澱みを超えた。

今から約5年前に就いた仕事で一時の安息を得る。

「夜に寝て、朝に起きる」

それがどれほど幸せなことなのか。
一巡、二巡してたどり着く。ごく普通の幸せ。

時代も少し進んでいた。

noteやSNS。
認知拡大やマネタイズも、いままでの個展方式に限らず多様性の時代に業界が迎合されるようになっていた。

本業を行い、副業が出来る。
長年眠り続けていた絵への欲求を満たす環境が整う。

起業も視野に勉強し、ストックイラストのためにデジタルイラストアプリもスマホに入れた。

オンラインを介し、発信し、交流をする。
そして、自身がイベントを企画する。

「第一回 あなたの記事から絵を描きます」

記事から絵を作り出す。
クリエイターといって間違いない離れ技。

フォロワーの多いクリエイターさんの記事を手掛けた際、大きな波が押し寄せ一気にコメントや参加したいという方が増えた。

一気に24人。途端に形となる。

「嬉しい」

・涙が出ました
・何も伝えていないのに一番描いて欲しかったシーンを描いてくれた
・何も言っていないのに自分に似ていて驚いた
・何も言っていないのに自分の家族に似ていて驚いた
・何も伝えていないのにオーラ判定と同じ色で驚いた

自身の描いた絵が心を動かすことなんてなかった。
いや、過去に一度。中学の写生大会…そこに原体験があった。

絵画があったから苦しめられてきた訳じゃない。
絵画があったから今、形にすることが出来た。

K氏は正しい自身のあり方を書き換えていく。
振り返ると長かったが、それでも先の方が長い。

画風は独特。かつて…

己の無力を振り返り、涙を流した。
静かな部屋にすすり泣く。そんな情景が心に染み付く。

このときの静寂な情景は今でもはっきり覚えており、K氏が絵で感じてもらいたい「安心できる心の状態」のイメージソースになっている。

苦しかった過去は、確実に「今」を形作る基礎となっていった。

これから。


K氏はまだまだ過渡期の絵描き。

一番苦しい時期を乗り越え、次にステップアップするべき時。
そんな折、私はK氏と出会うことが出来ての今。

期間は浅い。

それでも、随分前から知っているようにこの話を書くことが出来た。
きっと、彼女とは少しだけ似通った部分があるのかもしれない。

環境も、性格も、絵なんて描けないし違う所だらけ。
何も思わずにこうは書けないものさ、きっとこれから何かを形にしていくのかもしれないね。

そんなK氏は私の大切な友達さ。
いつだって応援しているよ。

願わくば、次に流す涙は嬉しさでこみ上げるものでありますように。

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ここまで読んでくれてありがとねっ!

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