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【みんなで創る】クロサキナオの運営マガジン

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このマガジンは「楽しく、続ける」を趣旨として発信してます。まだnoteに慣れてない人は知り合いづくりと記事の共有を兼ねてぜひご参加してみてはいかがでしょう🌹 ※原則1日投稿記事… もっと読む
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2020年9月の記事一覧

「自己愛の不徹底」2

「自己愛の不徹底」(2)拙著「小林秀雄論」より抜粋 極論すれば我々は此の地上に存する限り何ぴとといえども不具者である。聖者はもと より、天才と呼ばれた存在達は常に己の無力感を名状し難いほどに味わっている。 く どいようだが有能ゆえではなく自己の無力さゆえに苦悩する。 「天稟の倫理性と人生無常 に関する沈痛な信念とを心中深く蔵して、凝滞を知らず、俗にも僧にも囚われぬ、自在で しかもあやまたぬ、一種の生活法の体得者だったに違いないと思う。」(西行)と。 だが常に実生活のな

創造と個性

表現行為に於いては個性云々が様々な視点観点から語られる。 この問題と自由、不自由という問いは不可分である。 唯物論的観点からはこの問いは徹底的に相対化されれば無意味な問いと化す。 世界、自然界を知覚する主体である「私」が消滅すれば一切は無に等しいという結論に導かれるからである。 さらに謂えば生存自体にも意味は無いという結論へと至る。 これは通常無常観とか空とか言われている概念である。 この観点からすれば、個人の一生など自然界の一部にすぎないし、この自然界の法則から

「即興表現について」

「即興表現について」 今日に生きる我々人類の個々人の課題として如何に創造・即興精神を日常化するか、という根源的問いが 自覚無自覚を問わず化せられている。 無論、この問いの自覚の度合いは各自各様の意識のありようによって異なる。 私は絵画表現を突き詰めている途上にて、この問いの根源的問い、自覚を26歳の時に痛烈な内的体験によって徹底的に味わった。 古来よりの「汝自身を知れ」の実体験でもあった。以来、如何に日常的生にこの課題を溶かし込むかという日々であった。 一切の分野、

「自己愛の不徹底」1

「自己愛の不徹底」 拙著「小林秀雄論」より抜粋 自明の事と言えば自明の事だが、本当に我々は自分自身を愛しているのだろうか。さらに言えば自己認識をしているのであるか。我々は通常では自己愛を悪しきものとみなしている。無論、狭義の意味で用いられているのだが、その判断は何の根拠があって、誰によって、何の為に悪しきものと決定されたのか?殆どの人々はこの日常何気なく使われている言葉すら理解もせずに使っている。 真の自己とは何か? 我々が人間と呼ばれ、生き、生活する。一体我々はどこか

表現について

表現について  この世に何ひとつ無駄なものはない。それを知らしめるべき「存在」達がその意味を悟らず「達観」した意識を持ち、その視点から人間を観察し、分類し、価値や意味を決定する。――これが現代人の、現代に生存する多くの人々の世界観へ流出され、病のごとく「相対的世界観」として魂を支配しつつある。環境となりつつある。――人々はそれぞれが「個性」を主張し、自由を主張し、己が身を守るために自己にとって都合の良いものだけを利用し、――自己を拘束するものは人権を無視するものと、ますます

三島由紀夫『小説家の休暇』より

下記の文章は私の或るブログに掲載したものであるが、今日に於いても重要な内容と思うので此処にも掲載する。  この文章の内容をどれだけの人々が真に理解、体感したか、それを考えると憤怒に似た感情が湧くのを禁じ得ない。 ーーー 三島由紀夫『小説家の休暇』より 「一見混沌としか見えぬ無道徳な享受を、未曾有の実験と私が呼ぶのは、まさにこんな極限的な坩堝の中から、日本文化の未来性が生れ出てくる、と思われるからだ。なぜならこうした矛盾と混乱に平然と耐える能力が、無感覚とではなく、その反

透明な闇

覚醒とも眠りともいえぬ定かならぬ此処には全てがある 聖者も凡人も 死せる者も 生きた者も あらゆる自然界の ものも 何もかもが融合しては 鮮明に共存する世界 活動と静止 静寂と轟音 輝く色彩 透明な色彩 無彩色 反転 反転 反転 ・・・・・・ 空転 時間は空間と融け 幽玄なる楽音を奏でる 豊饒と虚空 無音 無限なる・・・・・・ 彼方無き空間 境界無き境界 無色の有色の 無形のものら 此処に潜むもの その意識は 何者でも無い ただ・・・・・・ 在る 時空無き 時空の 空間

耳に順したがう」事の難しさ

 日常生活は基より、優れた表現者(芸術家)といえども虚心坦懐に聴く耳を備えているか?といえば微妙な難問に変じる。  かの孔子ですら「六十にして耳に順う」と言っている程であるとすれば、よほど洞察力に自信がある人でも謙虚にならざるを得まい、と思われるのだが現実の情報社会のなかにあっては悠長すぎて死語と化しているらしい。 無論、「死語」という言葉には自他共に辛辣な皮肉を込めている。   「百聞は一見に如かず」とは他者の意見や噂に囚われぬ公正な見方を所有せよ、との格言であるが、こ

われとわれ-友へ

われはわれにあらずわれわれにありてもわれにあらずわれとわれわれはわれにありわれはわれをわすれわれにあらずわれわれをわれとおもうことでわれをわすれわれをすくいわれをうしないわれわれのなかにわれつづける われのはてにありてもわれにあらずわれわれのなかにとけてもわれにあらずわれをわれわれのなかにとかしてわれわれのなかのわれをしるしぬしるわれわれのなかのわれはわれをわれわれのなかのいちぶとしてぜんたいとしてわれわれははてしなくわれているわれをしるかんじるみるわれのわれわれはわれわれの

「制作過程」2015, カタール・ドーハにて

「制作過程」2015, カタール・ドーハにて 作家の作品制作過程は通常は見る事が出来ない。 現地で段ボール紙を調達し、日本から持っていった素材は少ししか用いなかった。 強力な接着剤が無かったのでキャンバスに定着させるのに時間がかかった。 この完成作品がどのようにして出来たのかの過程です。 ☆カタールドーハに行く前年に右肺上葉部の摘出手術をした。 手術室に入って12時間後に出た。私が40歳の時に肺結核になった。 その個所に真菌(アスペルギルスがうずらの卵位の大きさにな

『考え』を変える事によって『気持ち』や『行動』を変える。3歩目は実践。そして、このまま練習を続けよう

『考え』を変える事によって『気持ち』や『行動』を変える、 3回目の今回は最終回。 もちろん、今回の記事を読んだらゴールに着いた訳ではありません。 「これからが始まり」です。 1回目と2回目のおさらい1回目と2回目では 人間は、 1. 自分の周りで起こった事に対し 2. 反応して、何かを考え 3. その考えに従い、感情を持ち 4. その感情に沿って行動する を、繰り返している事。 これらのステップを行なっている自分を意識することが 最初の1歩である事。 そして、2歩

『考え』を変える事によって『気持ち』や『行動』を変える。2歩目 (2/3)

今回は「『考え』を変える事で『気持ち』や『行動』を変える」ための第2歩目。 前回の内容前回、人間は、 1. 自分の周りで起こった事に対し 2. 反応して、何かを考え 3. その考えに従い、感情を持ち 4. その感情に沿って行動する と言う事を繰り返している、と書きました。 2歩目の今回は、上記のステップ2の『考え』の部分について語ります。 できれば、私の前回の記事をを読んで頂いて、ご自分の最近の経験から『でき事』『考え』『感情』『行動』の例を書き留めてから、こ