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17 才だった私に父は聞いた。”車のハンドルにはなぜ遊びがあるんだと思う?”と。

ああ、この子は17才だった私だ、と思った。大きな違いは、彼女は真っ直ぐで、努力家で、正義の味方なところ。私は、もっと破壊者な思考だった。

腐りきった人間社会が、気持ち悪く、自分はそんな人間になりたくない、でも、それに乗っかった生き方をした方が楽だ、賢い生き方だと囁く自分とが常にせめぎ合い、ああ、もうだめだ、耐えられない、死ぬしかない。いや、この世界の方がおかしいのだから、死ぬ前に、破壊しよう。東京タワー、皇居、国会議事堂を一気に爆破したら、どんなにスッキリするだろう?そっか、テロリストになろう!そんな風に考えて、うっとりする自分もいた。

結局、うっとりするだけで、他者を破壊する勇気も狂気もない私は、自分をゆっくり死なせる行為に走った。そう、拒食症になってしまったのだ。偏差値は当然落ち、このままでは、東京(地方では、神奈川も千葉も埼玉も東京と呼ぶ)の大学に行けない、ここから脱出出来ない。いや、そもそも、何の為に、大学行くの?大学行く人が偉くって、学歴がない人は可哀想な人なの?その差別意識を結局、自分が持っている。ゾッとした。

もう、高校卒業したら、東京へ行こう。自分で働いて、自分で生きよう。とにかく、ここにいたら、私は狂い死にしてしまう。

当時、インターネットもない時代、田舎には田舎なりの差別や分断があり、自分は”市”出身で、あの子は”郡部”出身なんてことで優劣を感じ、感じさせられた。”井の中の蛙”の住民と、そして、その住民の一人の自分が嫌で嫌で堪らなかった。

父は東京の私立大学出身者だった。こんな東北の地方都市から大学出た人は少なく、今思えば、”田舎のインテリ”さんであった。でも、エリート臭を漂わし、人を見下げる人ではなかった。なんでも面白がる能力に長けた人だった。

他人を殺すまでの狂気はなくても、自分を殺す程度の狂気に溺れかけていた私は、ある日、父に言った。

「大学に行かない。高校卒業したら、東京に出て働く」と。

自分が日頃考えていることも話した。学歴がなくても立派な人はたくさんいる。今の大学は、入れば終わりで、遊ぶだけの場所。その為に受験勉強するのも理解できない。今という時間、この17才という時間にもっとやるべきことがあるんじゃないかと思う、などなど。

ふんふんと聞いていた父は、次に自分の話をしだした。

「お父さんもな、学歴は(人間の質を決めるのに)関係ないと思う。ただ、一緒に働いてきて、大学を出ていない人と大学を出ている人との違いは感じるようになったんだ。それはな、大学に行ってない人は、”ハンドルの遊び”がない人が多いと思ったんだ。車のハンドルの遊びは何の為にあると思う?遊びがなければ、”こっちだ”と思ってハンドルを切ると、頭で描くよりすごい勢いで進んでしまい事故が起きるからだ。車は遊びがあるからこそ、事故らず、真っ直ぐ進めるんだ。きっと、中卒や高卒で働き始めた人は、学生から社会人に突然なり、一生懸命、そこで働く事をしないといけないから、”遊び”なんてものを作る余裕がなかったんだな。もちろん、”遊び”がなくても、事故らず人生を走りきり人も多くいる。だけどな、何かあった時に、”遊び”はお前を助けてくれるとお父さんは思う。大学というところは本当に面白い場所で、大学生という身分の元に、社会人になる前に堂々と遊べる時間なんだ。その時間がハンドルの”遊び”を作ると思っているよ。そもそも、お前は何の為に東京の大学に行きたいと思ったんだ?」

思い出した。自分が大学に行きたい理由。

「色んな人に会いたいと思ったから。」

東北の地方都市の当たり前が、東京では当たり前なのか?井の中の蛙は井の中の蛙で幸せかもしれない。でも、今の私は幸せじゃない。私は知りたい。もっと、もっと世界を知りたいのだ。

「じゃぁ、大学に行ったらいい。その4年間という時間を、親としてサポートするよ。それに対して、お前は何も心配しなくていい。」

今でも父に感謝している。やはり、ハンドルの”遊び”を持っている父だからこその言葉だと思う。あの頃の私のハンドルは、”遊び”がなく、なのにアクセル全開で突っ走っていたのだろう。人はそれを、”真面目”と呼ぶかもしれないけどね。

そして、”真面目”にしか生きられない時代を”思春期”と呼ぶならば、それはそれでそうやって生きればいい。そんな風にしか生きられなかった自分をいつか絶対愛おしく感じる日がくるから。


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