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認知症になった母の人生を考える


前頭側頭型認知症になった母の人生を考えてみた。

今70歳
30歳ごろから約40年間も家族のために家事や仕事をしてきてくれた。
30歳ごろまでは田舎で子供時代を過ごし学校に行ったり、東京に出てきてからは仕事をしたり。豊かとは言えない暮らしだったようだけど。

逆算しながら思う。
今までで母が母自身のために使った時間は一体どのくらいだろう?と。

70年のうち40年は家族のために時間を使ってきた。人生の半分以上だ。残りの30年だって自分の意思で色々できたであろう時間はそれほど多くないだろう。思春期を迎える15歳くらいからと考えると15年くらい?

若い時のことはよく知らないけれど、もしかしたら子育てを卒業して、父が退職してからゆっくり自分の時間を取ろうと思っていたのかもしれない。

やっとそれを実現できると思ったら認知症に。

今は自分の意思もはっきり表現できない。
トイレも1人で行けない。
ごはんも父のサポートが必要。
歯磨きも妹のサポートが必要。
インシュリンも打たなきゃいけない。
毎週化学療法に通う。
副作用で髪の毛が抜け落ちる。
病院では冷たい目線で見られる。

たとえこの人生が母の選択の結果であったとしても、選択の自由はあったと言えるのだろうか?
女性は結婚して出産して子育てをするのが当たり前の時代。
母には子育て以外の選択肢もあったかもしれない。でも子育てを選んだ。選んでくれた。
そのおかげで私は今存在している。

まだ少しだけ会話ができる時に母に聞いたことがある。
「育ててくれてありがとうね。子育てしてよかった?」
母は「楽しかった!」とただ一言答えてくれた。

本当に良かったんだろうか?楽しかったんだろうか?幸せだったんだろうか?
もう今はその真意を聞くことはできない。

私が今生きていること、自分がしたいようにできていること、それを叶えてくれたのは母が子育てすることを選んで私を大学まで通わせてくれて世の中の常識にとらわれない考え方ができるように色々教えてくれたからなんだ。

それが母の本当に選びたかったことでなかったとしても。

だから今私にできることは全部したい。
母の病気を治すこと。
認知症の進行を食い止めること。
できる限り長く快適に生きてもらうこと。

実際、あと何年母と一緒にいられるかはわからない。数年なのか数十年なのか。

私は子を持たない選択をした。
なぜその選択をしたのか。もちろん理由はあるが、母のケアにその時間を費やすために神様が導いたのかもしれない。
自分の生活もあるけれど、母がしてくれたように自分の時間を母に使うということを今こそするべきなんだろう。

母は今幸せだろうか?
孫の顔も見れず、認知症になって、癌になって。
家族全員で母のケアができていることは少しでも母に恩返しできているんだろうか?

人生は何があるかわからない。
話せるうちにもっと話しておけば良かった。
もっと家に帰れば良かった。
後悔ばかりだ。

でも今目の前にある現実を受け止めて、今できる最大限のことをするしかないのだと思う。
その結果がどんな形であろうと全力でやればきっと受け入れられるんじゃないかと思う。

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